前述の小説家―小山清は、吉原遊郭で生まれたそうで、生家は遊郭で貸座敷を営んでいました。
盲目の父は家業に関係せず、義太夫の師匠をしていました。
小山家は祖母が権力をにぎっていたようなんですが、清と祖母は不仲だったとのこと。
気の強い祖母は清の兄弟には優しかったのに、清だけには辛く当たったそうな。
小山は知人に「僕は暗夜行路だから」ともらしたことがあります。
暗夜行路といえば、志賀直哉の代表作、
主人公の時任謙作が祖父と母の不義の子であったという設定なんですね。
小山家の、真偽のほどはわかりませんが、
彼は、祖母が自分を疎ましく思う理由をそうだと思ったんでしょうか。
小山の生家は裕福だったけれど、祖母との不仲、義太夫の父の仕事の関係、
母の死をきっかけに一家離散となりました。
紆余曲折あって、生まれ育った吉原から目と鼻の距離にある竜泉寺に住み込んで、
新聞配達員をしていた時、清はどんな想いだったんだろう。。
・・・長くなりましたが、そんなことを考えながら、吉原があった場所を散策します。
吉原の、とにかくランドマーク的な所に行こう。
吉原神社
普請も新しく、柱や看板に祖母や貸店屋の名前は見当たらず。
・・なんか変、ここ。
入口の石段に座り込んで、女子学生がおにぎり食べてるし、、、
鳥居には、写真がベタベタ貼られているし、、、なんか催し、やってます。
左の方々は、普通に参拝にいらして、ご朱印を頂戴している。
右奥の諸君は、学園祭のノリ。
地域とリンクしてパフォーマンスをするのはいいけれど、
そこらじゅうに荷物を置いて、座り込んで食べたり飲んだり、
参拝客のことは眼に入らないらしい。。。
神社の掲示板に、興味深い地図が貼ってある。
明治27年代の吉原、大正12年関東大震災時の吉原、昭和20年東京大空襲時の吉原、
昭和33年公娼廃止時の吉原、そして平成5年の地図が横一列に並んでいるんです。
「いいなぁ、どこで買えるんだろう」
ご朱印の方々が終わるのを待って、社務所で聞いてみると、一葉記念館で販売しているのだそうです。
一葉記念館か、、、戻るにしてももう少し界隈を歩いてみる。
神社の前のお煎餅屋さん
壁には、安積アナと吉行和子、冨士 眞奈美さんの写真。
びったんこカンカンのロケかしら。
丸い瓶に入っているのは、揚おかき。
桜えびの。
祖父母の家に行くと必ずあったなあ。おかき、買って帰ります。
この道が、仲之町通りといって、吉原の中央にあたる道のようです。
大黒屋、バンビ、昔は〇〇摟があったんでしょうね、
メインストリートだもの。
吉原は、中央の仲之町通りで左右に分かれていて、
横に三本道があって、大きく言うと8ブロックに分かれているそうです。
この辻は、吉原神社から歩いて二本目を右に行く道で「角町通り」と言うらしい。
昔懐かしい感じの喫茶店が沢山ある。
突き当りが急に右に曲がって、大きな通りに出た所が、大門。
へええ、そうなんだ。
吉原はこっちが正面玄関なんだ。浅草から遠い方なのにね。
日本堤という通りを少し歩いて戻ります。
古い建物がそのまま残っているのね。
天麩羅に、牛肉鍋か、、、こういう時、1人の徘徊が悔やまれる。
流石に1人では入りにくいからなぁ。。。
吉原公園の通り、、、何て言ったかな、そう江戸一通り
ランドマーク、プリマドンナ、ラテンクォーター、、、
ああクラブの通りなのね。
・・・なんか異様な雰囲気。
どの店からも黒服ならぬ、白いワイシャツの人が出てきている。
それにパトカーがずっと停まってる。
なんか来ちゃいけない感じなのかな。。。
江戸一通りの突き当り、少し下がっている。
左が旧吉原、右が竜泉寺。
坂になっているでしょう?
他のところも比べてみましたが、みんな吉原跡の土地が盛り上がっている。
昔、吉原は周囲が「お歯黒どぶ」というどぶで囲まれていて、
吉原は大門からしか入れなかったのよね。
全体が盛り土になっていたから、こういう段さがあるのだと思います。
興味深い、吉原があったとこ。。。
やっぱり「吉原現勢譜今昔図」買って帰ろう。
徘徊は三ノ輪と続きます。