Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

梅屋敷東通り 道標を目指して~

梅屋敷、ぷらもーる梅屋敷と反対側の商店街に入りました。

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あら、こちらのうどん屋さんも気になる。 

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うめやストアー、いいですね 昭和だ。 

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とりこさんがコーヒーフロートを飲んだお店がここですね。

残念。

こちらも今日はお休みです。 

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また海苔屋さんだ。

こちらは「問屋」さんなんですね。

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うぉー、やっぱりこの看板、目立ちます。 

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さて お目当ての地図 

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凄い、こんなのあるんだ。

クギみたいなので、何かを引っ掻いて作ったのかしら。

銅板自体に直接書き込んだのなかぁ。

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手書きの字が汚いところが筆字ではないみたいですもの。

おもろーーーーー

ほとんどの方は、そんなに興味ない世界だとは思います。

でも。。。

しばらくはディープにどっぷりと趣味にのめりこんでしまいそうです

                          <(_ _)> ごめんちゃ

 

道標 古海道 (旧東海道) 北口と堀之内 ほんのち 謂れ いわれ

タイトルからしてすごい。

ここは古道だったんですね、

看板 ( 道標 ) があったところは、昔の旧東海道の北の入り口ですってよ。

すごいすごいすごい!!!!!

 

本文に入ります

本図は大森堀之内の大正初年当時を復元した町並図である。

大田区の『地図で見る大田区 ( 1 ) 』によると、

堀之内全域は低平な多摩川デルタの中でも小高い自然堤防の突端に位置し、

 

これが「地図で見る大田区 ( 1 )」p131 件の地形分類図です。

クリーム色の部分が、黄緑色の部分よりも少し高い場所。

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この地図の解説には、こんなことが書いてあります。

これは『「大田区の地盤と地震」のあらまし』(大田区建築部指導課 昭和56年12月発行 ) の付図。

旧河道 ( 過去の河川水路の跡 ) と、25ページの明治初年の迅速図を比較すると大変興味深い。

 

どらどら? 明治初年の迅速図ね、面白くなってきたぞ。

     (つて、私以外は面白くないでしょうが www)

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これは明治前期の大田区

この地図は比較的綺麗で見やすいですが、

残念ながら新田堀や陣屋堀が書かれていません。

 

最初の道標をよく見ると、お堀が沢山あったんです、このあたり。

だから堀之内という名前なんだそうです。

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銅板の道標だとちょっと見にくいので、古地図に書き込んでみました。

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道標には続いてこんな記載があります。

東側には「古海道」と呼ばれる二間幅の道がほぼ南北に通じしかも呑川と陣川 ( 陣屋堀ともいい、大正期の堀幅六尺、土揚げ三尺 ) に挟まれている。

まさしく要害の地であり、古い時代に拓かれた鎌倉への道と思われる。

旧神戸橋で呑川を渡り、六郷の渡しへと古海道は続いている。

しかも興味深い事に大森堀之内は、中世の城館址記録に鎌倉時代、この大森郷を支配した大井氏の居館 ( 陣屋 ) があった所と言われている。

そうなのか

大井氏の陣屋があったから大井という地名があって、

その人の居館を守るために掘られた堀 ( 新田堀とか陣屋堀 )  だから、堀之内というのか。

ニマニマ

昔の人って偉いですね。

自然の地形をうまく使って城を作っているんだもの。

そういうお話は、ぶらタモリにもよく出てきますよね。

大森の陣屋もそうでした。

東は自然の呑川を使い、自然のちょっと小高い大地に居を設け、東や南を人工の堀で囲ったんですね。

 

この道標の、更に面白いのは、住んでいた人の名前が沢山書きこまれていること。

この辺りは橋本さんや高橋さんが多い(笑)今でいう住宅地図だ。

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ところで。

ここに書かれた貴船神社って、今は見当たらないのです。

明治の頃の地図には⤵ まだ確かにあるんですが、姿を消しました。

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それから道標から少し歩いたところにある「神明様」というのも今はない。

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古地図を見て位置確認をする時には、川や橋や寺社仏閣を目印にします。

橋は昔の名前がそのまま残ることが多いですから。

それに、神社もかなりの確率でその地に残っています。

しかし貴船神社も神明様もない。( ※国道の反対側にある貴船神社とは別 )

神明様があったあたりをうろついていたら、個人のお宅の敷地にこんなものを見ました。

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位置的にいうと「神明様」があったあたりなんです、、、、

 

まさかねぇ。

ぶらタモリとか、テレビだったら、インタビューさせてもらえるのになぁ。

個人の散歩者は、そうも出来ずにもどかしい。

 

八幡神社はありましたよ。 

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素晴らしい神社でした。

境内も綺麗に清められていて、

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お花も沢山植えられている。

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氏子さんが大事にまもっている尊い神社さんなんでしょうね。

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この辺りを歩いていて、松の木が多いのに気がつきました。

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マンションのような堅牢な造りには、優しい幹の木が似合うんだそうで、

私が住んでいる渋谷あたりでは、松はあまり見かけなくなりました。

でも、個人のお宅にはやはり松が似合う。

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いいものです。

 

今回は、趣味に走ってしまいましたな。ははは。

梅屋敷を歩いていて、このあたりのことを色々知りたくなって、最後に目指したのは。

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子供たちの遊び場の奥にありました。大田区立蒲田図書館。

 

「道標や梅屋敷ことに調べたい」と相談したら、

司書さんが何人がかりでで色々な資料を集めてきてくれました。

「渋谷区の方なら図書カード作れますし、貸し出しできますよ」と言われてしもた。

帰りは大量の資料と、惣菜を抱えて重いこと重いこと。

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でもうれしい。

・・・でも。

こんな資料に囲まれて、、、私はなにがしたいのだろう (;^_^A