Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

「無言の晩餐」 著:里見弴

改造社 大正14年発行『縁談窶 ( えんだんやつれ ) 』に収録されている「無言の晩餐」という小品を読了。

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話は、両親と息子の 3人の食事風景から始まる。
父…いつもなら(中略)盛んにまくしたてる父が、まるで一言も口を利かなかった
母…差し向かいの母は(中略)これも茶碗の飯に視線を釘づけにして(中略)矢張りのろのろと箸を唇に持って行った
女中…扉の近くに立っている女中までが、じっと項垂れていた

出だしから、こんな描写が続くばかり、
両親を観察をしていた主人公-息子も、一家に起こっている問題の具体的原因は解らないという。
その後も家族が何故 陰鬱な状況に陥っているのか、その理由はひとつも明かされない。
なんなんだ、この意味深な小説は…。

家族が住んでいるのは、暖炉があって、マントルピースの上には英国製の置時計があって、
ロココ調のシャンデリアがあるという洋館。 

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父親の職業は、「内閣が変わった時には、その官舎を出る」と書かれていることから
大臣かなのかだと推察される。
食卓に影を落とした原因は、母親の貫通がバレたから?
それも最後までハッキリと語られないのだから。。。とにかく意味深すぎる。
母親は、その晩のうちに姿を消し、同時に息子の家庭教師として雇われていた大学生も姿を消した。
面白いのは、
「これは母の三度目の過ちだった。それを最後に、とうとう母は帰らず仕舞だった」という記述。

これくらいザックリしていると、読み手の方がそれを補うように、
母親というのは芸者あがりとかじゃなかったのか~とか、
夫婦の年が離れていたのじゃないか~とか、
たくましく想像の翼 (「花子とアン」より(笑)) を、広げてしまう。

里見弴さんは人物像を詳しく描く方なのに、本作においては軽く裏切ってくれる。
ワタシはこの作品を読んで、当時の人ならこれを読んだだけで、誰のことを言っているのかがわかるようなことなのかと疑った。取りあえずはネットで「里見弴」「無言の晩餐」など検索をかけてみたが、何も出でこない。

私達が現在手にする本の末尾には、必ず『解説』が付いているでしょう?
ところが大正、昭和初期の本には、『あとがき』 や 『解説』 は、まず無いんです。
本来は、その作品だけを読んで面白かった、感動した、つまらなかったと思えばいいことだと思う。
でもそれプラス、それが書かれた背景とか、種あかし的な情報が欲しくなるのも人情じゃあないかしら。
「全集に付いている『付録の冊子』。あれ、結構便利なんだけどなあ」と全集を探しましたが、
『無言の晩餐』は、筑摩版の里見弴全集 ( 全10巻 ) には入っていない。
それじゃ もっと古いのはどうかといえば、
改造社版 (1932発行)の第2巻には所収されていたけれど絶版で、古書すら入手困難。

そうか、この作品を読めたこと自体が貴重な体験になるワケ。
ワタシのように「縁談窶」改造社 大正14年発行の古書が手元になかったら、読めない作品だったのか。。。

世の中には、こういう埋もれてしまった作品が、沢山あるんだろうなと思ったらワクワクしてきた。
宝物を探り当てたような心境。
筑摩の全集には選ばれなかったわけだし、作者ご自身も、もしかしたら大して大事にしていなかった小品なのかも知れない。『宝物』というのはワタシだけの価値観かも知れないが、妙に楽しい。


さて。話は大きく変るけれど…
戦前は、新聞でも一般向けの雑誌でも “ 総ルビ ”といって、全文にルビでふりがなを付けられていました。
その “ 総ルビ ”廃止のキッカケとなったのが、路傍の石などでも有名な小説家、山本有三さんだとご存知でしょうか。 

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山本さんは、三鷹の邸内に、三鷹国語研究所を設けて、国語学者西尾実さん、安藤正次さんらと研究活動を開始、現在の憲法が制定される時、口語文にすることにも尽力されたんだそうです。
山本さんの「ルビが虫のように見える」「なぜ、あのような小さい虫を、文章の横に はいまわらせておくのか」という言葉も、かなりのインパクトがある。

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これらの活動が当時の文部省に大きな力を与え、昭和21年に当用漢字および現代かなづかい案が決議され、難しい漢字が消えていくことになりました。個人的には、ゆとり教育と同じ失敗に思えるし、国語本来の多種多様な豐さを制限するという愚策としか思えないのですが…。

回りくどい話になりましたが、
実は、「無言の晩餐」には、面白いルビの使い方をされてます。
洋爐に「ハアス」というルビ、扉には「ドア」。

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枝様燈架に「シャンデリア」、炉臺には「ストッピース」というルビが当てられている。
今なら本文の方をカタカナにするのだろうところを、難しい漢字にルビで英語をあてる。
こういう演出が当時からあったというのは、大変興味深い限り。
味気ない当用漢字やカタカナ語の氾濫よりも、難しい漢字にルビ。
いいと思うんだけどなあ。