自選小説集『雪の日』新潮社 (昭和23年11月刊)を読了。
初めて読む作品も、2度目の作品もあるなか、特に感動したのが『灰色の月』でした。
東京駅で連れと別れた主人公は、ひとり品川周りの省線に乗る。車内はそれほど混んではおらず、主人公は、五十近いもんぺ姿の女と少年工の間に座る。
~中略~
私は不自然でない程度に子供との間を空けて腰かけていた。
~中略~
「まあ、なんて面をしてやがんだ」といふ聲がした。それを云つたのは會社員といふやうな四五人の一人だつた。
少年工の様子を見て笑う乗客。
どうやら渋谷から乗った少年工は、居眠りをしている内に一回りしてしまったようだ。
「どうでも、かまはねえや」
少年工の言葉に、周りの乗客もどうすることも出来ず、もう少年工の事には触れなかった。
・・・・・ 身につまされる。
これは、昭和20年敗戦の年の10月の出来事だそうです。
東京駅から日本橋方向は焼け野原で灰色の月が見えていて。
買い出しの帰りらしい人たちの会話を聞いても、ひところとは人の気持ちも大分変ってきたようだと書かれています。しかし、昼間でも食べ物屋が開いているワケではなく、ましてや夜9時では乗り越した少年工が食物を得るあてなどなかったことは、居合わせた誰もわかっていたでしょうから。
「どうでも、かまはねえや」という少年工の獨語は、重くつき刺ささります。
いつものことですが、志賀直哉のこの観察眼には舌を巻きます。
少年工をはじめとする乗客の様子が、哀しい程の臨場感を以て伝わってくる。
特に引き込まれたのが、主人公が反射的に寄りかかられた少年工を突き返してしまうシーン。
“無意識に” というのはワタシも経験したことがあり、取り返しのつかない状況に、ただただ自己嫌悪に陥ったことがありました。
志賀直哉の情景描写の素晴らしさはいつも感心しているけど、自己の感情のまとめ方にも、ハッとさせられた作品でした。