お目当ての木造家屋を目指し、ヒルサイドテラスをぐるり回ってみると、『旧朝倉家住宅』という看板が。開館中との張り紙もある。
門扉の先に守衛室のような建物があり、そこで入館料を払うらしい。簡単な注意事項を聞くと、フラッシュをたかなければ撮影OKとのこと。やったね。
入館料は、一般が100円、子供が50円で、そのあとに年間観覧料500円。 …年間って、なに(?)
砂利道を歩くと、ザクザクと心地よい音がする。
玉砂利は、厚く敷きすぎると足を取られて歩きにくいし、薄すぎれば足元が固くてよろしくない。
その点こちらは最適な厚さ、凄っ!
玄関前だけでも、この広さ、凄っ!
観世流の家元のお宅も、こんな感じの玄関だったなぁ。
勝手口は立入禁止みたい。残念っ!!
「ハレ(霽れ)とケ(褻)」
どちらかというと本当は、ケ(褻)の部分が見たかったのに。。。
玄関から外を見たところ
玄関から左に折れた応接間の脇の回廊
洗練された障子の文様や欄間、襖絵に唸(うな)る!
敢えて東南角地に厠(かわや)を設ける斬新さ。陽光あふれ明るく清潔な手洗いに、来客への配慮がうかがえる。
木製レールについて、こんなことが書いてある。
「日本の建築では、縁先の戸は障子戸であり、敷居の上を滑らせていました。しかし、明治時代になると、障子戸は硝子戸に変化します。重くなったので、硝子戸には車輪が組み込まれ、敷居の代わりに鉄のレールの上を戸が行き来するようになりました。 旧朝倉家住宅の硝子戸は足元が鉄ではなくて堅木のレールになっています。鉄さびによる汚損がなく、一つ一つのレールが短かったため交換も簡便だったためと思われます。しかし、これが広く普及したということはなかったようです。」
こんな細部にまで拵(こしら)えをしてあるなんて、凄っ!
朝倉家の応接間は、東南に突出している為、一日中太陽が回り込む明るい空間。
それにしては、地袋(じぶくろ)や襖の表具が色あせていないのは、どういうことか知らん。
軒(のき)を深くしたことと、広縁を設けることによって、直射日光が当たらないようになっているからなのか…な。
触っちゃダメって書いてある。はい、触りません。
庭は、灯篭の地面を見ても分かるように、南に深く傾斜しています。
崖線という地形をうまく利用した回遊式庭園は、西郷山公園と同じです。
見事な蹲(つくばい)
水を張ったら、どんな色になるんだろう…
朝倉家の階段は東西にひとつずつ配されてます。
驚いたのは、2階も見学できること。
前に、鎌倉文学館に行った時も、耐久性の問題で2階はNGだったのに、ここはOKだなんて…。
94年も前 ( 大正8年築 ) の、しかも木造建築なのにね。
それって 超 堅牢な造りだってことだよね。
もうほんとうに「驚いた!」です。
多少、ギシギシは言うけれど、びくともしない。
綺麗な木目が、何年もかけて磨かれてツルツル。
2階東側に和室が2部屋。書生さんや事務方が使う部屋かしら。
2階廊下より階下の杉の間を望む。
床材の堅木に比べ、節のある柔らかい木の手摺が、触り心地がよく面白い。
書院造の表具は、西日によって趣きが変わるような気がする。
2階手洗いの壁に、すりガラスがはめ込まれていて、明かりが入る仕組みになっている。すりガラスの額縁が素敵。
マンションが建っちゃって、ちょっと残念
重要文化財である旧朝倉家住宅の母屋は二階建てで、ほぼ全室が畳敷き、屋根は瓦葺、外見は下見板張りで、漆喰塗りになっています。これは昭和初期までの大邸宅によく見られる造りだそうです。
飽きのこないモダンかつシンプルな調度品、当主のセンスがうかがえます。
当時、母屋の1階は、家族の日常生活の場であり、正式な来客は、応接間を使用していたそうです。当主の虎治郎さんが公職にあった時は、専ら2階を会合などに使用したと思われるとの由。西側の杉の間は、陳情などの私的な客を応接するときに用いられたのだそうです。TPOに応じて、色々な使い方をされていたんですね。
西階段を降りると北側には、食堂や台所、風呂場や家族室などプライベートな空間が連なってますが、保存状態の問題か、立入禁止になってます。残念だけど、中廊下を杉の間の方に進もう。
中庭から、土蔵が見える。どうやら土蔵には周り廊下で行けるみたい。凄いねぇ。
それにしても広い。
中廊下を南に進んだ所に「角の杉の間」と名付けられた部屋がある。
広間を挟んで応接間と対象的に建ってるけど、応接間とは雰囲気が違う。
こっちの方が落ち着いて、静かな感じがする。
角の杉の間の縁先から1間突き出した部屋の壁。杉張になっている。あっこれが名前の由来なのね。
障子の上の飾り板、すてき。 あっ署名が入ってます。。。。読めん。
おおっ、河童に篠笛? 綺麗な木目に、粗削りがしてあって、更に彫物。
それが日光に照らされて浮き上がってる。光線も計算に入れた意匠なのかな。凄い!
