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garadanikki

日々のことつれづれ 駄目駄目さんのガラクタ日記

『わたしを離さないで』  カズオ・イシグロ原作

 

『わたしを離さないで』
カズオ・イシグロさんが書かれた小説です。
イシグロさんは、1989年発表の『日の名残り』で、イギリス文学の最高峰ブッカー賞を受賞しました。
実はワタシは『日の名残り』の作者が、日系人だと知らずに映画を見てたんです。

作者が生粋のイギリス人でないと知って驚いた。テーマがイギリス貴族と執事のお話だったから。でもイシグロさんが、お父様の仕事で5歳で渡英してからずっとイギリスで教育を受けた人だとわかり納得。彼のsoulは、イギリスなんでしょうから。

 


そうそう『わたしを離さないで』の話でした。
今回は、小説と映画とを同時進行してしまったので、台詞やシーンがゴッチャになっていますが、どちらも甲乙付けがたい作品でした。

 

“生”とは何かを、ものすっごく深いところから考えさせられる話でしたが、抑制の効いたタッチで仕上げているから、余計に心が痛かった。

心をわしづかみにされ、ブルブル揺さぶられるような感覚になりました。
暗いし、重いし、後味が悪いので、全ての方におススメという作品ではありませんが。。。

 

【あらすじ】

外界から隔絶した寄宿学校ヘールシャムは、他人に臓器を“提供”するために生まれてきた〈特別な存在〉を育てる施設。キャシー、トミー、ルースの3人は、幼いころから一緒にそこで育てられてきた。しかしルースとトミーが恋仲になったことから、トミーに想いを寄せるキャシーは2人のもとを離れ、3人の絆は壊れてしまう。やがて逃れようのない苛酷な運命が訪れ、ルースの“提供”が始まる頃、3人は思わぬ再会を果たすが…。

映画『わたしを離さないで』DVD裏面より

 


えっと…ここから先は、読んだ方だけの方がいいかも…。

映画では、
「1952年、医学界に画期的な進歩の訪れた不治の病とされた病気の治療が可能となり、
 1967年 人類の平均寿命は100歳を超えた。」
というテロップから始まります。
人のクローンが育てられ、オリジナルの人間と共存するという世界の話を、
近未来の映画にしないで、監督は1978年に放り込んできたんです。

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シャーロット・ランプリング演じる校長先生が生徒に言う。
「身体の内も外も健康に保つことが、あなた方の使命です」

 

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子どもたちは、腕に付けられた認識コードで管理されているみたい。

 

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キャシーの楽しみは、ひとりミュージックテープを聞くこと。
三曲目に収められた「わたしを離さないで」という曲は、スローで、ミッドナイトで、アメリカン。
「ネバーレットミーゴー……オー、ベイビーベイビー…わたしを離さないで…」
このリフレーンが何度も繰り返される曲に、なぜか惹かれていた。

 

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癇癪持ちのトミーを優しく見守る新任教師ルーシー。

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ルーシー先生が生徒たちに真実を告げます。
「あなたたちは、アメリカにも行けなければ、スーパーで働くこともない。
 大人にはなるけど、年を取る前に…中年にならぬうちに…いずれ臓器提供が始まります。
 そのための“生”なのです。自分というものを知ることで、“生”に意味を持たせて下さい。」

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その事があって、ルーシー先生は施設を去っていく。

 

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教育期間を終えた子どもたちは、コテージという施設に移り、やがてくる“提供”を待つ。
コテージでは、申請すれば外出もできます。先輩に連れられ、初めて外の世界に出た三人は、
レストランのオーダーにも固くなったまま…。

 

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老夫婦が、彼らのことを気にしている。
彼らが普通の人 (フツウノヒト) ではないことが、何かで解るのか。

 

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レストランに、彼らの他に若者がいないというのは、演出上の計算なのかな。

 

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外出の目的は、先輩が見たという〈ルースのオリジナル〉を探すこと。
オリジナルとは、クローンである彼らにとって、やがて自分たちの臓器を“提供”する相手。

 

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先輩が言う「ルースにそっくりだった」という女性は、他人の空似だった。

 

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9年後。優秀な看護人となったキャシーは、ルースとトミーと再会する。
ルースもトミーも2度目の“提供”をした身だった。

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浜辺に打ち上げられた船を見に来た3人。
物語の中に何度か“捨てられたり忘れられた物が流れ着くと言われるノーフォーク”
という町のことが出てくるんだけど、座礁した船もそのイメージなのかな?

