初日、富山でしこたま飲んで二日目。
「朝食はどこかの漁港で」とホテルの朝食をキャンセルにしたが、これがいけなかった。
ワタシの案は、駅で「ます寿司」を買う。
ます寿司なら車内でも、適当な公園でもあれば食べられるから。
それに対してMOURI は「え~、走っていれば何かあるよ」
助手席しか温めないMOURI には、ドライブしながら朝食を食べるに適当な店を
見つける難しさはわからんようだ。
行った先で何とかなると思っても、これがなかなか。。。
まず車を走らせたのが、岩瀬という町。
富山港の近くで、古い町並みが残っているというのが気になった。
実はここも車を置いて行きたかったんです。
富山駅から富山ライトレールという第三セクターの路面電車が走っていると聞いたから、
それに乗って気になった駅で途中下車したかった。
しかし、その案も「え~っ車で行こうぜ」と却下でしたん www
都内と違って駐車場を探す苦労はなさそうだから、まあいいか。
幸い、無料の駐車場があったのですこしぶらつくことにしました。
車でぶーんと通り過ぎたのでは、なにもわからないじゃない?
おお、杉玉がぶらさがっているということは。。。
銘酒「満寿泉」の酒蔵、舛田酒造店ですって。
裏が酒蔵になっているのね。
お店入ってみよう。
お店の中も綺麗に掃除された古い一枚板のカウンターがあって、
経理とか事務とかをしていらっしゃる態の年輩の女性と男性が。
ここでももちろん購入できるんだそうですが、
「この先にある直営店が、品揃えも多いのでいらしてみたら」とのご案内いただく。
ただし10時からなんですと。
ふーむ、あと10分か。じゃ、ぶらぶらして時間を潰そう。
それにしてもこの酒屋さん、直営店といっても他のブランドのお酒も売ってる店を紹介したら、満寿泉の売上にかかわるんじゃないの ww
ありゃりゃ、ここなーに? 重要府文化財だっていうけど、
見学できちゃうわけ。
入ってみます。
「森家」と書いてある、入場料100円也。
入ると、何人かまとめてガイドをしてくれている。
既に、半分くらい経過していたようで、途中から混ぜてもらうことにしました。
この硝子戸は、角の所に柱がないのに、100年経ってもピタッと合うんだそうな。
この居間を「オイ」という。畳が面白い。
ちぐはぐな並べ方をわざとしてるんだけど、
手前から奥へと繋がっているように見えるでしょう?
これは川を表現しているんだそうです。
前座敷の天井
「この天井、何のがらに見えますか?」という質問をガイドさんからされました。
むむ? 何だろう。。。。同じ柄が三枚続いているのはわかるけど。。。
正解は『龍』だそうです。
・・・・見えんぞ。
いきなり見学が始まってしまいましたが、この家の説明がまだだった。
ここは、北前船廻船問屋の森さんち。
明治11年頃建てられたもので、建築当時のたたずまいを残す町家なんだそうです。
廻船問屋というのは、船を使って商いをする仕事。
富山から米や醤油、酒、薬なんかを北海道まで持ってって売る。
帰りは、昆布やニシン、サケを積んできて売る。
行きと帰りに儲かることから「のこぎり商売」と言ったんですって。
そしてこの北前船、岩瀬だけは「バイ船」と呼んでいたそうです。
倍々に儲かるからバイ船。
やるじゃん。
パンフレットに間取り図がありました。
一階
二階 左には女中部屋、右には番頭さんの部屋がある。
一階のオイと書かれたところが吹き抜けになっていて、
女中部屋への階段は登れないみたいだけど、番頭部屋は登ってもいいって。
上からオイの間を見てみる。うー凄い急な階段。
番頭さんて、三間も使ってたんだ。
障子と窓の間の空間は、寒さよけ?