違い棚の海老束の部分にも何かが… 河童に見えるけど…違うか。
角の杉の間から中廊下をちょいと戻って左に行くと、杉の間があります。案内板によると。応接間と2階の広間は、正式な応接を行う部屋として、書院造になっている。角の杉の間は書院風。
(これから見る)奥の二間は、くだけた意匠をもつ数寄屋風の座敷になっているんだって。「特に南の部屋は、あらゆる杉材の木目を「板目」で見せる一風変わったものです。この部屋では徹底的に「板目」を使っています。これだけの「板目」材を揃えるだけでも相当な財力が必要だったと思われます」との由。
さて、杉材、いくつ見つけられるかな。
うおぉぉぉぉ~
ここ好き! 今までの部屋と違う雰囲気。
この地袋、いや床の間ないから、何ていうんだろう。とにかくこの戸棚、三角だ。遊び心満載。
杉の組木みっけ~、ほら、軒天が杉だよ。
おっ戸袋も、障子の桟も腰板も、みんな板目が杉だ。
何だろう、部屋ごと宙に浮いてるようなこの感じは…。森に引き込まれそう。
分かった。今までの部屋と違って縁側がないから、樹木が近いのね。
和室から庭を眺めるには、立ったままじゃなくて、座った目線がいいよね。
見学者も途切れたことだし、軒先に座って、ぼ~っとさせてもらおう。
しばし、くつろいでから、また杉材探し。
あっ、襖の梁に見事な板目が。板目を生かすために表具はあえて白にしてあるんだろうね。おっしゃれ~。 ちなみに…襖の反対側ば板張りで竹の絵でした。
杉の間には、爽やかな春の空気が、南から中庭に向けて流れていく。
中庭と南側とで気圧が違うんだろうね。気圧の高いところから低いところに、空気が動く。
暑い暑い京の町屋も、中庭を設けることで、涼風を作り出すそうな。
だからここ、気持ちがいいんだわ。
軒先に座り込み、再び、ぼぉ~とする。
北側のエリアは、立入が出来ません。
こんなに風通しがよくて、日当たりがいい家屋でも、北側は傷みやすいのかな。
残念だけど、立入禁止の看板から見える範囲で、
土蔵の扉を、パチリ。
やはり立入禁止の円窓の部屋 | こちらは茶室 |
ここは屋敷の中央にある第一会議室と呼ばれるところ。
当初、仏間・中の間・寝間の3室あった場所をぶち抜いた
から、こんなに広いわけ。
旧朝倉家住宅は、戦後売却されたあと、幾多の変遷を経て
近年まで経済企画庁の渋谷会議所として使われていたんだ
そうです。なので“第一会議室”
2階の和室も会議室として使われていたのだそうです。
朝倉家唯一の洋間を見て、建物見学は終了。
この後、回遊庭園を楽しんだんだけど、それはまた別の機会に…。 疲れたもんね(笑)