八幡堀に来たら、近江牛のメンチカツを食べる。
⤴ 密かに抱いていた望み、でもお店 とうとう見つかりませんでした。
表通りに戻ってみたらショールームみたいなのがある。
ご自由に。
うーん外は暑いから、少し休ませてもらおう。
そんな不埒な理由で入りましたが、、、
驚いた
知ってる、知ってる 有名な、、、昔からよく使っていたメンソレですよ。
「メンソレ」とか「メンソレータム」って言ってたけど、「メンターム」というのか。
それに、、、、 近江兄弟社っていう社名だったんですね。てっきり外国のものだと思ってたの。
注 ) 近江兄弟社は、日本の特約店みたいで、メンソレータム自体はやはり外国製品でした。
そして、おおおおっ。
この人がヴォーリズさんか。近江八幡に入って何回この名前を見たことか。
子供の頃からお世話になった「メンターム」は、ヴォーリズさんが作ったものだったんですか。
年譜がありました。
ざっくりと抜き出してみると、こんな感じ。
・アメリカカンザス州で生まれる。
・建築家を目指すが、家庭の事情でYWCAに入る。
・日本に来て、近江八幡の滋賀県立商業学校の英語教師になる。
・課外活動でバイブルクラスを開き、多くの学生が集まったけど、
宗教はダメと教師を解雇となる。
・吉田悦蔵、チェービンと建築設計監理の「ヴォーリズ合名会社」
を作る。
・伝導雑誌「湖畔の声」を創刊する。
・メンソレータム創業者ハイド氏と再会、
メンソレータムの日本代理店をつくる。
・アメリカの友人達やツッカー女史が、結核療養院として
近江療養院を作る。←現在のヴォーリズ記念病院
・子爵一柳末徳の三女・一柳満喜子と結婚。
・満喜子、保育所ブレイグラウンド (現ヴォーリズ学園) を設立。
・メンソレータムの輸入販売を始める。
・ハモンドオルガンの日本総代理店を設立する。
・日本国籍を取得。一柳米来留 ( ひとつやなぎ めれる ) と改名。
・近江八幡市名誉市民第一号に推される。
・建築業界における業績により黄綬褒章を授与される。
・召天。正五位、勲三等端宝賞を受ける。近江八幡市の市民葬と近江兄弟社社葬の合同葬の上、
恒春園に納骨。
凄い。
YWCAだから伝導でしょうが、アメリカから近江にやってきて、ずっと近江にいらしたんですね。
メインは伝導でも、建築もやって、福祉も教育も手掛けて、ハモンドオルガンやメンソレータムなどの商売もする。子爵のお嬢さんと結婚した時には「社交界の特大事件」と言われたんですって。
日本に来て、商売をされたり、伝導活動をされたりする外国人は沢山います。
その全ての人が、ヴォーリズさん並みに市民から愛される存在になれるとは限らない。
功績は勿論でしょうが、ヴォーリズさんには人を魅了する力があったんでしょう。
通りの反対側にオブジェがあります。
花を差し出す少女の先には →→→→→→→ ヴォーリズさん。
少女がささげる花瓶には生花が差してある。
ヴォーリズさんが手に持っているのは聖書なんでしょうねきっと。
追加 今回見られなかった所
八幡教育会館 や 西川さんを始めとする旧〇〇屋敷跡の数々。
注意深く歩けば、素敵なお屋敷や、歴史ある洋館も沢山見つかることでしょう。
ロープーウェイで登る八幡山からの景色も素晴らしいと、あとから知りました。
水郷めぐりも楽しそうだし、近江商人のことももっと知りたいし、
近江牛のメンチカツも食べたいし、今度はあの 初雪食堂にも入ってみたい。
近江八幡、再訪したい素敵な場所が増えました。