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garadanikki

日々のことつれづれ 駄目駄目さんのガラクタ日記

「日の名残り」 著:カズオ・イシグロ を読む

本をよむ 古書 映画

日の名残り」を読了。大変面白かったです。

 

f:id:garadanikki:20141201000516j:plain← 古書店の野ざらしの本棚にあったもの。

100円也。


このお店、デザイン系のオシャレ本が主流で、店主の趣味でないと思われる文学系は外に置かれている。

 

店外の本棚は、閉店時ビニールシートをかけるだけの、半ば野ざらし状態。

直接雨には当たらないものの、保存状態はいいとは言えないわね。


店主に見放された ( ? ) 野ざらしのラックには、値段も安く、掘り出し物もあるので、よく利用しています。

↓ 天のシミ、雨天時の湿気ではないかしら。(笑)
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        f:id:garadanikki:20140914105401j:plain

そろそろ本題に。。。

まず驚かされたのは、35歳の日系人がこの本を書いたということ。

内容は、第一次世界大戦 終結から第二次世界大戦 勃発までの戦間期の、イギリスの貴族や執事の話で、

ブッカー賞 ( 世界的に権威のある文学賞 ) まで受賞してるんだから。

 

f:id:garadanikki:20141201000515j:plain長崎市出身のイシグロさんは、(1960年) 5歳の時に海洋学者のお父さんに連れられて渡英、その後一度も日本に帰ることなく、イギリスで教育を受け、1982年にイギリスに帰化したとのこと。


日本語は解されないというし、完全にイギリス人なんですね。

 

翻訳本なのです→



 

【あらすじ】 >>>ウィキから引用。。。

物語は1956年の「現在」と1920年代から1930年代にかけての回想シーンを往復しつつ進められる。
第二次世界大戦が終わって数年が経った「現在」、執事スティーブンスは新しい主人ファラディ氏の勧めでイギリス西岸のクリーヴトンへと小旅行に出かける。前の主人ダーリントン卿の死後、親族の誰も彼の屋敷ダーリントンホールを受け継ごうとしなかったのをアメリカ人の富豪ファラディ氏が買い取ったのだが、ダーリントンホールでは深刻なスタッフ不足を抱えていた。ダーリントン卿亡き後、屋敷がファラディ氏に売り渡される際に熟練のスタッフたちが辞めていったためだった。

人手不足に悩むスティーブンスのもとに、かつてダーリントンホールでともに働いていたベン夫人から手紙が届く。ベン夫人からの手紙には現在の悩みとともに、昔を懐かしむ言葉が書かれていた。ベン夫人に職場復帰してもらうことができれば、人手不足が解決すると考えたスティーブンスは、彼女に会うために、ファラディ氏の勧めに従い、旅に出ることを思い立つ。

しかしながら彼にはもうひとつ解決せねばならぬ問題があった。彼のもうひとつの問題、それは彼女がベン夫人ではなく旧姓のケントンと呼ばれていた時代からのものだった。旅の道すがら、スティーブンスはダーリントン卿がまだ健在で、ミス・ケントンとともに屋敷を切り盛りしていた時代を思い出していた。 今は過去となってしまった時代、スティーブンスが心から敬愛する主人・ダーリントン卿は、ヨーロッパが再び第一次世界大戦のような惨禍を見ることがないように、戦後ヴェルサイユ条約の過酷な条件で経済的に混乱したドイツを救おうと、ドイツ政府とフランス政府・イギリス政府を宥和させるべく奔走していた。やがて、ダーリントンホールでは秘密裡に国際的な会合が繰り返されるようになるが、次第にダーリントン卿はナチス・ドイツによる対イギリス工作に巻き込まれていく。

再び1956年。ベン夫人と再会を済ませたスティーブンスは、不遇のうちに世を去ったかつての主人や失われつつある伝統に思いを馳せ涙を流すが、やがて前向きに現在の主人に仕えるべく決意を新たにする。屋敷へ戻ったら手始めに、アメリカ人であるファラディ氏を笑わせるようなジョークを練習しよう、と。

昔、アンソニー・ホプキンス (執事スティーブンス)とエマ・トンプソン女中頭ミス・ケントン ) で映画化されたのを観ました。

あらすじはわかっていたつもりだけれど、20年経って原作を読んでみて、「こんなにも違うのか」と驚きです。

 

やはり本はいいね。凄い。

映画も確かに良かったけれど、アンソニー・ホプキンスの執事が完全無欠に見えしまった感があった。スティーブンスの欠点もちゃんと描かれていたんだろうが、やはり、アンソニー・ホプキンスゥ~という、あの存在感が凄すぎて…。

 

原作からは、執事スティーブンスの欠点がキチンと読み取れました。

イシグロさんの筆、プロローグから冴えわたってます。笑えます。

この作品の語り手は、執事スティーブンスなんだけど、彼が真面目に話せば話すほど、「あっ、今、とりつくろったな」とか「今、ドヤ顔したね」とか「結構自慢入ってるじゃないですか」といった心理が見えてくる。

そして、読み終わると、そんな彼の困ったところ、幼さやパラサイト振りも含めて愛しく感じてくるから不思議。

例えばこんなシーン。茶色の部分は本文です。

 

