『ジェニイの肖像』ロバート・ネイサン著 山室静香訳 を読了。
鎌倉書房が昭和25年刊行されたもので、初めての邦訳だったようで、大分傷んだ本。
10月下旬、池袋で開催されていた古本市で見つけたもので、昔、舞台『ジェニーの肖像』を観ていたので購入しました。
タイムトラベラー物として、とても古い作品です。
創刊が1939年というから昭和14年、今から74年も前の作品です。
邦訳されたのが11年後の1950年。
それだって私はまだ生まれてないわけです。
ある冬のたそがれ。公園の樹かげの路で、ひとりで石けりをしている小さな女の子に、飢えて気力を失った無名の青年画家がしずかにやさしく話しかける。
深い水の底の宝石が波のまにまにきらめくような、ふしぎに美しいファンタジアに浮ぶ、暖かな愛のものがたりが、こうして始まる。今の世にもあり得る深い眞実性を啓示するために、作者は、次元の異なる現実をこの小説において試みている。
純愛の香りたかいこの純らかなロマンスは、アメリカにおいてすでに百万の読者をもち、また名優ジェニフア・ジョーンズの主演によつて映画化されている
『ジェニイの肖像』表題前頁より
上記は、表題の前のページに書かれた紹介文で、誰の文章かは不明です。
翻訳の山室さんが書かれたものかも知れません。
【あらすじ】
ある日、貧しい画家イーベン・アダムスはニューヨークのセントラル・パークで昔の人のような服装をした不思議な少女ジェニーと出会う。
彼女をモデルに描いた絵が認められ、アダムスは画家として芽が出かける。
再びジェニーに出会ったアダムスは彼女が美しい女性に成長していることに驚く。
舞台を観たと言ったけど、どんな話だか忘れていた。
そのお蔭(笑)で、とても新鮮に楽しめました。がしかし、途中まで物凄く間違って読み進めていました。
「なんだ、パリの話じゃないんだ」
至るところにアメリカの地名が出てきてるのに。訳者の選んだ言葉のイメージか、舞台の雰囲気か、いやいや、単純に私の勝手な思い込みだったのでしょう。
呆れます。
それから。
意外とジェニーについての記述が少ないことに気づきました。画家イーベンがジェニーのどこに惹かれたのかに、あまり触れてない。
舞台版は、もっとジェニーがクローズアップされた感があったのに、原作の方は意外と希薄。
画商のマシュー氏とスピニー嬢、タクシー運転手ガスや、レストラン アルハンブラの亭主モーア氏、友人の画家アルネなんかの方が、出番が多いし、彼らとのやりとりの方が克明に描かれています。
画家の目を通した作品だからでしょうが、風景の切り取り方も色彩を交えた緻密な表現になっています。
それに比べてジェニーとの場面が淡泊に感じられました。
でもそれが返って、ジェニーについて想像力を膨らませることが出来ました。
もしかして計算だったのか、だとすれば、そんなところが人気の鍵かも知れない。
書棚の奥に眠っていた、舞台版『ジェニーの肖像』のパンフレットを引っ張り出してきました。
1990年5月の作品、ということは、うわっ23年も前の舞台でした。
とんちゃん ( 毬谷友子 ) 若い。
でも計算してみたら、この時 彼女はもう30歳だった。
劇団「遊◎機械/全自動シアター」の高泉淳子さんは昔「ランドセル背負わせたら日本一似合う女優」と言われましたが、同じ意味で《幼女を演らせて秀逸》だったのが毬谷友子さん。
そんなとんちゃんも幼女から妖女になりました。
時が経つのは早いものです、ジェニーのように。