Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

田園調布の歴史

田園調布の住宅地は、大正七年に渋沢栄一さんが構想をねり分譲されたのだそうです。

駅前の噴水広場には、こんな看板があります。

f:id:garadanikki:20170131112301j:plain

f:id:garadanikki:20170131112302j:plain

田園調布の由来

 この広場を中心とする凡そ八十万平米の地域は、昭和文化の先駆者渋沢栄一翁が、我国将来の国民生活の改善の為に、当時漸く英米に現われ始めた「田園都市」に着目して都会と田園との長所を兼ねた模範的住宅を実現させようと念願して、既にあらゆる公的関係から退かれた後であるにも関らず自ら老躯を運んで〇しく土地を選定された所であります。

 

 その目的の為に大正七年、田園都市株式会社が創設されて、翁の理想に共感する人々に土地の分譲を行ない、我国最初の近代的大計画市が実現しました。そして居住者による社団法人が生まれました。

 

 この都市全体を一つの公園のように明るく美しいものにする為、建築その他に関し色々な申し合せを固く守り殊に道路との境界には一切土塀板塀などを設けず、花壇か生け垣の低いものの程度にすることなどを、厳格に実行しました。その協力の結果、この明るい住宅地と〇して散策地が生まれたのであります。

 

 大正十一年には同社の姉妹会社として目黒蒲田電鉄が創立され大正二年三月、当時荏原郡調布村であった当地に調布という駅が設けられ間もなく田園調布という駅名に改められました。その後この地区が東京市に編入された際、町名改正がおこなせれて当都市のみならず周辺の町村をもひろく含めて田園調布と呼ぶこととなりました。その折当会の地域は頭初の田園都市の焼く三分の二となり、他の三分の一は、世田谷区玉川田園調布となりました。

 

 ここに明るく住む方々も、ここを来し訪れる方々も、渋沢翁が永くここに栄えてゆくようにこの田園都市を愛護して下さるようお願い致します。

 昭和三十四年秋

               社団法人 田園調布会 会長 矢野一郎

 

 

田園調布の街並みは「土塀や板塀は禁止」などの細かな申し合せの結果、生まれていたんですね。

「社団法人 田園調布会」のホームページ をのぞいてみたら、こんなことも書いてありました。

 

田園調布会では、独自に建築計画に関する細かな取り決めをしています。

例えば、高さ制限。

高さは9メートルで、地下2階までにするとか。。。

地階には住居部分を作ってはならない。

土地を分割して売る時は、分割後の各々の土地の面積が165平米を下回らないようにする。

ワンルームタイプの集合住宅は禁止。

駅前の一部の地域を除いて飲食店、物品の販売店の建築は一切ダメ。

事務所としての利用は認めるが、看板の掲出は認めない。

門扉とその袖壁は接道境界線から1メートル以上内側に作ること。

工事できる時間帯や、解体工事の折「既存樹林は極力残し、必要最小限の伐採にとどめる」なんてこともうたっている。

 

細かっ!!!

ここまで細かく取り決めがあるのか。。。

でも、こうまでしなければ田園調布のような環境は築けなかったのかも知れません。

目的を同じとする人たちが協力した街づくり、出来そうでなかなか出来ないことです。

しかし、そうして作った理想の地に、脈々と住み続けられるかというと、これも難しい。

日本は相続税が高いですからね。

 

おじいさんが買った土地は、三代目には手放さないとならないくらいの厳しい税金なんだそうです。

そうでもしなければ、お金持ちはいつまでも良い場所に住み続け、

お金持ちの家に生まれなかった人は、努力してお金が出来ても、良い土地は入手不可能になる。

皮肉なものです。

 

細かい規約で思い出した場所がもうひとつありました。

葉山の「披露山庭園住宅」通称、披露山御殿です。

こちらも広大な斜面をきり開いて分譲にした高級住宅地。

日本のビバリーヒルズと言われた披露山も、かなり厳しい規制が設けられています。

披露山の方は昭和43年分譲ですから、田園調布のシステムを見習ったのかも知れません。

 

先の申し合せの「土地を分割して売る時は、分割後の各々の土地の面積が165平米を下回らないようにする」という規則、これは売り手にとっても大変ですね。バブル期ならいざ知らず、今165平米以上の土地が買える人なんてそうはいない。

代替わりして、親が残した広大な土地を維持し続けることは難しい。

じゃあ売るしかないとなっても、165平米以下に切り崩して売ってはダメなんていう話になったら、

どうしましょう。

大正七年、この田園調布の分譲地を買った人たちは、子孫がこんなことで四苦八苦しているとは想像もしなかったでしょう。

まあ、余裕で暮らしているおお、おお、おお金持ちさんもいるでしょうけどネ。。。

 

 

ここは大きな洋館が建っていたけれど、今は更地になってます。

f:id:garadanikki:20170131172742j:plain

 

 

「売地」とは書いていないから、建て替えかもしれません。

f:id:garadanikki:20170131173115j:plain

あの洋館は、壊してしまったのかなぁ。

f:id:garadanikki:20170204165111j:plain

 

江戸東京たてもの園にある「大川邸」も、田園調布にあった建物を移築したものでした。

 

名建築は、個人では維持できないこともあります。

もしも江戸東京建物園のような施設をもっとあったら、残してもらえるお家もあるのになぁ。。。

建物好きのはかなし願い。

 

 

※ 田園調布の街並み、なかなか見て歩けないかもしれません。

グーグルマップのストリートビューでお散歩してみるのも楽しいです。

Google マップ