Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

映画『金子文子と朴烈』を観る

 

下高井戸シネマで『金子文子と朴烈』を観た。

今回のお話は、いつにも増して長文です。ネタバレも含まれています。

これから映画を観ようとしている方、ご興味のない方は、スルーしてください。

 

『金子文子と朴烈』観た。

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素晴らしかった。

心が震える映画だった。

チェ・ヒソ 演ずる文子の強い瞳に「いいのか、お前は」と胸をドンと押された気分で、

この史実を知らずにいた自分を日本人として恥ずかしく思う。

 

 

私は、特定の政治思想も宗教も持っていない。

人がどんな思想を持っていてもそれを否定はしない。

しかしどんな立派な理念や理屈であろうと、それを通すための争いごとを私は憎む。

人を差別し、高じてそれが殺害に至ってしまった関東大震災の朝鮮人大虐殺に強い憤りを感じている。

 

いきなり重い話になったが、この映画を観てその思いが一層強くなった。

そして。

集団心理が本当に《怖い》と感じた。

 

集団ヒステリーのなんと恐ろしいことか と。

この映画は、金子文子と朴烈の半生と関東大震災の悪夢を描いている。

混乱のさなか、デマを信じる人々の手で多くの朝鮮人が虐殺されたことに警察が関与し、

軍の一部は自ら虐殺に手を染めたと、している。

 

さらに日本政府の官憲が国際社会からの非難を避けるため、事件の隠蔽を試み、

朴烈をスケープゴートにしたと、言及している。

 

金子文子の獄死が、自殺だったのかどうか今もって謎だが、

彼女の仲間達に「獄中で千頁も自伝を書いたんだ。遺書一枚もないのに自殺ではない」と言わせている。

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決して《反日》の韓国映画ではない

この映画は、関東大震災における朝鮮人虐殺の正当化のため「テロを企てた朝鮮人」として起訴された朴烈と文子の裁判を中心に描いた作品である。

 

制作したのは韓国の監督、キャストもスタッフも韓国人。

しかし反日映画ではない。

反日映画に作ろうとすれば、いくらでも出来る材料を持ちながらも、

イ・ジュンク監督は日本人への批判で終わらせてはいない。

 

「そこに生き、そこで死んでいった人たちのことを、消して忘れないでほしい」

という強いメッセージを打ち出しているだけなのだ。

映画に込められた怒りと悲しみと強い想いに対して、私は深い敬意を表す。

加害者の系譜を持つ身 ( 日本人のひとれとして ) であると自覚しなければならないと思った。

 

大震災から96年が経ち、ようやく日本人の多くも「事実であろう」と認識し始めている中、

日本政府は、あくまでも虐殺に「政府が関与した」とは認めずにいることがとても残念なことだ。

イ・ジュンク監督は、20年に及ぶ準備期間を経て、ようやく本作を世に出した。

でも本当は、日本人の手で作られなければいけなかったものだと、私は思った。

 

映画には、史実と異なることも幾つかあります。

〇 関東大震災当時はまだラジオがなかったこと。

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〇 内務大臣の水野錬太郎を一連の事件の張本人としたこと。

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〇 挿入歌「伊太利の庭」は、昭和に発売された 唄:崔承喜(チェ・スンヒ)のもので、当時流れていたものではないこと。

 


水野錬太郎を史実と異なり、徹底した悪役としたことについては、

作品パンフレットに加藤直樹氏が以下のように触れている。

 

どこが史実と異なるのか。

 ~中略~

最も映画的、というより演劇的な演出が施されているのが、日本政府の官僚たちの登場場面である。

そのやりとりは、まるでコミカルな舞台のようだ。

 

とくに震災当時の内務大臣であった水野錬太郎がラストに至るまで一身に悪役を担っているが、あれはもちろん史実と異なる。というのは、水野が治安の責任者である内務大臣の座にあったのは震災翌日までで、朴烈らが検束された9月3日にはすでに大臣の座を降りているからだ。

 

翌年1月には再び内務大臣に就くが、水野が朴烈・金子文子の大逆罪による起訴までを主導したとは言えないだろう。水野が悪役となったのは、彼が内務大臣在任中だった震災の翌日に戒厳令が公布され、そのことが朝鮮人虐殺を煽る結果になったという経緯があるからだ。

 

震災直後、「朝鮮人が暴動を起こしている」という流言が広がるなかでの戒厳令公布は、流言を裏付けるものと人々に受け止められ、朝鮮人虐殺が拡大する一因になった。警察が流言を拡散し、出動した軍部隊も流言を信じて各地で朝鮮人を殺害した。

 

~中略~

 

水野に話を戻す。

彼を映画全体の悪役として描きだした監督の意図は、それによって、この物語が「日本人」対「朝鮮人」という民族的な構図に切り縮められないようにするところにあるだろう。

 

日本政府の狡猾さを水野が一身に背負う分、体制内の良心を体現する立花検事 ( これも実像とは異なる ) や、2人の支援する弁護士の布施辰治、作家の中西伊之助といった多様な日本人キャラクターを描き出し、物語に深みを与えることができた。

 

それによってある意味、朝鮮人たちの物語であると同時に日本人たちの物語になっているのかも知れない。」

 

 

加藤氏が書かれているように、私も2人の日本人のシーンが心に残った。

1人は看守。

彼は職務柄、バリバリの国粋主義者だろうに、

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文子と朴烈の独房を行き来し、2人の往復書簡を検閲する内に、彼の何かが変わり始めた。

