Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

日暮里から谷中墓地を散歩しました

お医者の帰り、日暮里を歩いています。

(5/26のお話、腰をギクっとする前日のお話です)

最終目的地は根津。

そこに行くには西日暮里から千代田線に乗り換えるのが常套です。

しかし、初めての町を散策したいと思い、雨上がりの日暮里を歩いています。

 

日暮里は西口と東口とで印象が全く違います。 

谷中の夕焼けだんだんは、駅の改札を左、西口にあります。

東口で知っているのは談話室ニュートーキョーと、駅前の太田道灌像くらいなもの。

 

今日は馴染みのない東口駅前から南に向かって歩いてみようかな。

しかしこれといって何もない街が続きます。

おや、羽二重団子? ここと書いてある。

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おや? おやおや? どこさ羽二重団子。

「ここ」という方向には更地しかなく、とうとう見つけられませんでした。

※ 追記) 帰宅後調べてみたら、羽二重団子本店は確かにこの場所でしたが、2019年まで改装工事中で休店。仮の本店及び販売所は駅の方にあるそうです。

 

仕方ない。

羽二重団子は次回にして、そろそろ西方向に向きを変えます。

線路にかかる歩道橋を渡り、谷中墓地に入りました。

だったら夕焼けだんだんから来ても良かったかもな。

 

御隠殿坂たぁ、立派な名前。

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今来た歩道橋をふりかえってみたけれど、これといった坂じゃない。

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なになに?

f:id:garadanikki:20170527150724j:plain明治四十一 (1908) 刊『新撰東京名所図絵』に、「御隠殿坂は谷中墓地にに沿ひ鉄道線路を経て御隠殿跡に下る坂路をいふ。もと上野より御隠殿への通路なりしを以ってなり。」とある。

御隠殿は東叡山寛永寺住職輪王寺宮法新王の別邸。

江戸時代、寛永寺から別邸へ行くため、
この坂が造られた。

「鉄道路線を経て」は踏切を通ってである。

 

なるほど。

さっきの歩道橋の左に沿ってなだらかに下っている坂が「御隠殿坂」だったのか、

昔は左の坂を下りた所に踏切があってそれを通ったということらしいです。

 

 

 

 

御隠殿坂を上り、ふと右を見ると広い敷地に、大きな墓石がありました。

澁澤孺人尾高氏之墓 

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澁澤に尾高といえば、もしかして、、、澁澤榮一さんの墓?

 

 

おお、これだこれだ「青淵澁澤榮一之墓」

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青淵というのは、澁澤榮一の雅号です。

 

なんということでしょう。

偶然というよりも澁澤先生のお導きによる出会いでしょうか。。。

勝手に「先生」などと言いましたが、私の中ではよくよく耳にするお名前です。

最近、名所や事柄に触れ合うたびに出てくるのが太田道灌の名前なんですけど、

その次に出てくるのが澁澤榮一さんなの。f:id:garadanikki:20160703104542j:plain

幸田露伴の「澁澤榮一傳」を読んだので、気になるのかも知れませんが、

それ以来、散歩した場所、見たり読んだりしたもの、興味を持った人に澁澤さんがまつわっていることが多いのです。

場所でいえば飛鳥山公園や富岡製紙場、テレビなら「朝が来た」、

経済界の人物の影には必ずといってよいほど「澁澤榮一」の名が出てきます。

 

個人のお墓の写真は撮らない主義ですが、

ここは有名人ゆえ、記念に一枚。

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実はこの四つの墓石、

左から澁澤さんの後妻の墓、澁澤さんの墓、先妻の墓、

一番右の普通サイズは渋沢家 ( ご家族 ) の墓です。

 

澁澤榮一さんのお墓を挟んで、

右側が先妻 -千代子さんのお墓で「澁澤孺人尾高氏之墓」

左側が後妻-兼子さんのお墓で「澁澤孺人伊藤氏之墓」と書かれています。

 

