Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

著:里見弴 『夜櫻』

里見弴の「夜櫻」を読みました。

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昔の雑誌や初版で読めるのは嬉しい。

その頃の雰囲気を合わせて味わうことが出来るから。シミや汚れ、やぶれも愛嬌。

 

先日、この目次の作家陣をご覧になったwattoさんが「ありえん豪華さ!(゚Д゚;」と言われました。

本当にそうですね。

 

  川端康成 (54歳) 34歳の作品。芥川龍之介 ( 没 ) 30歳の作品。永井龍男 ( 49歳 ) 20歳の作品。

  永井荷風 ( 74歳 ) 29歳の作品。岡本かの子 ( 没 ) 49歳初稿。武田鱗太郎 ( 没 ) 35歳の作品。

  太宰治 ( 没 ) 37歳の作品。里見弴( 65歳 ) 32歳の作品。 

 

まだ存命で活躍している人もいる。こんな一流どころの作家がまだ若手の頃の作品をずらりと並べて。。。こんな雑誌作りがあったんですね。

でも今の雑誌だって、5~60年経ったらこれと同じ感動を味わうことが出来るかも知れぬ。

・・とまあ、またまた脱線してしまいました。

 

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「夜櫻」は、里見弴さんが33歳の時に発表した作品。

遊びに来ていた姉の友だちを、赤坂の仲の町から永田町まで送り届けることを仰せつかった弟たちの小景です。

上の弟 健太郎16歳、下 勝次郎は14歳。

健太郎は、どうやらこの娘 ( 姉の友だち ) にほのかな恋心を寄せているらしい。

ところが娘は、坂道でかけっこをしたり、鬼ごっこをねだったり、弟の方とばかりはしゃいでいる。

弟の方も屈託ない様子で娘に甘えているものだから、兄としては面白くない。

 

里見弴は、この作品で多感な時期の男の子の心象を見事に表現しています。

流石

里見弴の代表作といえば、「安城家の兄弟」「多情仏心」「善心悪心」「今年竹」あたりでしょうが、

私は「俄かあれ」「縁談窶れ」などのちょっとした短編や小気味の良い「極楽とんぼ」などが好きです。

実話をデフォルメして、その時感じた心理を見事に売れる話に変える力を、里見弴は持っています。

華麗な描写とテンポのよい表現力、こざっぱりとした品の良さ。

そんなところが里見弴作品の魅力ですが、この「夜櫻」でも十分に魅せてくれます。

 

夜櫻が咲く帰り道、気分が高揚し 追ッかけっ子をしようという勝次郎

送り届ける役目を言いつかって大人ぶる健太郎

3人のやりとりはこんな感じに進みます。

なんかおこってるの?

おこってなんかいないさ

じゃあ、どうしたのよウ

駄目だよ、兄さんは、詩人だから・・・

しじん? しじんてなアに?・・あゝ詩人か。生意気いってるわ、勝ちゃん、詩人ってどんなもんだか知りもしないくせに

知ってるとも。・・・あのね、兄さんはね、こんな晩に桜の下で、鬼ごっこなんぞするのは野蛮だと思ってるんだよ。それより、そこらをぶらぶら歩いたりして、歌でもよんだほうがいいんだろう?

あら、そんなことないわねぇ。・・・じゃあね、鬼ごっこでなくってもいいから、二人であたしを追ッかけてくれない? あたし、きっとなかなか捉まらないことよ

そんなことしたひにァ、ひとが何かと思はァ

だって健ちゃん、人ッ子一人いないんですもの、かまやァしないじゃないの

だァれもいないから、なおおかしいのさ

あらへんね、だァれもいなけれァ、だァれもおかしいともなくとも思う人がないわけじゃないの

よる夜中、そんな、・・・氣違ひじみてていやだ。それより、あんなに何遍も電話がかかって来たくらいだから、きっとおしんちゃんとこのお母さんが心配してるよ

かまやァしなくてってよ

と、じれったそうに言い放ったようなものの、娘もちょっと気を挫かれた。

――そひに、みんなの気持ちがちぐはぐになったような沈黙が来た。

 

このあとがまたいい。

 

月の面を雲が行くか、あたりの色が吸いとられるようにスウッと暗んで、花がしきりに咲く。自分ひとりの気持ちから、折角上機嫌になっていたみんなを、ふとつまらなくしてしまったことで、兄の陰鬱は一層暗く、頑なにもつれてしまった。

 

弟はふいとそこを駆け出して行って、奉納の大砲に攀じ登った。

 

「月の面を雲が行くか、あたりの色が吸い取られるように~」だなんて、

あまりの見事さにゾクっときました。

「夜櫻」短い作品なので、機会があったら是非読んでみていただきたい。

できたらば、桜が咲いているこの時期に。。。。なんてね。

 

 

【当時の地名】

「夜櫻」が書かれたのは大正6年で、冒頭にもあるように赤坂中の町とか、三平坂、鈍角 ( なまがね )、

日吉橋と、旧地名が色々出てきます。

下は『大正9年東京全圖』。ちょうど夜桜が発行された年の地図です。

 

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赤丸でわかるように、中の町は現在の赤坂6丁目、氷川神社のあたりです。

里見弴年譜によると、里見弴が3歳の時に父親は大蔵省国債局長として、文中にも出てくる「大蔵大臣官舎」に住んでいます。 そして里見弴が入学した小学校は赤坂仲ノ町小学校なのです。

 

また里見弴には、4つ上に姉が、3つ上に隆三という兄さんがいるのですが、

年齢構成を考えると、隆三が健太郎、里見弴が勝次郎のモデルではないかと読み取れる節があります。

でもまあそんなことは作品には関係ないこと。。

なんとなく、里見弴の少年時代を重ね合わせて、むふふと喜んでいるだけのことなのです。