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2度目の“提供”から、自分の“終了”を予期するルースは、
過ちを謝罪し、2人の仲をとりもとうとするが…。

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ヘールシャムでは、生徒たちに絵画や詩を提出させる制度があって、
優秀な作品は“マダム”と呼ばれる女性が持ち出していったの。
キャシーたちは、「本当に愛し合う2人は提供に猶予が与えられる」という噂を
信じ、その証となるのが絵ではないかと思い始めてた。

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マダムを訪ねあてて、絵を見てもらい、愛し合っていることを訴える2人。

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マダムの家に、思いがけない人が…校長先生でした。

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校長先生から告げられた真実は、2人を打ちのめすものだった。

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慟哭するトミー。

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トミーが、使命を終了して2週間。

キャシーはひとり『ノーフォーク』を訪れる。

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有刺鉄線には、ありとあらゆるごみが引っかかり、絡みついていました。
海岸線に打ち上げられたがらくたのようです。何マイルもの遠方から風に運
ばれてきて、ようやくこの木と二本の有刺鉄線に止めてもらったのでしょう。
                    ~小説 p.438より~

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わたしは一度だけ自分に空想を許しました。
「ここには過去に失ったものが、すべて流れてくる気がする。
 もし、それを信じるなら、ここで待てば、地平線のかなたに人影が現れる。
 近づくその人影はトミーだ。」。
                    ~小説 p.438より~

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彼女は自問します。
「私たちと、私たちが救った人々に、違いが?
 皆 “ 終了 ” する。
 “ 生 ” を理解することなく、命は尽きるのだ」
                    ~映画より~

 

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ああ、本当に凄い映画だ。それに小説も。
特にキャシーを演じるキャリー・マリガンが秀逸。
コテージにいた時は、ボタボタ涙を流すシーンがあって、それがまたいいんだけど。
看護人になってからは、“提供者”の前で、彼女は絶対に泣かない。

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この作品の中では、“死ぬ”という言葉は出てこないの。原作は、“使命を終える”という言葉だったし、映画では“終了する”という言葉だった。映画の台詞は、completeと言ってたけど、重い言葉だなあ。

ひとつ嫌だったのが、ルースの臨終のシーン。
監督は、あえてルースを人ではなく道具だと印象づけるように演出したのでしょうが、やり過ぎな気がしました。

そこまでしなくても、十分伝わるのに。。。

彼らと接する人間たちが何人か出てくるんですが、例えば寄宿舎に荷物を運ぶ人や、コテージの世話人や、レストランの客。その人たちが、彼らを見る時の目つきや仕草で十分に伝わってきます。彼らに対する違和感とか恐れが現れていて。

それで十分。臨終のシーンは要らないとワタシは思いました。


彼らが自分たちの使命を悲観せず、運命に逆らわらず冷静に生きているというのも辛かったです。それままだ理解が出来ないほど小さいウチから、運命をすりこまれてきたからなんだと思いますが、人の為に貢献すること褒められることが、人をここまで強くすることなのか。

うん、でもやはり辛い。

校長先生が、何故ヘールシャムを作ったかも、小説には丁寧に書かれています。
凄くすご~く考えさせられました。
「医療があまりにも速く不治の病を治療できるようになって、その為に、よく考える余裕もなくクローンを作ることになっていって、人はクローンが試験管みたいなところで作られてると思い込んでいたかったの。そう考えないと辛いから。だからあなたたちを普通の人間と見なそうと思うことに抵抗があるの。私たちはそれと長い間闘ってきた。彼らにも魂があるということを証明したかった。待遇を改善してあげたかった。だけどそれももうおしまい。
 そもそもこの世に生みだされるべきだったのかどうかを考えるようになったときには、もう遅すぎた。こういうことは動きはじめてしまう止められないの。癌は治るものと知ってしまった人に、どうやって忘れろと言える? 不治の病だった時代に戻ってくださいと言える? そう、逆戻りはありえないの。あなた方の存在を知って気がとがめても、それより自分の子どもが、配偶者が、親が、友人が、癌や運動ニュートロン病や心臓病で死なないことのほうが大事なの。それで、長い間、あなた方は日蔭での生存を余儀なくされました。世間はなんとかあなた方のことを考えまいとしました。」
ねぇ。重いけど、大切な話でしょう?

小説に、映画のラストの台詞「私たちと、私たちが救った人々に、違いがあるの?」がありません。
もっともっと感動的な終わり方だと思いました。
キャシーは、一度だけ、自分に甘えを許したことがある。と言ってこう続けます。

「わたしは少しだけ空想の世界に入り込みました。なんといっても、ここはノーフォークです。トミーを失ってまだ二週間です。わたしは一度だけ自分に空想を許しました。木の枝ではためいているビニールシートと、柵という海岸線に打ち上げられているごみのことを考えました。半ば目を閉じ、この場所こそ、子どもの頃から失いつづけてきたすべてのものの打ち上げられる場所、と想像しました。いま、そこに立っています。待っていると、やがて地平線に小さな人の姿が現れ、徐々に大きくなり、トミーになりました。トミーは手を振り、わたしに呼びかけました…。空想はそれ以上進みませんでした。

わたしが進むことを禁じました。顔には涙が流れていましたが、わたしは自制し、泣きじゃくりはしませんでした。しばらく待って車に戻り、エンジンをかけて、行くべきところへ向かって出発しました。」