Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

鬼平外伝 正月四日の客

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≪あらすじ≫

枕橋のたもとに「さなだや」という蕎麦屋があった。

初老の夫婦が切り盛りするこの店では、毎年正月三が日を休み四日から店を開けるのだが、

その正月四日に限っては故あって「さなだそば」というものだけしか出さなかった。

 

さなだそばとは、ねずみ大根をすりおろし、

この搾り汁をそばつゆにたっぷり合わせて食べるのであるが、これがとてつもなく辛い。

ねずみ大根は、信州上田から松代にかけ山国のやせ地に育つ細く貧弱な大根であるが、

形がねずみに似ている為、その名が付けられた。

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当然寒い季節のものであり、辛みも増す。

そんな辛いさなだ蕎麦であるから、それしか出さない正月四日には常連客すら寄り付かず、

誰も来ない年が続いた。

 

ところが、ある年の正月四日、ひとりの男がさなだやにふらりとやって来て、

さなだ蕎麦を注文したのである。

そば屋の主 庄兵衛と、毎年正月四日に訪れる客、小五郎。

まったく違う人生を歩む2人を、辛みの効いたさなだ蕎麦が繋ぐ。

 

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読み進む内に、 さなだやの主人がどうして正月四日に「さなだそば」を作るかがわかってきます。

正月の江戸の風景が目に浮かんできて、しみるような静かな感動を呼ぶ作品でした。

 

ゴールデンウィークに上田から安曇野に行った話をしましたが、

安曇野の蕎麦屋でどうしても食べたかったのが「辛み大根の蕎麦」でした。

 

安曇野 そば処上條~辛み大根の汁で食べる「おしぼりそば」

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出典: 信州 I・U-turn&tourist information~そば処上條

 

安曇野の蕎麦屋で食べられるかと検索してみつけたのが、そば処上條。

お店の駐車場にまで行き着いたのですが、1時間以上の席待ちとのことで断念し、

辛み大根を堪能することは適いませんでしたが、本を読んだ後だったので、

今でも地元では人気の一品と聞き驚きました。

 

蕎麦屋の名前「さなだや」は、もちろん上田の真田に因んだものと思われます。

孤児だったさなだや主人が引き取られた先が篠ノ井。これも4月 (上田行の帰り) に通った場所でした。

 

本に出てきた事柄を、実際見聞き出来ると、物語がずっと身近になるものです。

さなだやの店主が信州で過ごした孤児の頃の気持ちや、そばにこめる念いが、

上田を旅したことでより深く想像できるキッカケになりました。

 

さて、ここからは、、、「正月四日の客」の本と映画に触れる内容です。

これから読もうと思う方、映画を観ようと思う方にとっては、お邪魔になること必至です。

なので、続きはとじ込みに⇒

 

 

CSの時代劇専門チャンネルで「正月四日の客」をドラマ化したものがDVDになっていました。

鬼平外伝 正月四日の客

さなだやの主人を柄本明さんが演じられるようでしたが、

もう1人の大看板として松平健さんが写っています。

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「もしや松平さんが客の役をやるのか」

 

原作の主役は「さなだや」の主人で、客は準にあたる役どころ。

「松平さんは、それを承知で引き受けたのか、

 いやもしかして、役が立つように書き変えたのではないだろうか」

 

予感は的中。

ドラマの「正月四日の客」は松平健演じる客―亀の小五郎が主役になっていました。

原作の小五郎は「盗賊のお頭で、盗みに入った家で女を手籠めにしないと気が済まない」という大悪党。

ところがドラマでは「女を手籠めにする悪党」というのは裏切者の手下の嘘で、

本当は貧しいものからは盗まず、手下が狼藉を働くのをきつく罰する立派な(?)お頭だったのです。

もちろん盗賊ですから≪善≫とは言えませんよね、

でも小五郎が盗賊に身を落すしかない過去も書き足され、同情の余地がある人物になっているのです。

 

脚本の金子成人さんは、

お互いに小さい時、地獄を見た。

 その二人が辛みのきいたさなだ蕎麦で、心を通わせる」という設定に作り替えています。

そしてドラマの最後では、さなだや主人が誤解をしていたことがわかるようにして、

感動的なラストシーンに仕上がりました。

 

でも。

亀の小五郎から極悪のイメージを取り去ったことにより、

池波正太郎が描きたかったテーマからは離れてしまったのも事実です。

そのテーマとは、亀の小五郎がさなだや主人に言うこのセリフ。

 

「人間の顔は一つじゃねえ。

 顔が一つなのは爺い、てめえぐれえなものだ。」

 

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心を通わせた相手が、本当は自分が憎むべき男だった。

そこに不条理な世の中が見えてきます。

しんしんと降る雪の枕橋で、しょっぴかれる男を見ている主人。

これもまた、ドラマとは違う感動をよぶ結末です。

 

いつも思うことですが、原作本とドラマ ( 映画 ) 化は、

全くの別物としてとらえることこそ、両方を楽しむ秘訣だと思います。

 

当時の古地図 想像力が広がります

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現 枕橋付近 幻滅といわれても仕方ない

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ドラマの枕橋 これもまた、ひとつの世界。。。

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枕橋のたもとにある看板

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