玉川上水とか代田とか、ローカルな話が続き、そろそろ、
いや、もうとっくに閉口されていることと思います。
でも、あと二回だけ、
どうか、お付き合いいただけないでしょうか
⤴ 一回じゃないんか、二回 ⵈⵈ
今日は、代田橋の昭和な小径の謎がとけたお話です。
5月に見つけた不思議な小径が、周囲の道より細くて昭和なワケが知りたくて、
色々調べていたら、地元の方から貴重なお話が聞けました。
あの場所だけ、どうして狭くて昭和なのかという話。
地図でみてみると、このあたりです。
この部分だけ、両端の通りの1/3の狭さです。
両脇は広くて、緑道になっているっていうのに。
この先がクランクになり、狭くなる。
さらに進むと、もう一段階 狭くなる。
この先に、昭和な小径があります。
チコちゃん風
何故ここだけ、取り残されたような道なの?
それは東京都水道局の持ち物で、住民に貸してあげてるから~
この道は、淀橋浄水場へと水を通した玉川上水新水路の跡地です。
淀橋浄水場が無くなる5年前には、この水路は役目を終えたんですが、
新宿から環状七号線にぶつかる地点までは道路として使われ、両側には都営団地も建っています。
ところが環七の交差点から西は、そんな広い道路は必要なかったのか、整備されなかった。
それでも、高速道路建設計画もあり「ここを使うかも」と候補地になっていた。
それで、凄く安い価格で払い下げられたらしい。
安いのには条件がある。
「建替えは出来ないからね」という条件と
「使うようになったら返してね」という約束。
小径の両サイドが古家だったのは、そういうワケだった。
結局、首都高は、137m南に平行して走ってる甲州街道の上を通すことになり、
この場所は、忘れ去られた。
お話しを聞いて、よく見てみると、ホントに古い。
脇道は、昭和の映画のロケ地に使えそう。
古くて住めなくなり、壊された家の跡地も、チラホラ。
建替えが出来ないとなると、ずっとこのままなのか ⵈⵈ
環七の交差点に出て、
振り返ったところは、
手前の二軒は、環七に面しているからビルに出来たのかもしれない。
しかし、その隣の高層ビルのようにはお金はかけられない。
何故なら「使うようになったら返してね」の土地だから。。。
昭和の小径に平行する脇道がありました。Uターンして歩いてみます。
地図でみる南側の境界線がさらに細い道になっている。
昭和の小径の家々の裏通り、風情があって素敵だ。
こちらの方が、一段低い。
向こうに見えるのが、さっき歩いた昭和の小径。
家と家の隙間からも昭和の小径がのぞける。
横向きになれば通れるか w
古家を壊した跡地は、こういう使い方
つきあたりに、また、何ともいい感じのアパートが。
左斜めの道を進むと、代田橋の沖縄タウン (商店街) に抜けられます。
消防法とか、建築基準法とか、様々な問題があるのでしょうが、
こういう場所が残っているのは素晴らしい。
この家が、一年でも二年でも保ちつづけられますように。
参考にさせていただいたサイト