先日来、新吉原あたりを歩いたり、地図を見たりしていて気になることがありました。
1.吉原の入口ってなんで浅草より遠い方にあるんだろう。
2.吉原の南北軸が傾いているのは何故だろう。
オレンジの部分が吉原があったところ
地図でわかるように、吉原の部分だけが、他の場所と違って南北軸が歪んで区画されているでしょう? ⇐2
しかも入口は、当時の繁華街だった浅草の反対方向にあったんです。⇐1
その謎を解いてくれたのが、この地図
先日2,500円で高いから凄く買うのに悩んだ地図です。
ここに、吉原への道という説明書きがありました。
当時は浅草や柳橋方面から歩くのではなく、隅田川を舟で北上し、山谷堀という水路を通って 行ったんですね。
だから繁華街と反対方向に大門があったわけか。
明治以前は、吉原は大門からしか出入りが出来ず、周りは「おはぐろどぶ」という水路で囲まれてました。
手前 ( 南 ) の通路は吉原病院にしか行かれない。
そういう造りにしたのは、遊女が足抜け出来ないようにということ。
吉原の南北軸が傾いているのは、諸説あるそうです。
建物が正しく東西南北に向いていない作りにすれば、
〇 客の頭が「北枕」にならないから。
〇 鬼門を避けたから。
〇 山谷堀から平行に建設されたから。
そんなことが分かった上で、歩いてみました。
大門の交差点の所には、「見返り柳」があります。
ガハハ。
セルフの文字、目立ち過ぎ。
随分細い。。。というか貧弱な柳だなあと思ったら、
昔の柳は、山谷堀脇の土手にあったんですって。
それが区画整理でこの場所に移動されたんだけど、震災や戦災による火災で、
ここにあるのは何代目かのものらしい。
そもそも「見返り柳」っていうのは、京都の島原遊郭の門口の柳を模したものなんだって。
遊び帰りの客が、後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊郭を振り返ったということから、
この名前になったんだそうです。
むふっ。柳よりも石蔵の方が立派だ。
ここから、吉原大門までの道は曲がってるんです。
目的地がズドーンと見渡せないというのも面白い。
じらしてるんですかね。演出効果?
こういう感じで、カーブを曲がったところで大門が見える。
なるほど、その方が感動するね、きっと。
この店、昭和33年の地図にもありました。
今日は、先日見そびれた弁天さまに行ってみよう。
続きます。