Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

旧前田邸 ひさびさ

4月3日のお花見の話です。

随分と時間が経ってしまいました。ん。

 

我が家の花見は大抵、駒場公園です。

駒場公園内の「旧前田邸の桜」を見て、隣接する「駒場東大キャンパスの桜」を見て帰るというコース。

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今年も行ってきました!!!

で、ですね。

花もいいけれど、私の興味はやっぱり建物なんですの。

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でも。
ここからが、長いです。
建物の興味のない方は、この際ずらーーーーっとスクロールして最後だけ読んでください。m(__)m
でも出来たら最後の方の「菊子夫人の武勇伝」だけは読んでほしい。。。

 

 

 

旧前田邸 ( 駒場の本邸 ) は、加賀百万石 前田家第16代当主---前田利為(としなり)さんが建てたものです。

とにかく立派です。

駒場の約一万坪の敷地に、地上3階地下1階建ての洋館と、これを渡り廊下で結んだ2階建ての純日本風の和館からなるお屋敷で、周りは駒場の林をそのまま生かした奥庭や芝生の広場があります。

 

入口から洋館にたどりつくまでの車まわし⤵ 

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旧前田邸ならびに そのお庭は、現在『駒場公園』として目黒区が管理しています。

芝生広場は地域の人のお花見のスポットですが、やはり目玉は前田邸の建物でしょう。

 

 

洋館は平成28年7月1日から平成30年9月末までの約2年、改築工事で入れませんでした。

「2年かけての改築って、いったい何をどうするんだろう」と待っていたのですが、

ようやく終わったというので見学してみることにしました。

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建物内は、5年ぶり。

ここは、一年中快適です。

館内は温度管理もバッチリなので、酷暑でも応接室で涼みながら読書したりできます。できました。

※ 当時は、応接の間に普通の椅子や机が設置されていて、長時間好きに座っていられたのです。

 

下の記事は、2006年に訪れた時の内部の様子を書いたもの。

今回それが、どう変わっているのか興味深々。

 

リニューアルの洋館には、ボランティアガイドさんがいました

入口に係の人がいらしたので、改修工事について聞いてみました。

そしたらその方、ボランティアのガイドさんでした。

今、館内のガイドをしているのだそうです。

あと数分で次のガイドツァーが始まるとのこと。

 

【旧前田邸ガイドツァーについて】

水曜日、木曜日、金曜日、土曜日、日曜日、祝日の、

午前10時30分、11時30分、午後1時30分、2時30分 開催

 

参加してみました。 ( 無料です )  

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この日は、目黒区のガイドツァーの他に、数組の旅行会社のガイドツァーが重なっていました。

「〇〇旅行のメンバーの方はこちらです」「区のガイドはこっちこっち」

お客さんもガイドさんも大混乱 w

同時に3組のスタートだったので、離れて解説しないとお互いのガイドさんの声が重なってしまう。

ということで、順路は無視して、空いてそうなところから始まりました。

 

一応、洋館の平図をアップしておきます⤵

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ここからの写真は、白黒写真の縁取りが当時のもの。

緑の注釈付きが、13年前に私が撮ったもの、それ以外のカラーが今回の写真です。 

 

第一応接室

侯爵夫人や令嬢のお客様が通されていた応接室です。

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上は今回撮った写真。下の白黒は当時の写真。

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白いタイルで出来たマントルピースが特徴的で、床の寄木細工も華やかさを添えます。

当初は、ダマスク柄の壁紙 ( 色は不明 ) に、同じくダマスク柄の黄色いカーテンがかけられており、明るい雰囲気の部屋であったようです。

 

白いマントルピースって、これだ。

おうおう、なかなか立派。

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今回の改修工事は、カーテンや壁紙も当時の雰囲気に近いものを探して意匠したようです。

 

13年前は、壁紙は水色に白、カーテンはグレーでした。

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   ↓ ↓ ↓

水色に白の壁紙は高級感あふれるベージュのダマスク柄に、

カーテンも黄土色のダマスク柄に代わっていました。

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イングルヌック

暖炉脇の暖かなスペースをイングルヌックといいます。

ここでは、大階段の下の窪みを利用して小さな談話室のような空間で、マントルピースとステンドグラスの窓を備え、造り付けソファの背上に三連アーチの飾り棚を設けています。

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当時の写真⤵では、階段広場に鉢植えが沢山並んでいて、

生活感とぬくもりが感じられます。

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イングルヌックの天井、照明

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一番お気に入りのここは、全然変わっていない。

13年前の写真がこちら⤵ 2006年3月26日撮影

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大客室と小客室

お客様にくつろいで過ごしていただくための部屋で、部屋のそこここに座り心地の良いソファーやティーテーブルが配され、室内には絵画や美術品、珍しい観葉植物などが飾られていました。

