Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

SONGS 槇原敬之

  

f:id:garadanikki:20141118094819j:plainSONGS (第240回OA) に、槇原敬之登場。
録画もバッチリしたので、毎日見てしまいそうです。
曲目は代表作の「もう恋なんてしない」「どんなときも」と
新曲「四葉のクローバー」の 3曲でした。

番組には、秋深まる雑木林を、愛犬と散歩する槇原さんの姿が、
収められていました。音楽から離れ、アーチストとしてのスイッチをoffにする時間を、槇原さんはとても大切にしているそうです。そしてもうひとつ。曲を作る時に欠かせないのが “季節”なのだそうです。
秋の秩父路で語られた『自然が教えてくれることについてのお話』が、とても心に沁みました。

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【大樹からエネルギーをもらう】

「大きい木って…。ひょっとしたら自分が生まれる前から、そこにあったかも知れないっていう木があるじゃないですか。すごいなって思いますよね。そうすると信じたくなることもいろいろ出てくるし。
例えば、人間が生まれ変わるとか。生まれ変わる前の自分を、木は知っていたんじゃないかって思うと、ロマンは広がりますよね。」

「自分の先入観とか、“ こうでなければいけない ” ということが、いとも簡単に自然の中で無意味に感じます。木々がお互いの太陽の分量を取るために、お互いが助け合って木と木が縫い合いながら伸びていく感じを見ると、それって奇跡じゃないですか。ここは、こうあるべきなんだっていう、たかだか人間が決めたような事で、モノの本質を見逃すことが多い中で、自然は『あっ、そんなこと気にしてんの』みたいな『もっと大事なことあるんじゃないの?』っ、最近すごく感じますね。」


そうそう!
常々感じていたことを、端的な言葉にしてくれました。
尾根歩きも、そんな感覚を味わいたくて通っているのかも知れない。

でも、だからといって毎日毎日、自然の中で過ごせるわけじゃない。
たまにだから新鮮で、たまにだから吸収できるのかも知れません。
心や体が “ いっぱいいっぱい ” になった時、いつも遠出できるとは限らない。
そんな時、ワタシは神社に行きます。

神社って、都会の中でのパワースポットの最高峰じゃない?
今の時期、紅葉や落葉を存分に楽しめる場所で、掃き清められた落ち葉は捨てたり焼いたりせずに、大樹の根元にふわっと積み重ねて、自然の肥料にしてあったり。そんな自然の中に身を置くと、ギスギスしがちな日常生活を浄化してくれる気がします。自分がホッとできる場所を持てて、幸せに思います。

【どんなときも について】

「ただただ何か頑張ろうと思って、東京という大きな街に出てきて、ごちゃごちゃした所にいて “ 何かできる ” と、思ってる人たちの感じみたいな。

あと、その中でも目立つのが、志半ばで折れていく人だったり、本当に自分がやりたいと思うことを貫けずに嘘ついたりして、結局自分は自分を追い込んでしまうかたちになったりするのもよく見るんで、いつか自分の曲で、誰かが元気になってくれたらいいなって。それだけは棄てずに、励ますとかそんなこと、とんでもないけど『明日もちょっと頑張ってみようかな』みたいな。

『♪鏡の前笑ってみる まだ平気みたいだよ』っていう歌詞も、自分のことを歌ってるんですけど、でも案外自分もそうだったんで『みんなもやってみたら?』みたいな。まあ、ピュアさでいうと、もの凄いピュアさな歌詞ですよね。」


「いつか自分の歌で、誰かが元気になってくれたらいいな」 …素敵な想いだな。
でも、槇原さんのスタンスって、決して押し付けがましくない。「案外自分もそうだったんで、みんなもやってみたら?」という言葉通りの、さりげないスタンスです。
人に対しての寄り添い方が、とても繊細なんだろうな。そんな槇原さんだからこそ、“ほんとうの応援歌”が生み出せるのだと思います。

【四葉のクローバー】
この曲は、槇原さんが今年の6月アイルランドに旅行に行き、そこで出会った人々や自然にインスパイアされて作られたのだそうです。ドラマ『ゴーイング・マイ・ホーム』の主題歌としても使われています。ドラマの本編で流れるゴンチチの曲との相乗効果もあって、ドラマの雰囲気作りに大いに役立っています。

“目に見えないものを信じることの大切さ”を綴った歌詞は、ドラマのテーマとも、しっかり合致していて心を揺さぶられました。
ティン・ホイッスル、フィドル、アコーディオンなど、ケルト音楽には欠かせない楽器を駆使したイントロは、アイリッシュな雰囲気をかもし出していて心憎い。クーナ(ドラマの中で出てくる小人)を探しに、尾根歩きに出かけたくなりました。