文子の手記を持ち出して読み、彼女の辛い生い立ちを知り、彼女への態度も変わっていった。

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独房の机から手記が無くなったことに怒る文子。看守が手記を持って訪れる。

「読んだのか」という文子に、看守は手記を優しく手渡して言った。

「 ⵈⵈ ああ。誤字を直しておいた」

 

 

判事も2人に翻弄されながらも変わっていく一人だ。

出世街道をすすむ立花判事は、水野内務大臣の命を受け、簡単にことをすませばいいものを、

文子や朴烈の調書をとる内に、彼らへの心の持ちようが変わっていく。

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立花判事は、文子に転向を勧める。

だが彼女の信念が変わらないとみると、精神鑑定を勧める。

⤴ 精神異常となれば、死刑はまぬがれるからか?

 

判事はまた、積極的に2人の往復書簡を許可する。

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結婚の手続きも許可。

死刑が決定すると2人の写真撮影も許可する。

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これが有名な写真。

朴烈が故郷の母親に、妻の写真を見せたいという願いにより、獄中で特別に撮影された写真だ。

 

どうして二人は獄中結婚したか

朴と文子が同居を始めた頃、彼らはこんな誓約書を交わしていた。

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その一、同士として同棲すること。

その二、私が女性であるという観念を取り除くこと。

その三、一方が思想的に堕落して権力者と手を結んだ場合には、直ちに共同生活を解消すること。

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そんな2人がどうして獄中結婚をしたのか。

それは朴の文子への想いからだ。

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死刑になれば、文子の骨を拾う者はいない。

籍さえ入っていれば、文子を故郷の朴家の墓に入れられる。

そう思った朴からのプロポーズでした。

 

イ・ジェフンの朴烈 チェ・ヒソの金子文子

朴烈を演じたイ・ジェフンも、金子文子を演じたチェ・ヒソもとても魅力的だった。

彼らの表情の豊かさは、日本人の俳優にはないものかも知れない。

主演の2人のキャラクターにより、重い題材の話が時に可笑しいシーンになる。

抗議の断食の結果、主張が通りどんぶり飯をウマそうに頬張る2人のカット。

特にあぐらをかいて飯をかっ込む文子の姿が痛快だった。

 

 

不逞な輩を追っ払うため、おでんの汁をぶちまける文子⤵

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いたずらっぽく鼻をクシャっとさせるあの印象的な表情は、2人で考えたらしい。

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来日のインタビューで、チェ・ヒソがこんなエピソードを語ってくれてました。

「獄中で闘った2人の特殊な状況を考えて、何か2人だけのシグナルみたいな合図があったらいいなと思い、一緒にアイデアを作りました。それが(顔を)クシャッとする表情です。その表情が『アイラブユー』であり、『信じてるよ』でもある。監督に見せたら、いいねと言ってくださった」とのこと。

 

なるほど、そういう想いがあったのか。

 

いくら日本語が上手な俳優でも、やはり微妙な発音で気になることもあった。

文子が初めて登場するシーンで、朴烈の「犬ころ」という詩を朗読するところだ。

「犬ころ」朴烈 1922年 ( 大正11年 ) 

私は犬ころである

空を見てほえる

月を見てほえる

しがない私は犬ころである

位の高い両班の股から

熱いものがこぼれ落ちて

私の体を濡らせば

私は彼の足に

勢いよく熱い小便を垂れる

 

私は犬ころである

  

その、犬ころの「ろ」の発音に、少々私は違和感を感じた。

チェ・ヒソさんの「ろ」が日本人のそれよりも若干 Rに近かったからである。

 

皮肉にも、私に十五円五十銭を思いださせてしまった。

 

十五円五十銭

関東大震災で、自警団が朝鮮人か日本人かを見極めるために使った有名な言葉。

「十円五十銭を言ってみろ」

この言葉によって多くの惨劇が生まれた。

 

 

忘れてはならないこと

物語のクライマックスで、水野は朴烈にこう言う。

「なぜ無期懲役にしたと思う?生きたまま世間に忘れさせるためだ。

 せいぜい長く生きたものとして世間に名を残せ」

 

水野は、こんな事件は一ヶ月もすれば世間は忘れてしまうだろうとたかをくくる。

しかし現実は違った。

 

そう、違わなければならないのです。

あの凄惨な出来事は、96年経った今でも私たちは心にハッキリ刻み、

朴烈と金子文子の名も語り継がなくてはいけないことだから。

 

 

 

 

 

おまけのけ

映画上演前に館内に流れていた曲が、どこか懐かしい調べで。。。

映画の中でも使われていた『イタリアの庭』というタンゴだったが、

映画の歌声と、館内に流れていた歌声とははちょっと違うようでもあり、、、

ネットで探してみた。

 

挿入歌「伊太利の庭」は、昭和に発売された 唄:崔承喜(チェ・スンヒ)のものだったが、

YouTubeでヒットしたのは、淡谷のり子さんの「イタリアの庭」バージョンと

 

オリヱ・津坂さんの「伊太利の庭 ( 愛の歌 ) 」

 

参考にさせていただいたサイト⤵ 

 

最後にひとりごと

この金子文子は日本人には描けない、と誰かが書いていました。

そうかも知れないと思いました。

 

・・でも、この人たちなら出来るかも、

私が考えたキャスティングは、

朴烈…椎名桔平 金子文子…尾野真千子