黒い大理石のマントルピースの上には記念の品が置かれ、ピアノも備えられていました。

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小客室と同様の設えですが、殿上の縁廻しがより豪華です。

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大客室と続き間になっていて、必要に応じて引き戸で仕切ることが出来ます。

大客室とはシャンデリアや壁紙の意匠を揃えますが、マントルピースは小ぶりで明るい色調の大理石を用います。

南の芝生に面しては、当時高価であった巨大な一枚ガラスの開き戸を備えます。

 

一枚ガラスとは、コレです。

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おおっと。

今回、ここが大混雑で写真が撮れませんでした。

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撮れたのはこの照明と、出入口のみ。

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ツアーの良いところは、ちょっとした面白話が聞けることです。

例えば、

マントルピースのグリルの模様が部屋によって違うこととか。

菊子夫人の居室のグリルは、小菊のレリーフだったり、

利為候の書斎のグリルは、龍がモチーフだったり。。。

そんな見逃してしまいそうな遊び心のある意匠を、教えて貰えるのが有難い。

 

このグリルは梅の文様になっていました。

※ 前田家の家紋の「加賀梅鉢」に因んで梅ということ。

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因みに、13年前の大客室はこんな感じでした⤵

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こんな風にソファーが置いてあって、腰かけて庭を見たりも出来ました。

 

 

 大食堂

晩餐会のための部屋で、最大で26人のディナーが可能であったといいます。

巨大な白大理石のマントルピースが部屋の中核で、その周囲を古典的な文様の金唐紙で飾ります。

マントルピースの向かいは円弧状の張り出し窓があり、天井に及ぶチーク材のパネル壁が落ち着いた雰囲気を醸します。

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立派なマントルピース

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この文様にも意味があるとガイドさんがおっしゃっていましたが、、、忘れました。

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マントルピースの横に一脚、当時の椅子が置かれていました。

ここでガイドさんの談話。

「ご覧ください。この椅子の前の脚にキャスターが付いています。

 前にだけ。まえだけ~。前田家~ なんちて」

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説明書きにあった金唐紙とは、マントルピースの後ろのこの壁紙のこと。

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館の居室が広く感じるのは、実際に《広い》だけでなく、天井高の効果もあります。

扉の高さを見てみてください。見学者の背の倍はあります。

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この眺めが美しい。

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円弧状の張り出し窓は、

室内に明かり灯った頃に、外から見るのが最も美しいのだそうです。

 


小食堂

家族のための小食堂です。

東庭にテラスを張り出し、全面にカットガラスをはめた扉にしています。

壁一面に食器棚が設えられ、部屋の隅には地下の厨房から料理を運ぶための小型エレベーターがありました。

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ということで一階の見学できる部屋は以上。

地階の厨房や、一階のバックヤード ( 使用人たちの部屋 ) は見られませんでした。

 

 

 

階段広場に戻って、二階に進みます。

 

大階段

前田邸の目玉は、なんといってもこの大階段でしょう。

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赤いフカフカの絨毯の踏み心地は最高。

お姫様になった気分になれるから不思議。

長女・美意子さんもこの階段で「演劇ごっこ」をされたのだそうな。

 

 

階段のステンドグラスは、下と真ん中と上で色が微妙に違うそうです。

真ん中のガラスが、確か『薄い』とおっしゃっていたような気がします。

採光は中庭から取り入れています。

南のキツい直射日光でないため、一日中 同じ光量で安定した明るさです。

 

興味深いのは、窓の大きさ

下から見ると階段の高さに沿って段違いなんですが、

二階から見たら、上部が揃っています。

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北側の棟から中庭ごしに見た階段の窓⤵

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長女居室

第一客用寝室として計画されましたが、長女の居室として使われました。

2室に仕切ることもできる広い部屋です。

カーテンは書斎と同様のものを用いますが、壁紙や絨毯の柄は可愛らしいものに替えたようです。

整備工事の際に、当初の雰囲気に倣って壁紙と絨毯を設えました。

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ということで、今回改修された長女居室の壁紙⤵

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蝶です。

長女だから蝶、って遊び心か。

 

13年前はこんな感じ⤵

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壁紙も無地、カーテンも渋い色で、暗い印象がありました。

 

 

長女居室の隣りは、三男の居室でしたが、

今回は会合で使用中の為、見学できませんでした。

 

 

で。

ちょっと気になったことがあります。 

部屋の大きさを見て、子供たちの力関係みたいなものを感じてしまったんです。

二階 図面をご覧ください⤵

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西側の一番広い部屋が長女。その隣に三男の部屋。

東に面した三女居室は、南面の二女居室より大きかったりする。

ガイドさんは

「次女の部屋が長女の半分くらいの大きさだけど、

 南側だからと我慢させたのではないかな」と笑っていました。

力関係といいましたが、勿論これは生まれた年が関わっているのでしょう。

屋敷が完成した当初は、まだお子さんたちは小さかった。

それぞれの部屋は最初から子供の為の部屋ではなかったようです。

 

