「昔の面影がどこかにないかな」と思い、歩いていたら
上之橋についての案内板があった。
要約すると、
昔、この辺りに上之橋、中之橋、下之橋という3つの橋があって、
それらを境に上佐賀、中佐賀、下佐賀という地名だった。
中之橋と下之橋があった場所は埋立られ、既に橋はなく、
上之橋の部分も川が暗渠化されたので橋は撤去された との由。
今では、橋名を刻んだ親柱4本が、記念として残っているだけ。
こんな橋が、架かっていたのか。
昔の地図を見ると、上中下の三つの橋が全部ある。
建設省国土地理院所蔵 明治17年7月『東京府武蔵國日本橋區蛎殻町及深川區佐賀町西大工町近傍』
地図の検索 - goo地図では現在の地図と古地図が比べられるから、地図好きには堪らない。
※ ただし、世田谷区や杉並区など東南の、昔は中心地から離れた村の古地図はない。
同じ場所を過去から現在まで並べてみた。
まず 明治の地図
昭和22年の写真図
昭和38年の写真図
そしてこれが現在
《橋を架ける》というのは、《進歩》かと思いがちだが、そうではなかった。
川や海を埋め立てたり暗渠化してしまえば、橋は要らなくなる。
特にこの辺りは埋め立て埋め立てで出来ていった場所だから、どんどん様子が変わる。
古地図と現在の地図を見比べる時、よく私は寺社仏閣と川・橋を目印にしていたけれど、
そうはいかないことも多いのだと複雑に気持ちになった。
佐賀町を歩く つづく。