Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

コレット『ジジ』

『ジジ』を読了しました。

Gigi は、フランスの女流作家 シドニー=ガブリエル・コレットが1945年に発表した小説です。

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二見書房刊 コレット著作集 No.11『ジジ』高木進訳で読んでいますが、かなり難解でした。

理由は、当時の暮らしぶりがイメージしにくいことによるものでした。

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ジジの暮らしは、金持ちでもないし、困っている風でもない。

母親は二流の歌い手として劇場に勤めているというから、あまり良い家の娘でもなさそう。

しかし祖母は気位が高く、伯母は祖母に輪をかけて品格を重んじる。

 

コレットの文章は、装飾が多いです。

形容詞が多過ぎるとかえってイメージがつかみにくいというのも不思議でした。

例えば、当時の衣装を表現するこんな文章  ⤵

 

ほんのりと青味がかった淡灰色の絹のモスリンの小さな襞がたくさん、から下まであって ⵈⵈ 

 それから、黒いビロードの地に、ラヴェンダー・ブルーのラシャのスカラップがついているドレス。

 孔雀の尾のような模様がくっきりと浮かび上がっていて・・・

 

ジジが憧れのドレスを、アリシア伯母に説明するセリフなんですが、イメージできますか?

私は苦労しました。

で、話を聞いた伯母さんはこう言います。

 

もうたくさん、やめましょう! 

 コメディー・フランセーズの大女優みたいに着飾る傾向が、どうやらおまえにあるようだってことが、

 よくわかりました。ⵈⵈ これ、お世辞だと思ってちょうだい

 

ジジの憧れのドレスとやらが、上品なのか下品なのかさっぱりわからず、

加えて、伯母が言う《コメディー・フランセーズの女優》が、どういうものなのかわからない。

「これ、お世辞だと思ってちょうだい」と言われて、更に混乱しました w

 

 

 

コレットの作品を読みたくて、まず手に取ったのが『ジジ』でした。

戯曲になったものなら、取っ付きやすいかと思ったから。

でも無謀でした、まずはフランスの歴史や文化をキチンと勉強してからにするべきでした。

当時のフランスのことがわからないと手に負えない代物かも知れぬ。

 

 

【ざっくりあらすじ】

十五歳になる少女ジジは、躾のやかましい、母がわりの祖母 アルヴァレス夫人に育てられています。

その家に毎日のようにやってくるのが金持ちの放蕩息子のガストンです。

彼は、アルヴァレス夫人にカミツレ茶をご馳走になりお喋りをして帰ります。

ガストンはジジを子ども扱いし、ジジもガストンを『素敵なおじちゃま』という存在でみていました。

ガストンは、パリではちょっと知られたプレイボーイ。

数々の浮名を流し、芸能新聞に醜聞をまき散らしています。

 

そんなガストンにジジは求婚されます。

厳格な祖母たちはその結婚に反対するのに耳を貸しながらも、やがてガストンのことを男として意識し始めるジジは、やがて ⵈⵈ 。

 

 

私には、ストーリー展開がのんびりしてて、正直しっくりきませんでしたが、

当時のフランス人にとっては、“あるある” の世界を描いてくれる興味深い作家だったのかな。

 

 映画化されていました

タイトルは『ジジ』ではなく『恋のてほどき』

 

なるほど、映像で、ジジの年恰好かが つかめました。暮らしぶりもわかりました。

原作に、車を運転したり葉巻をたしなむ場面があり、年頃がわからなくなっていましたが、丁度このダイジェストに、そのシーンがあったので助かりました

 

アリシア伯母さん、なかなか良い暮らし向きでした。

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あれ? このシーン見覚えがある。

小さい時に観たことがあるかも、この映画。

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ジジがアリシア伯母さんに葉巻のたしなみ方を習うシーンです。

 

映画が頼りになりました

因みに、この映画の元となったのはブロードウェイで上演された戯曲『ジジ』です。

その時、主役を射止めたのが当時駆け出しのオードリー・ヘプバーンだったそうです。

当時のあらましがWikipediaに書いてありました

1951年にヘプバーンはアメリカとフランスで公開される『モンテカルロへ行こう』への出演依頼を受け、フランスのリヴィエラでの撮影ロケに参加した。

この現場に、当時自身が書いたブロードウェイ戯曲『ジジ (en:Gigi (1951 play))』の主役・ジジを演じる女優を探していたフランス人女流作家シドニー=ガブリエル・コレットが訪れた。