前田利為侯爵の家族関係

因みに、

16代当主 前田利為さんには、

前妻 渼子(なみこ)さんとの間に、長男・利建(としたつ) さん ( 第17代当主 ) と次男・利国(としくに) さん ( 1歳で病没 ) がいました。

渼子さんは、1923年にパリで亡くなられました。

 

件の前田邸は、継室となった菊子さんとその間に生まれた一男三女のお子さんたちと住まわれたお屋敷なんです。

 

洋館が完成したのは、1929 ( 昭和4 ) 年のこと。

当時、長女・美意子(みいこ)さんは3歳 (1926生まれ)

次女・智意子(ちいこ)さんは1歳 (1928生まれ)

三男・利弘(としひろ)さんは0歳 (1929生まれ)

三女・彌々子(ややこ)さん (1937生まれ) は生まれていませんでした。

異母兄の長男・利建利建(としたつ)さんは成人 (1908生まれ) して別に居を構えられていたようです。

 

この辺の系図はとても面白く、

特に1999年に73歳で亡くなられた長女・美意子さんは多数の著書もある方なので、

近々、本を読んでみたいと思います。

※ 酒井美意子さんは、きもののハクビ総合学院の学院長でもあり、マナー評論家・皇室評論家としても活躍されていました。

 

 

会議室

前田家の評議員が集まった会議室で、利為候が陸軍の部下を招いて宴会を行うこともあったといいます。

当時在隊していた青年将校によれば、利為候はよく部下を食事に招いて懇談したり、記念品を贈って労をねぎらったりしたそうです。

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北面のエリアはバックヤードといいますか、使用人がいた場所になります。

家族の居室がある南側より、一段低い位置にあり、

階段や廊下も狭く、使われた建材も質素なものでした。

 

しかしこの会議室は、華美さがない分、清々しく機能的にも見えました。

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利為候はとても人望の厚い方だったようです。

この部屋は部下たちとの懇談や、前田家の家政評議会 (※) の会合でも使われていました。

※ 前田家は当主の一存で何かを決定するのではなく、評議会の委員に諮って決めるのだそうです。

 

会議室を出て廊下を北東にすすみます。

写真は、女中部屋に向かう廊下から会議室を振り返ったもの。

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廊下、狭いです。

といっても我が家の廊下と同じくらいの幅かな。

今まで通ってきた南側のエリアが広すぎるので、とても狭苦しく感じます。

 

こちらの和室は、女中部屋として使われていたところ。

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でも、当時お屋敷に仕える使用人は100人以上いたらしい。

その殆どが通いで、この部屋をあてがわれたのは、家事見習いでやってきた良家の子女ではないかとの話でした。

 

ぐるり廻って東側の三女居室にやってきました。

が、どうしたことか、写真を撮りそびれました。

 

三女居室

菊子夫人のための化粧室で、広い押入れが2つ付属していました。

そのためかラジエーターグリルのみでマントルピースもありませんでした。

円弧状の張り出しに三連アーチの窓を配置した優美な部屋で、天井の縁廻しシャンデリアも優美なものです。

のちに、三女の居室として使用されました。

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写真が撮れなかったのは、後半ツァーガイドの参加者が増えたからです。

ガイドさんも初めに言っていましたが、

「少人数でスタートしても、普通に見ていた人がひとりふたりと参加して、

 最後は大所帯の大移動になります」とのこと。

その通りの大所帯でした。

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もうこうなると、ガイドさんの声も聞こえないし、部屋にも入れない ( ´艸`)

残念だが、後半部分は日を改めて聞き直しに来ます。

 

寝室

侯爵夫妻の寝室で、壁紙は金銀の色彩です。

枕元の壁龕には前田当主の守り刀が置かれており、その両脇の小窓は透かし彫りを施した豪華なものです。

ベッドやキャビネット等の家具の多くは、ロンドンの高級家具店であるハンプトン社で誂え、船便で送られました。

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この部屋は調度品があるので、室内は立ち入り禁止。

入り口からしか見られない為、細部の設えは見られません。

ベッドの脇の小窓の透かし彫り、というのも近くで見たいけれど。。。

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南面にあるドレッサー

これも当時の写真を忠実に誂えたもののようです。

 

なめらかなカーブのマントルピースが美しい。

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夫人の居室

夫人室は邸内で最も華麗な部屋で、家族や親類の集まる居間でもありました。

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ひときわ豪華な部屋です。

まるでベルサイユのようだ・・・・行ったことないけど。

連合国軍接収期に失われた内装を復元しました。

カーテンの多くは取り外して保管されていたので、それに倣って作製。

夫人室の絨毯は前田家で実際に使用されていたオリジナルのものを修復して元の位置に敷き込んだそうです。 

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しかし、この壁紙。。。

ホントにここまで煌びやかなものだったのか・・・。

ガイドさんも「ちょっとやり過ぎたかな」と小声でつぶやいてました (;'∀')