この部屋いいなぁ。
主人はおそらく一階の座敷を使ったんでしょうが、番頭部屋の方が断然落ち着く。
窓からは前庭だって見えるし。
一階の奥庭に面した座敷が当主の寝間だったのではないかしら。
タタキにある二本の石は、川を表現していたそうで、ご夫婦はよくここから庭を眺めていたそうです。
森家の仏間・座敷には、棟方志功の版画 が掛けられています。
これは森家が引越した後、この家に住んでいた大原総一郎が懇意にしていた
棟方志功に依頼したものだそうです。
本物は大原美術館にあるから、これは複製です。
どんだけお金持ちだったのかしらね。
トイレの扉にも屋久杉を使っています。
奥はお蔵。
トイレのある通路からも庭が見える。
柵の向こうの土蔵の所の庭が、さっきご夫婦でよく眺めたという庭ですね。
そうこうしている内に、さっきのガイドさんからお呼びがかかる。
私達が途中参加だったので、新しいお客さんと一緒に説明しますって。
これは当時の長者番付
ちょっと見にくいけど、右側に並んでいる名前の中に「岩セ」と書いてある人が2人います。
1人が森正太郎さん、この家の当主。
もう1人が米田元吉郎さん。
そして真中にデデンと書いてある馬場道久さんがこの辺で一番大金持ちだったんですって。
家も、この森家を挟んで左隣が米田さんで、右隣が馬場さん。
3人とも廻船問屋として財を成したそうです。
「しかし、ここいらのお金持ちは金儲けだけではなく、ちゃんと世の為人の為に
お金を使ったのであります。
馬場さんは富山大学を作りました。すると米田さんは『それじゃあワタシは学校に行くまでの電車を
通しましょう』と、富山から岩瀬まであった自分の敷地をポーンと寄附したから凄い!!!
ありがたや、ありがたや。」
ガイドさんの名調子は続く。
富山大学を作ったというのは、少し誇張で、米田さんが富山から岩瀬まで続く敷地を持っていたかどうかはわかりませんが、両家がこの地に貢献し、子孫が今も岩瀬の名士であることは確かです。
米田さんの逸話を聞いたら、岡本かの子の実家が溝の口あたりの大地主で、二子から渋谷まで自分の土地を通って行けたなんていう逸話を思い出した。
それから、こういうガイドさんみたいな人の芝居あったなあ。黒柳徹子の「レティスとラペッジ」だ。
ガイドさんのお話、凄いのは1回目2回目で、内容やふくらまし方が違うんです。
何パターン、レパートリーがあるんだろうか。。。
全体説明が終わって、気になる物を教えてもらいました。
かもいに取り付けられた飾りは、釘隠しなんですって。
これは鶴。
部屋によって違うそうで、亀、兔と続きます。
そして奥庭のたたきの鴨居には。。
「はい、鶴、亀、兔と続いたら? はい、旦那さん」
鶴亀兔と続いたら、当然動物の何かを想像するでしょう?
2人は 幼稚園の園児よろしく「鯨~」だの「へび~」だの言っていきます。
正解は「桃」
なんだよ~動物じゃなかったのか? ずるいよー
このたたきはさっきも言ったように川をイメージしているから、どんぶらこの桃なんだそうです。
もうひとつ、気になったのがこれ。
屏風押さえというものなんだそうですが、扇の形をしています。
銀の屏風でしょう? これ。
不祝儀の時に使うものだそうで、おめでたい時の金屏風は、ジクザクにして立つようにするけれど、
仏事の時は、ジグザグにしないでこうやって留めるんだそうです。
知らなかった。
森家のガイドさん ( 何人かいらっしゃるのかも知れませんが ) は、年輩の方で、
「こうやって皆さんとお喋りするのが若さの秘訣」と元気モリモリのキン肉マンポーズをします。
「はい、カメラ オッケーですよ、気になったところ、どんどん、キャッチしてってください」
というのが口癖の、とても明るいおばあ様。
午後は、団体さんが来る予定とかで、それが今から楽しみなんだって。
ガイドさん、いつまでもお元気で。
色々教えてくださってありがとう。楽しかったです。
酒屋が開くまでの時間つぶしのつもりが、とんでもない貴重な時間になりました。
酒商 田尻本店
のれんが出ているのがオープンの印。
蔵みたいになっていて、中はじゃーん
凄い梁。ガラスで隔てられたスペースは温度・湿度の管理がされた
ワインセラー。
凄い数のお酒が並んでいる。
ワインセラーの入口には、
「大きなお荷物をお持ちの方はこちらのロッカーにお預けください」という張り紙。
荷物をがんごん振り回して、お酒割っちゃあいけないもんね。
お酒、もちろん買いました。
右が満寿泉の「仁右衛門」
左が富美菊の「羽根屋」
どちらも棚の中から、お酒が MOURI を呼んだそうです。
お昼ご飯の氷見へつづく。