そしてコレットがヘプバーンを一目見るなり「私のジジを見つけたわ!」とつぶやいたという有名なエピソードがある。

『ジジ』は1951年11月24日にブロードウェイのフルトン・シアター (en:Fulton Theatre) で初演を迎え、劇場入り口に張出された公演タイトルの上にヘプバーンの名前が掲げられた。『ジジ』の総公演回数は219回を数え、1952年5月31日に千秋楽を迎えた。

ヘプバーンはこのジジ役で、ブロードウェイ、オフ・ブロードウェイで初舞台を踏んだ優れた舞台俳優に贈られるシアター・ワールド・アワード (en:Theatre World Award) を受賞している。『ジジ』はブロードウェイでの公演終了後、1952年10月13日のピッツバーグ公園を皮切りにアメリカ各地を巡業し、1953年5月16日のロサンゼルス公演を最後に、クリーヴランド、シカゴ、デトロイト、ワシントンで上演された。

『ジジ』が、ヘプバーンの出世作だったとは。

当時のヘプバーンの映像も写真も見つかりませんが、想像は出来ます。

コレット女史が「わたしのジジ」というのだから、若きヘプバーンのイメージしてもう一度本を読めばわかるかも。

 

作品の中で、ピンときた文章をひとつ書き留めます。

【アリシア伯母さんの教え】

「二流品の宝石を身につけてはいけません。一流の宝石がやってくるのを待つのです」

 

で、もし、やってこなかったら?

 

「残念だけれど、しょうがないわね。

 三千フランの粗悪なダイヤモンドより、むしろ、百スーの指輪をはめなさい。

 そういう場合には、《思い出なの。昼も夜も離せないの》って言うんです。

 まがいものの宝石は、けっして身につけるものではないことよ。

 そんなことをすると、女としての品位をおとしますからね」

二流のものを身にまとうなら、いっそ玩具の方がまし。

現代でも十分通じるお話しだと、膝を打ちました。

 

正直私にはあまり面白い作品ではなかったけれど、

当時の人にウケたのは、コレット自身が人気者だったからじゃないのかなぁ。

とにかくコレットの生き方は破天荒。

 

 

センセーショナルなことをあれこれした人だった

20歳の時に、15歳年上の作家・文学評論家-ヴィラールと結婚。

処女作「クロディーヌ」シリーズは、夫の名で出版されました。

出発は、夫のゴーストライターだったんです。

 

その後、浮気者で浪費家の夫と離婚し、パントマイムや踊り子としても活躍します。

恋愛も自由。

愛人はナポレオン3世の血縁者を名乗るベルブーフ侯爵夫人ミッシーでした。←女性です

コレットは、バイセクシャルだったんです。

そして、また男性 (社会党系の新聞誌の主筆-ジュベル) と結婚し、娘を出産。

 

創作活動の場も、演劇・バレエの脚本などへ広げていきます。

ジュベルと結婚して12年後、彼の連れ子ベルトランとの仲がとりざたされ、離婚。

ベルトランとの関係からインスピレーションを得て書かれたのが『青い麦』です。

 

と、こんな感じで生涯にわたって自由奔放、挑発的な人物として生きてきましたが、

その体験が数々の作品の素材になっています。

夫や恋人、関わった人のエピソードは全部、作品にしてきちゃいました。

 

彼女は死ぬまで世間に注目された存在でした。

生前、自らの奔放な生活様式を理由にローマ・カトリックによる葬儀を拒否したにもかかわらず、

8月8日に国葬が営まれ、有名人が沢山眠る墓地に葬られたそうです。

 

今回、コレットに興味を持ったキッカケがこちらの映画⤵

コレット役は、キーラ・ナイトレイ。

映画『コレット』は、コレットの生涯の前半、最初の旦那との話を中心に描かれています。

性描写も多いですが、コレットを知る上でも興味深い作品でした。