TAKARAZUKA
ここが宝塚歌劇団の本拠です。
タクシーで乗り付けている人もいます。
これから公演が始まるのかな、憧れのスターに会えるお客さんワクワクでしょうね。
歌劇団を作ったのはこちらの方。
小林一三さん。
朝倉文夫さんが作った彫刻は、凛々しい中に穏やかなお顔をなさっています。
実業家として修羅場をたくさんくぐって来られた方だから、さぞから鋭い目つきかと思いきや。。。
トップにたつ方は、貫禄と鷹揚さをあわせもつものなのか。
そういえば、澁澤榮一さんも穏やかなお顔です。
澁澤さんと小林一三さんにはこんな繋がりもあります。
東京、田園調布を理想的な高級住宅地にしようと立ち上がったのは澁澤榮一さんでした。
ところが実質的なプロの経営者がいなかった。
澁澤さんたちは人づてに、小林さんに協力を求めました。
当時小林さんは既 ( 4年前 ) に、阪急デパートを作り、電鉄を開通させ、宝塚や動物園なども創設し、宝塚に宅地を開発するなど、大きさな事業を次々と成功させていました。
「レジャー施設や百貨店を鉄道で結び、宅地を造成する」
西武の堤氏、東急の五島氏などが習ったビジネスモデルは、小林さんから来ていたんです。
上の碑にもあるように、
小林さんがいなければ宝塚も、阪急電車も、素晴らしい住宅地もなかったでしょう。
小林さんは澁澤さんより33才年下でした。
二人の出会いはこんなところにありました。
明治26年 ( 1893 )、二十歳の一三は、日本橋室町の三井銀行本店に勤務することになりました。
はじめに配属されたのは、秘書課。
毎週一回、三井財閥の最高決定会議である仮評議会が本店三階で開かれたが、ここに集まるお歴々の中に澁澤さんがいました。
一三の仕事は、茶や弁当を配る位のものだったが、財界の巨頭たちの議論に、直接触れる事が出来たのは、貴重な体験だったことでしょう。
それから27年後、澁澤さんの田園調布の仕事を助けることになったのが小林さんというのも、興味深いと思いませんか。
最後に、小林さんの名言をひとつ。
「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。
そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。」
参考資料
第10回 小林一三(その一)百貨店や不動産を鉄道で統合する---世界に類を見ない「独創的」経営者(福田 和也) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
歴代の経営者たちの軌跡を探る 明治・大正・昭和の ベンチャーたち|J-Net21[中小企業ビジネス支援サイト]