 

この写真はパンフレットに掲載されていたものです ⤵

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左が今回のもの、右上は当時のもの、右下は修繕前のもの。

 

次女居室

書斎の付属室 ( 図書室 ) として計画された部屋で、壁一面に書棚が造り付けられています。

青いタイルのマントルピース、天井の星形の中心飾り、十二角形の変わった意匠のシャンデリアが特徴的です。

次女の居室として使用されていました。

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もの凄い大人数なので、室内の写真撮れませんでした。f:id:garadanikki:20190501150502j:plain

なので天井の照明と、マントルピースだけ。

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女の子の部屋にしたらイカめしいマントルピースだと思いましたら、

図書室だったそうです。

このグリルにも、梅の文様が見られました。


書斎

書斎の壁面には金唐紙 ( 山路壁紙製造会社製 ) が貼られていました。

古い資料を参考に、試作品の検討を重ね復元されました。

絨毯は当初、中国製が敷き込まれていました。古写真を解析し、文様と彩色を検討して復原しました。

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マントルピースに飾られた写真は、左が利為候、右が菊子夫人。

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この絵画も、菊子夫人です。

どこか光淳皇后 ( 昭和天皇の皇后良子妃 ) に似ているような。

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さて、これでツアーは終了。

何気に参加したツアーでしたが、とても楽しめました。

目黒区もこれを無料でやるのだから、凄いものだと思います。

後半は人数が増えすぎて、聞き逃した部分もありますので、

近々、もう一度出かけてみたいと思います。

 

そんなワケで、後日談 ↓↓↓

 

 

菊子夫人の武勇伝 

菊子夫人はユニークというか、すっごい人だったようです。

前田邸は、1942 ( 昭和17 ) 年に太平洋戦争に出征していた利為候が戦死した後、

建物の一部は、中島飛行機製作所の本社として使用されました。

戦後はアメリカに接収され、アメリカ空軍司令官、ホワイトヘッド空軍中尉の官舎となり、

内装などに一部改変が加えられたんだそうです。

その改変の粗っぽいことといったら相当なものです。

「和館の2階の床の間をつぶし、マントルピースを造れないか」とか

「洋館の壁紙を剥がして白いペンキを塗りたい」などという無謀な注文。

 

通訳から話を聞いた菊子夫人は、

「あなたの通訳はまどろっこしい。自分で話す」とピシャリ。

利為候と共に英国にいた菊子夫人にとって、アメリカ人との直の交渉などお手の物だったのです。

しかし、勝国には逆らえない。

最終的には、進駐軍のいいようにお屋敷は改悪されていったようです。

 

ひとんちを、あれこれ改修したいと言ったのは、

エニス・C・ホワイトヘッド(Ennis C. Whitehead)第五空軍司令官なのか、

それとも、後からやってきたマシュー・バンカー・リッジウェイ(Matthew Bunker Ridgway連合国軍最高司令官なのかは わかりませんけどぉ。

その話を聞いて、しかも今回の改修工事の目的が《連合国軍接収期に失われた内装を復元すること》であることを知り、ふつふつと怒りがわいてきました。 

 

アメリカ人は物の良さ・文化がわからんのか

ガイドさんからそのエピソードを聞いた時、まず頭をよぎったのがトランプ大統領の話でした。

トランプ大統領がノートルダムの火災に寄せたあのツイッターの話。

ノートルダム大聖堂での火災への消火活動について「上空から航空機で放水してはどうだろうか」というツイートをしたとのこと。

フランス当局はそれに対し「航空機からの放水は大聖堂全体が崩壊する恐れがある」と即答したそうだし、

フランスの消防局幹部らからも「笑える」と一笑されたんだそうです。

 

前田邸を接収したアメリカ進駐軍の幹部たちも、

日本の伝統的な意匠が理解できずに、白ペンキ塗っちゃうと言い出す輩だし、

現大統領も、歴史的遺産に飛行機から放水などと言い放っちゃう奴。

そのデリカシーの無さに呆れます。

歴史の浅いアメリカ国の人たちには、ヨーロッパの伝統とか、日本のわびさびなんて理解できないのかしら。

って多くのアメリカ人を敵に回したかしら、わたし。

菊子夫人の激怒した話も、フランス消防局の「笑える」発言も、よくわかるような気がするんだけどなぁ。

 

 

※ 当時の前田邸の改修に関わった方の記事がありましたので、紹介します。

http://leyte.web.fc2.com/sengo2.html