小学校の時、親友からこんな話を聞いた。
「この前、まるこんとこに電話して『まるこ います?』って聞いたら、おばちゃま こう言うの。
『いるわよ、たそがれてる。今、呼んでくるわね』って。
その時、初めて “たそがれてる” って言葉知ったんだ。」
親友の話で、ワタシも初めて “たそがれてる” を、知った。
母親から “たそがれている” ように見られていることも知った。
先日、映画『めがね』を観て、“たそがれる” について考えた。
映画は、南の島に一人旅でやってきたタエコ ( 小林聡美 ) が、
商売っけのない民宿の主人ユージ ( 光石研 ) や、
地元の教師ハルナ ( 市川実日子 ) や、
浜辺で氷をふるまうサクラ ( もたいまさこ ) らの
余りにもスローな生活に戸惑うが、
やがてその “ たそがれライフ ” を習得し、満喫するっていう話。
「たそがれないのになんでここに来たんですか?」
ハルナに言われ、タエコ 考えます。
皆で食べる宿の食事にも。
浜辺のメルシー体操も。
朝起こしにくるサクラさんにも辟易してて、
皆が「世の中で一番ウマい」と言う サクラさんのかき氷も苦手だけど。。。
タエコは、ユージにこんな質問をします。
「そがれる秘訣、教えてください」
「たそがれる」って、なんとなく憂鬱な気分で「トホホ」という感じだと思ってました。
でも映画の「たそがれる」は、ぼーっと何も考えない行動、どちらかといえば、いや確実に、
いい気分 の意味あいで、悲しい 要素はない。
「たそがれる」の語源は、夕方、黄昏時、ぼうっとして誰か見えない様ということ。
ならやっぱり本来の意味の中に、憂鬱感、悲壮感、しょんぼり感はないのかな?
もしかして、「たそがれる」と「たそがれてる」とは違うのか。。。。
たそがれ清兵衛は?
黄昏のビギンは?
ワタシの母は、どういう意味で言ってたんだろう?
うん、これは、母親に聞いてみよう。