今年最後の朝顔
大輪の、こんな珍しい色でした。
昨年の種に加えて、白系も買い足した今年のベランダは、
元気なのは白い色ばかりで、紫や青やピンクは小ぶりな花づきでした。
色々な柄や色を試してみて、遠目からでも朝顔らしいのはやはり濃いブルー系でしたので、
「来年は、青を多くしよう」と思っています。
最後の朝顔、可憐な風情で健気に咲いています。
壇蜜さんだったら、こんな浴衣の柄が似合いそうだな。
可哀想に、もっと暑い日に咲きたかっただろうに。
10月になり、急に寒くなったので ほうき草もいっきに色づいた。
10月2日の紅葉
4日後には、こんなに赤くなりました。
ほうき草の実が「とんぶり (地膚子) 」だということを、恥ずかしながら最近知りました。
みをつくし料理帖で澪が作った「ははきぎ飯」は、このとんぶりでした。
みをつくし料理帖 第4巻 今朝の春
つるやにぶらりとやって来る、小松原という浪人に密かに思いを寄せている澪は、彼が置き忘れていった「ははきぎの実」が、肝臓病や浮腫みを治す効能がある薬種だと知り興味を持ちます。
第4巻 「ははきぎ飯」は、ははきぎの実を食用にするに、寒い中震えながら硬い皮を外そうと懸命に桶の中で揉み洗いする澪のお話でした。
当時、ははきぎ ( とんぶり ) の実を取り出すのはとても骨の折れる作業で、凍てつくような冷たい水で何時間も何日もかかる仕事でした。
店先の桶でははきぎと奮闘する澪を見て「かような物を食さずとも、この江戸では食べるものは数多あろう」と声をかけてきたのは、小松原の母里津でした。
里津がお忍びでつるやに来たのにはワケがありました。
跡取りの息子がなかなか身を固めないのは、つるやという料理屋の娘を気にかけているからだと知り、様子を見に来たのです。
里津は、熱心な澪の働きぶりを見てははきぎの実の取り出し方を教え、「五日後、首尾を尋ねましょう」と正体は明かさず去っていきます。
そして五日間、里津から教わったで方法で苦労して取り出したははきぎの実で、澪が完成させた料理が “ははきぎ飯” だったのです。
小松原が何故、ははきぎの実を持っていたかというと、肝臓病でむくみを患う母親のためだったんです。
澪は期せずして、小松原の母への思いを、形にした料理を作ったというわけ。
みをつくし料理帖を読んで、当時はとんぶりを取るのに、こんなに大変だったのかと驚きました。
今なら機械で簡単な作業でも江戸時代は手作業だったんですものね。
その恩恵をあずかって私は、とんぶりご飯が食べられるのか。
ベランダの赤いほうき草を見ながら、乾燥させて、何日も水洗いをして、、、、
私にはとうていできないなぁと、みをつくしの本を思い出しながら、
胸が熱くなる思いになりました。