Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

江戸東京たてもの園 Vol.3 小出邸

 

初めての家に入る時ってドキドキ、わくわくする。

そんな気持ちをもっと高めてくれるアプローチですね。

こちらは3軒目、小出邸です。

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煉瓦を縦に使っているのが素敵。

 

あっポーチが小部屋のようになっている。

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白壁と彫りこみを入れた茶系の柱がいいですねぇ。

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ごめんくださ~い

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外装の柱と同じ意匠の、、帽子掛けですか?

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あ、あの角の照明、素敵。

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まずは、左手の応接間から。

おっ、金沢の金箔の蔵を思わせる壁紙です。

20151107165657写真ではわかりにくいですが、そうなの、金沢の茶屋町で見た黄金の蔵、あの金箔の壁に似た感じの壁紙なんです。こちらは銀ですけどね ww
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ここは、ピアノのために設けられたスペースですな。

昔は、こういう洋館からピアノの音が聞こえてくる、

それだけで通行人はハイソな気分になったもんです。

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北側の窓は、ごくシンプルな軽めのカーテンだけ。

部屋が重厚なだけに、重いカーテンにするとクドいですものね。

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コーナーのレトロのストーブの壁面のタイル。

座り込んで、しばし眺めてしまいました。玉虫色。

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手すりのすべすべ、、、

向こうのスチールは、施設の方でつけなければいけなかったんでしょうね。

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登り切ったところの窓。

どんな景色が見えたんでしょうね。

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現在は、前川邸の屋根とお庭が見えます。

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ご家族の寝室は二階だったようです。

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緑の入った薄灰色の漆喰が清潔感を出しています。

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漆喰の一部がほじられたような跡があります。

20151107165717最近どこかで見た記憶が。。

そうそう。

これも金沢茶屋町の漆喰の穴ぼこ(笑)
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日差したっぷりの寝室、寝坊はできそうもない。

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昔の家の階段って、結構キツかったのね。

ちょっとこわい。

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階段の右のここ、蔵のようになってますが、面白い構造だなぁ。

白壁に窓があって、その手前に斜めの木組みがあるんだけど、

何の為なんだろう。。。入れないので、わかりませんでした。

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ほほっ、階段下は電話室になっているのか。

大昔の電話ですね。

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小出邸は、入口の感じからは洋館の印象がありましたが、

玄関脇の左右 ( 応接間と洋間 ) 以外は、和のお家だったんですね。

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20151107165719東西に3室ありますが、

南東にも広いお宅です。


これは、居間から北の勝手口までの眺め。

右側に台所、ふろ場があり、

左側に納戸、女中部屋、トイレがあります。

階下、居間から中和室、洋間と続きます。

 

ここが納戸

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こっちがお風呂

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20151107165722昔の木戸の造りは面白いですね。
組み込み細工のように

桟を上げたり横にしたりすることで、

戸締りが出来る。


すべすべの木の肌触り、

生れた頃の家を思い出しました。

 

あったあった、こういう石の洗面台。

蛇口ひとつでお湯なんか出ないですからね、

母は父だけに、洗顔用のたらいに沸かしたお湯を入れていました。

子供は、冷や水なんですよ。

家長だけの特権というのが我が家にはあった時代です。

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なんとな。

ここは風呂の脱衣所。

着物の人が多かったからかしら、脱ぎ着するにはやっぱり畳ね。

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女中部屋と障子一枚隔てたトイレ。

・・・ふくざつ。

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小出邸の全景

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《建築家 堀口捨己について》

この家を建てたのは、堀口捨己さんという建築家です。

堀口さんは東京帝国大学建築学科を卒業し、1920年 (大正9年) に山田守らと日本最初の近代建築運動である「分離派建築会」を結成。

    山田守、山田、、、って、ああ先日表参道の蔦という珈琲店に行った、

    そうあの建物が山田守さん建築の自邸でした。

    話がそれてしもた。

1922年 (大正11年) 、平和記念東京博覧会の建築物の中で「機械館」「交通館」などを設計したのは堀口さん。翌年からヨーロッパに渡り、帰国後はオランダの近代建築などを初めて日本に紹介したんですって。

 

    そしてね。

小出邸の旧所在地は、文京区西片2丁目なんですって。

    文京区西片といえば、以前散歩をしたことがあったなぁ。

    ここでおさらいになりますが、

西片町は江戸時代は福山藩 (現在の広島県福山市) の藩主阿部家をはじめ、武家や大名が居を構えた場所。明治になって、一度は政府のものになり、その後払い下げられた。

阿部家は上屋敷を神田に、西片町に中屋敷を構えていましたが、西片町 (丸山) の方を本邸においた。

1872年 (明治5年) になると、東京府に対して「貸長屋許可願」を提出し、住宅地としての開発に着手した。これは当時の旧大名名家としては、先進的な試みであった。

    やるじゃん阿部さん。

阿部家では、当初から住宅地を作るために、店舗の営業などを制限した。

住民は、初めは旧藩士や同郷人が主だったが、東京帝国大学が近いことから、学者や官吏等を多く迎え入れた。

    なるほど、これが「学者町」と呼ばれるようになったキッカケなんですね。

 

《小出邸について》

小出邸が西片町に建てられた経緯は、施主の奥様が岡山の出身であり、

福山の阿部家と縁があった関係で土地を購入したのではないかと言われているそうです。

施主は小出政 (おさむ) さん (1865~1945)。

現在の文京区西片二丁目に1925年 (大正14年) に建てられました。

新築のきっかけは、子供の独立等で家族は減り、夫婦で静かに住むための家を必要としていたからだそうです。

建物の内部はほぼ創建当時の間取りで、水回り、建具の改築意外に大規模な増改築はされていない。

1996年 (平成8年) までご家族によって大切に住み続けられた後、1998年 (平成10年) に復元されました。

 

                      寄贈者:大山みどり氏、小出剛史氏

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※ これは、 2015年10月27日 12:37のお話です。 

江戸東京たてもの園、いや~凄いもんだ。

つづきは、またこんど ❤