渋谷区宇田川町。渋谷税務署・法務局の建物の角に、ある慰霊碑があります。
今日は、線香と花が目立ち、お酒まで置いてある。
そうか、今日は2月26日だった。
84年前の昭和11年 ( 1936 ) の2月26日が「二・二六事件」が起こった日です。
ここは「二・二六事件」の被告15人 ( 翌年に4人 ) が処刑された地。
煉瓦は、当時の刑務所 ( 刑場 ) の壁だったものらしい。
慰霊碑を建立したのが河野司さん。
司さんの弟は2・26事件の首謀者のひとりで、
3月5日に自決 ( 死去は6日朝 ) した
河野司さんは、弟の自決に際しても深い関わりを持つ方です。
Wikipediaから⤵
自決について
牧野伸顕襲撃時に負傷、東京第一衛戍病院熱海分院(現・国際医療福祉大学熱海病院)に入院していた河野の元には、弟たちから自決を促す電報が寄せられていたが、本人は既に自決することを決めていたと言われる。
面会に来た兄・河野司(当時上野松坂屋勤務)に自決用の刃物を密かに持参するよう依頼した。
司は、渋谷・道玄坂の刃物店で果物ナイフを購入、差し入れを行った。
3月5日午後、軍服に着替えて病室を抜けだした河野は、分院の外で割腹、頸動脈を突いて自決した。
しかし果物ナイフだったことから致命傷にはならず、16時間が経った3月6日朝、死去した。享年30(満28歳没)。
葬儀は東京で行われ、徳川好敏中将ら所沢飛行学校の教官、同期らも参列したという。
辞世「あを嵐過ぎて静けき日和かな」 墓所 賢崇寺(東京都港区元麻布)
なお、自決時の果物ナイフ、遺品などは、襲撃現場となった光風荘に展示してある。
この場所には今、渋谷税務署、法務局、渋谷公会堂 ( 現在はLINE CUBE SHIBUYA ) 、
渋谷区役所、大向小学校があります。
明治終わり頃 ( 約110年前 ) の地図を見ると「
当時の入口は、東側だったみたいです。⤴ 五差路のところ。
出典: 『東京名所図会』 ( 東陽堂 ) 明治44年
時代ですね、関東大震災直前 ( 約100年前 ) も「
昭和戦前期 ( 約90年前 ) の名称は「
昭和11年頃 ( 約80年前 ) の航空写真
昭和11年、この年の7月12日にこの刑務所の北西 ☗の位置が刑場だったようです。
その場所に建立された慰霊碑には、沢山の方が訪れる。
刑の執行された7月12日にもまた、多くの方が慰霊に訪れることでしょう。