● スティーブンスの世界観 ●

新しい御主人のファラディーさんから、骨休めに旅行してきなさいと言われます。

「年中こういう大きな家に閉じ籠って、ひとに仕えてばかりで、君らはせっかくのこの美しい国をいつ見て歩くんだい、自分の国なのにさ?」

しかしスティーブンスは…

たしかに国の名所旧跡を見て歩くという意味では、見聞が広いとはいえませんが、真に「国のありさま」を目のあたりとするという意味では、大方より恵まれているのではないか、ということです。なにしろ私どものいる場所こそ、イギリスで最も重きをなす紳士淑女のお集まりになり場所なのですから。もちろん、こうした見識をファラディー様にご説明するには、生意気ともとられかねない長広告をふるわねばなりません。そこで、私はこう申し上げるにとどめました。
「失礼ながら、御主人様、私はこのお屋敷でお仕えした長い歳月の間に、いながらにして最良のイギリスを見る機会に恵まれまして、ありがたいことだと存じます」

前の御主人ダーリントン卿に仕えている時、屋敷には世界中から国を動かす名士たちが集まってきてて、その人達と関わっていたことが、彼の自慢なんだね。

 

「ガソリン代は僕がもつよ」

イギリス旅行をするにあたって、スティーブンスが問題視していることがあります。

ひとつは費用面。

ファラディー様の気前のよさにおすがりするとしても、宿泊代、食事代、路上でのおやつ代などで、旅行全体の費用はおもいかげない額にのぼるかもしれません。

えっ、おやつ代? どんだけ~(笑)

 

もうひとつは服装。

さらに服装の問題があります。どのような服装で旅行するべきか、わざわざ服を新調するだけのことがあるだろうかと、ここは思案のしどころでした。もちろん、スーツは何着ももっております。過去にダーリントン卿からいただいたものや、お屋敷に滞在し、幸いにして私どものおもてなしに満足してくださったお客様からの戴きものなど、すばらしいスーツばかりです。
(中略)
 エドワード・ブレア様から新品同様でいただいたスーツなどは、まるであつらえたように私にぴったりで、道中どのような宿に泊まろうとも、夜、ロビーや食堂で胸を張って着られるものだと存じます。ただ、私には適当な旅行用の服が―――つまり、車を運転するとき着ておかしくない服が―――ありません。(中略)これほど服装にこだわる私を、鼻持ちならない気障とみなす方もございましょうが、そうではありません。旅行中には、身分を明かさなければならない事態がいつ生じるかわかりません。そのようなとき、私がダーリントン・ホールの体面を汚さない服装をしていることは、きわめて重要なことだと存じます。

笑える。鼻もちならないと思わないでってわざわざ言うからもっと笑える。

 

● アメリカ人のジョーク ●

とにかくスティーブンスは真面目です。執事とはなんたるものか常に考えます。
御主人がアメリカ人に代わって、ジョークを飛ばされても、きちっと対応いたします。

アメリカでは、その種のジョークが良好な主従関係のしるしで、最愛の情の表現だとも聞いております。事実、そういう目で過去数か月を振り返ってみますと、私どもの関係は、ファラディー様が軽口をたたかれ、私が返答に窮するというのがもっぱらでした。(中略) その後は、ファラディー様のそうしたご発言にもさほど驚かずにすむようになり、お声に冗談口調を感じたときは、適当な作り笑いも浮かべられるようになりました。しかし、そのような場面で私が期待されいていることはいったい何なのか、いまもって確信がもてません。ただ愉快そうに笑えばいいのか、私の方からも冗談をお返しするべきなのか…。後者かもしれないとは、ここ数か月、私が懸念しつづけてきたことですが、いまひとつ判断がつきかねます。ただ、雇人がジョークで主人を楽しませるのも、アメリカではりっぱに仕事のうちらしいとは聞いております。

スティーブンス、大真面目です。

日々精進しております。

私は新技術を自分のものとし、ファラディー様がどのようなジョークを飛ばされても、自信をもってそれに受け答えできるようになりたいものと思い、多少の努力はつづけておりました。
例えば、最近ではよくラジオを聞きます。
(中略)
これは、基本的には2人の出演者の対話番組でございまして、聴取者が手紙で寄せてくるさまざまな話題に、2人がユーモラスなコメントを添えていくという趣向です。私がこの番組に注目し、それを研究してまいりましたのは、そこで語られる洒落というものが例外なく上品で、ファラディー様が私に期待しておられるジョークとは、こうしたものではなかろうかと思われるからです。私はこの番組を参考に、いくつか練習方法を考えだしました。そして、一日に最低一回はそれをやるようにしております。

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スティーブンスのエヒソードは、本人が語れば語るほど、本人の思惑とは違うところに読者を誘います。

その辺が、イシグロさんのセンスと技量だね。

 

語りには、随所に「記憶が定かではありませんが…」と書かれていてね、

父親の臨終より “ 世界を動かすような輝かしいパーティーのサーブをする ” 仕事を優先にした夜だったり、

ミス・ケントンが屋敷を去ることになった決定的な出来事の場面だったり。。。

 

人は誰でも、都合が悪かったり後悔したことを、記憶から消し去ろうとしたり、捻じ曲げてし記憶したりすることあるでしょう?イシグロさんはその心理を効果的に取り入れます。

 

だからこそ。見栄っ張りなスティーブンスが最後には、健気に、可哀想に、愛しく感じるんだろうな。

 

原作を読んでから、十数年ぶりに、映画を見直してみたくなりました。

考えたら、イシグロさんがこれを書いた年と同年代にワタシは映画を観たわけだけど、今なら当時わからなかった人生の機微が少しは見えてくるかも知れません。