孺人は夫人という意味らしく、その下に書かれた「尾高氏」と「伊藤氏」は夫人の旧姓です。

前妻-千代子さんのお墓は読めませんでしたが、後妻-兼子さんのお墓の裏面には、

こんなことが書かれていて、資料として

第57巻(DK570022k)本文|デジタル版『渋沢栄一伝記資料』|渋沢栄一|公益財団法人渋沢栄一記念財団

で読むことが出来ます。

祖妣諱ハ兼子、嘉永五年一月十五日江戸ノ旧家伊藤氏ニ生ル、考諱ハ八兵衛、妣諱ハ今、祖妣ハ其五女ナリ、祖考青淵先生ノ元配尾高氏卒スルノ明年来リテ先生ニ嫁ス、先生志常ニ国家ニ在リ、興業殖産大ニ国利民福ヲ増進スルヲ以テ己カ任ト為ス、是ヲ以テ晨ニ起キ夜ニ帰リ東奔西走内ヲ顧ルニ遑アラス、祖妣能ク先生ノ旨ヲ体シテ倹素中饋ニ任シ、凡ソ衣服飲食ヨリ賓客ノ接遇ニ至ルマテ皆親ラ婢僕ヲ督シテ之ニ膺レリ、子女ヲ教養スルニ寛厳併セ用ヰ、能ク学ヲ嗜ミ業ヲ励マシム、独リ家ニ在リテ此ノ如ク心力ヲ竭スノミニアラス、先生ノ趨ク処大抵其傍ニ侍シ、為ニ足跡殆ト邦内ニ遍シ、先生初メ欧米ヲ巡遊シ後又米国ニ航ス、祖妣皆随従シテ労ヲ厭ハス、常ニ仏ヲ信シ日夕勤行懈ラス、時ニ和歌ヲ詠シテ自ラ娯メリ、又心計ニ精シク、建築ニ趣味ヲ有ス、先生葬スルノ後自ラ設計シ新邸ヲ巣鴨ニ営ミテ遷リ住ミ、静カニ余年ヲ楽メリ、未タ幾ナラス、昭和九年春病ヲ獲三月一日溘逝ス、享年八十三、仏諡シテ承徳院慈雲謙室大姉ト曰フ、越エテ四月先生ノ墓側ニ葬ル、今玆小祥ニ当リ石ヲ墓上ニ樹テ、以テ行実ノ梗概ヲ鐫スト云   昭和十年歳次乙亥三月        孫渋沢敬三 

 

榮一さんの孫 敬三さんが建立したもののようです。

榮一さん、二人の奥様にはさまれて眠る。

どんな心持なのでしょうか。

 

谷中墓地は、有名な方が沢山眠っています。

興味深いのは、澁澤さんのお墓が徳川慶喜の墓の1ブロック隣にあったことです。

徳川慶喜は江戸幕府最後の将軍かつ日本史上最後の征夷大将軍で、

澁澤榮一は、その最後の将軍に仕えた最後の幕臣だったのです。

澁澤家の墓が徳川慶喜を見守るように建てられているのは感慨深いものでした。

 

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どうせ谷中墓地を通るなら、夕焼けだんだんから来ても良かったなと思いながら、

ある貼り紙を見ていました。

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そうか、地域の親交会やボランティアの皆さんで協力して地域猫を見守っているのか、

みんな不妊去勢手術をされてしまうのは、個人的にはこれ以上赤ちゃんが見られないという意味で残念な気持ちもありますが、谷中ではこうして皆で一代限りになった猫たちの世話をしているというのは素晴らしいことだと思いました。

そんな貼り紙をぼーっと感慨深く読んでいると、いきなりフレームインしてきたのがこの子。

 

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おやまあ、気が付かなかったよ、可愛いね、

大きいね、穏やかで人なつっこい子だね、君は。

 

男の子かい、

耳を後ろに向けて、声をかけてくれるのをじっと待っています。 

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見知らぬ人間が背後に回っても平気だというのは、

やはりこの地域で大事にされている証拠でしょうね。

 

私が近所でご飯をあげたりしているにゃんこたちと同じ、いやそれよりも

人間の怖さを知らないし、ぷくぷく太って毛艶もよい。

大切にされているのがわかります。

 

雨上がりで濡れたようなので、タオルで拭いてあげたら、ゴロゴロ言ってます。

小さい犬を散歩に連れて来たおじいさんが、立ち止まりました。

この子は、犬が来ても全然動じないからです。

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おじいさんは、飼い犬をすっと抱き上げて言いました。

「この辺の猫は、犬を見ても逃げないどころか、犬に飛びついてくるからね。

 ちょっと前にも友達の犬が鼻の頭をひっかかれたんですよ。

 危ないからこうやって抱いて通らないと」

 

なるほど。

犬よりも猫の方が我が物顔の町、それが谷中なんですね。

このにゃんこ、しばらくついてきましたが、

「ごめんね、先を急ぐから、また今度遊んで頂戴よ」というと、

わかってくれたらしく、私を見送ってくれました。

 

ああ、時間があったらずっと遊んでいたい。

今度は団子屋に、墓地のにゃんこにと、時間をたっぷり作って再来したいと思います。

先を急ぐワケ?

そうなの、また「食い物関係」なのです。 (;^_^A

 

つづく