腕の良いリハビリの先生がいると聞いて、大塚にやってきました。
鎌倉で調子に乗って歩き回って、あちこち痛くなっちゃったものだから。
診察して下さった院長先生は凄く丁寧です。
その院長が全幅の信頼をおいているという、リハビリの先生は神の手の持ち主でした。
大塚は通うには遠いが、この際なので持病の腰痛を含めて全部治していただこうと思います。
して。
初日の今日あたりはフラフラしないで、真っ直ぐウチに帰ればよさそうなものだけれど、
都電を見たら乗りたくなってしまいました。
終点・早稲田に到着。
さて、どこに行こうか。。。
そういう時は、駅前看板の地図を見る。
甘い泉? かんせんと読むのかな。
そこに行ってみましょう。
新目白通り側の入り口から入ります。
甘泉園案内
甘泉園という名は、園内に湧き水があり、清冽で常時涸れず、また、茶に適したところから起こったものであり、
その由緒を書きしるした石碑が、園の南東に当たる水稲荷神社の社務所脇に現存している。
この池は、江戸中期の安永三年 ( 1774年 ) 徳川御三卿のひとつ、清水家の下屋敷がおかれたところである。明治三十年ごろ、相馬家の所有となったが、昭和十三年早稲田大学に移譲された。
戦後、都はこの地を買収し、改修の手を加えて、昭和四十四年、区へ移管した。
庭園は、神田川右岸を東西に走る台地の北面の傾斜地とその低地にあって、段丘の高低差を利用し、泉の水を引いた池を廻遊する林泉になっている。
池傍より見上げる雄大な常緑樹林に囲まれ、春のツツジ、秋の紅葉が水面に写り、見事な景観を創り出している。
甘泉園公園は元々、清水家の下屋敷だったところが、
明治初期に相馬子爵相馬永胤の邸宅になり、その後早稲田大学の所有になり、
東京都に譲渡され公園も整備、そのあと都から区に移管されたそうです。
何だか、ややこしい。
日本庭園入口 ( 新目白通り側 )
竹垣が、綺麗に整えられています。
これだけ広い池があっても蚊が一匹もいない。
ボウフラ対策とか、しているのかしら。
松も紅葉もキチンと剪定させている。
ほんとうに武家屋敷にタイムスリップしたみたいだ。
新目白通り茎から公園の反対側まで歩いたら、フェンスに突き当たりました。
かなりの高低差で、下に環状4号線がみえます。
ちなみに。
環状4号線から、公園を見上げるとこんな感じ。
凄い高さの盛り土になっている。
いや。
もしかして、盛り土ではなく道路のほうを切通したのか ……
踏み石の先に環状4号線に降りる階段がありました。
庭園内は、下草まで綺麗に整えられています。
出入り口の看板が愉快!
「へびを見つけても、刺激しないでください。
毒はありませんが、噛まれることがあります」
蛇生息は前提なのか、ワイルドな公園です。
残念ながら、へびには遭遇できませんでした。