火保図を探しに、東京都立中央図書館を訪ねました。
しかし「閉館」
本日は休館日です、という看板があります。
スマホで調べたのにな。。。
図書館の公式ページではありませんでしたが、Googleマップに「営業」とあり、
それをアテにしてしまいました。
それなのに、、、今日は休館日ですってよ。
掲示板を見ると、一年のうち12日以内の「特別整理期間」だったのです。
ショックーーー
落ち込んでも仕方ない。
景色の良いところを選んで帰ろう。
代官山から西郷山公園に抜ける素敵な通りにある、素敵なエリア。
ふふんふんふん。
御機嫌、上機嫌♡
行きと帰り、違う道を通ろうと思ったら、素敵な建物がありました。
自転車を停めて見上げていたら、下校の生徒の見届けをされている男性と目があった。
「凄いでしょう?」というように、その男性はプレートを指さされる。
HIROO ELEMENTARY SCHOOL
看板もお洒落だ。
渋谷区立広尾小学校
旧東京市広尾尋常小学校
関東大震災によって被災した都内の区立小学校は、震災復興事業の大きな柱として、耐震・耐火性の高い鉄筋コンクリート造りの校舎に建て替えられるようになった。
昭和初期の区立小学校校舎には二つの傾向があった。
一つは、インターナショナル・スタイル ( 国際建築様式 ) と呼ばれる装飾性を加味した建築である。
特に、この小学校は、コの字の校舎配置の東北隅部に高い塔をあげている。
この塔は当時消防署の望楼を兼ねて建てられたことを示している。この望楼の意匠と玄関廻りの装飾に当時流行していた表現主義のデザインが見られる。
設計者が、東京市土木局建築課
建築年 昭和7年 ( 1932 )
その方はもう一つ面白いものがあるという。
「小学校の脇に、古いマンホールがあるんですよ。
見てごらんなさい。タモリさんも来てテレビでも紹介したんだから」
自転車はここに停めるといい、私が見てたあげるからというので、行ってみました。
それにしても素敵な意匠。
現在のものより大正から昭和初期にかけての建物の方がモダンでセンスがいい。
学校の玄関を過ぎたところにある横門に、マンホール、ありました。
これだ、これだ。
四角いマンホールは珍しい。
渋谷水道と書いてあります。
うーん 確かにタモリさんの番組で見たぞ。
ぶらタモリじゃなく、タモリ倶楽部の方でしょう。
「どうだった? わかった? 珍しいでしょ」
「凄いですね、古いものなんでしょうね。でもなんで渋谷水道なのかしら」
「なんかねぇ、この辺は渋谷町が水道を管理していたらしいよ。
テレビでもそんなこと言ってました」
「ほほう、帰ったらすぐ調べてみます」
「よくいらっしゃるんですよ。マンホールを見に。有名らしいです」
「そうですか、面白いものを教えていただきました。ありがとうございました」
そんな話で学校を後にしましたが、私もマンホールオタクのひとりだと思われたのかな。
テレビで紹介していたマンホールを探しに来たと思われたのかな。
まあ、何かを探してる風の挙動不審な人物だけど、あたしって。
マンホールも凄いけど、私はこの意匠の方に心惹かれたんだけどなぁ。
昭和7年築の建物が現役というのは凄いと思う。
当時の耐震技術は、今より優れているのかも、
じゃなかったらさっさと建て替えちゃうでしょう、学校の建物ならなおさらのこと。
帰宅後、タモリ倶楽部の映像を見つけました。これですこれです。
ほう、確かにタモリさんがいる。
左の2人は、マンホールオタクの方。
これです、まさしく私が見たやつだ。
このマークは、渋谷の渋の字をもじったものらしい。
笑えるな、大の大人が揃いも揃って w
マンホーラーさん ( そんな呼び名でいいのか? ) の話では、
小学校の建物が出来たのが、昭和7年。
このマンホールもその時のものだろうとのこと。
Q.渋谷水道というのは、、、、
A.普通なら東京市水道局ということでしょうが、これは町がやってた水道とのこと。
当時まだここがギリギリの東京市の管轄ではなかった時に引かれた水道で、
渋谷町のものなんだそうです。
マンホールといいますが、正確には量水器、つまり水道メーターが入った箱の蓋。
こんな古いものが残された理由は、学校の敷地内にあったからだろうとのことでした。
珍しい《現存する渋谷水道の蓋》に遭遇、
転んでもただでは起きない まるさんぽ でした。