Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

鎌倉 浄光明寺

 

鎌倉・泉ヶ谷の秘密の平場を見たあと、

枝分かれしているもうひとつの道の突き当りまで行ってみました。

閑静な場所で別荘のような雰囲気の家が沢山あるお気に入りのエリアです。

正面の家も、外国の家っぽくカッコいい。

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さらに進めば、大きな庭の家が沢山あります。

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この家が一番好き。

背中に山を背負って、外国のロッジみたいです。

最初にここに迷い込んだ時、ため息が出ました。

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駅からはかなりあるんですが、高低差のない立地。

こんな家に住んでみたい。

 

突き当りということは、住民以外の人は来ないはず。

ウロウロしていると不審人物に間違われます。

あっ、もう間違いなく不審人物でしょうけれど。。。

そろそろ引き返しますか。

 

 

私は、人に道を聞かれることが多いんです。

都内ならまだしも、鎌倉に来てまで道を聞かれます。

地元っぽくみえるのかな。←うれしい。

MOURI からは「ボーッと歩いてるから、声をかけやすいんだ」と言われます。

 

今日も自転車に乗ったおじさんから聞かれました「浄光明寺はどこでしょうか」と。

お寺の曲がり角に気がつかず、通り過ぎてしまったらしい。

「浄光明寺は、今来た道を100mほど戻ったところなんです。

 角に看板があるのでそこを右に入ると門があります。」

道を尋ねられると、その方がちゃんとたどり着けたかどうか気になります。

私も浄光明寺に行ってみることにしました。

 

門のところに見える人影が、自転車のおじさま。←たどりつけたみたい、よかった。 

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徒歩なら看板が目に入るけれど、自転車だとスピードが違うから見落としてしまうんだろうな。

 

・・・でも。

よく考えたら自転車で来たおじさまの方が地元でしょう。私よりも。(;^ω^)

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浄光明寺は、真言宗のお寺さんです。

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浄光明寺

宗派:真言宗泉沸寺派

山号寺号:泉谷山浄光明寺

建立:建長3年 ( 1251 )

開山:真阿 ( 真聖国師 )

開基:北条長時

鎌倉幕府六代執権・北条長時が、開山に真阿を迎えて建立しました。

北条氏の帰依が篤く、また、鎌倉公方 ( 鎌倉府の長 ) の保護も受けました。

本尊の阿弥陀三尊像 ( 国重文 ) は栄 ( 現在の中国 ) の影響を受けた美しい造形です。

中央の阿弥陀如来像の衣の装飾には、「土紋」といわれる鎌倉地方特有の技法が使われています。

裏山には家人藤原定家の孫で、歌道の名門冷泉家の始祖為相(ためすけ) の墓があります。

母の阿弥陀尼は、京から鎌倉への紀行文『十六夜日記』の作者です。

 

f:id:garadanikki:20190224124750j:plain冷泉為相(ためすけ)

鎌倉時代中期から後期にかけての公卿・歌人。冷泉家の祖。権大納言民部卿・藤原為家の晩年の子。母は『十六夜日記』作者として知られる阿仏尼 ( 安嘉門院四条 ) 。官位は正二位・権中納言。



 

今回、冷泉為相さんを調べていて ( 私的に ) 面白いことがわかりました。

鎌倉期の歌人といえば、藤原定家くらいしか知らず。

いんやそれだって名前だけ。どんな歌かなんてしりません (;'∀')

冷泉だとか、京極だとか、聞いたことはあったけれど、どんな家柄なのか、和歌をやってるお家くらいのお恥ずかしい知識しかありませんでした。

それがこんな話。

↓↓↓

藤原定家は、藤原氏北家の嫡流道長の6子-長家のひ孫-俊成の子で、歌人として有名で歌道の家になった。

定家の子が為家といって、正室と側室との間に複数の子をもうける。

・正室の子-長男・為氏が二条派の祖。

・正室の子-三男・為教が京極派の祖。為教の子-為兼が京極派を確立。

・側室 ( 阿仏尼 ) の子-為相が冷泉家の祖。為家の晩年の子として可愛がられる。

 

為相の墓が何故、鎌倉の浄光明寺にあるかというと、

お父さんの為家が死んでしまった時、所領であった播磨の国細川庄や文書の相続問題で、為氏ともめたんですって。

その問題を鎌倉に下って幕府に訴えたのが為相のお母さんの阿仏尼。

阿仏尼が、その話や鎌倉でのことを書いたのが『十六夜日記』なんですって。

為相も度々鎌倉に下って幕府に訴え勝訴するんだけど、その際に鎌倉の歌壇を指導し、鎌倉蓮歌の発展に貢献したのだそうな。

そして娘の一人が8代将軍・久明親王に嫁ぎ久良親王を儲けている関係で、晩年は鎌倉に移住して将軍を補佐し、鎌倉で薨去したというワケ。

 

そういえば。

今回の鎌倉歩きで、最初に寄った志一稲荷も、京都仁和寺の僧侶志一上人が、訴訟のため筑紫から鎌倉に来たという話だったし、

もめ事を裁いてもらうのには、京都から幕府がある鎌倉にやってくるということだった。

幕府が鎌倉にあるのだから、当たり前といえば当たり前。

だけど、京都から来る人は、たとえ幕府があっても《下る》ということになる。

鎌倉 巨福呂坂を訪ねる1 志一稲荷 - garadanikki

 

 

 

さて。

道路から参道を進むと、市指定文化財の立派な山門がありまして、

そこにランドセルが三つ転がっていました。

近所の小学生が遊んでいるようです。

なんかいいわね、こんな素敵なお寺さんが遊び場だなんて。

⤴ 写真は撮りませんでした。

 

そしてその山門を入ると左手に大きな客殿と、庫裏。右手に不動堂と鐘楼がありました。

 

立派な鐘楼

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といってもこの鐘楼は近年のものだそうな。

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立派な建物です。

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山門を入って左手にあったこの建物は、客殿だそうです。

客殿には、愛染明王 ( 市指定文化財 ) が祀られていますが、非公開だそうな。

 

愛染明王っていうのは、不動明王と同じような憤怒相で、頭に獅子の冠をかぶり、宝瓶の上に咲いた蓮の華の上に結跏趺坐をしているのが一般的です。

これは、東京国立博物館蔵の愛染明王像 ⤵

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木製で鎌倉時代のものだそうです。

 

結跏趺坐というのは、こういう座り方。

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北鎌倉で座禅を経験した際、組んだのですが痛いのなんのって。

とても無の状態にはなれず、略式の組み方で座禅をしました。

 

客殿の屋根には、見事なシャチ瓦

   ・・・だよね、水の形もあるもの。

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こちらは客殿の奥にある庫裏。

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美しい屋根の向こうには、切り立った岩。

 

本日は一般公開の曜日ではないので、ここまでしか行かれませんが、

石段の上の仏殿への拝観は、木・土・日に出来るそうです。

※ 拝観料200円。雨・多湿の際は中止。

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振り返って客殿を見る。

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なんと美しい屋根だろう。

庫裏の向こうは夕焼け空。

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冷泉為相の墓も、仏殿から更に上に登ったところにあるそうです。

これは是非、明るい内に再訪したいと心に決め、寺をあとにしました。