Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

志賀直哉 『或る朝』

 

f:id:garadanikki:20150428111204p:plain祖父の三回忌の法事のある前日、信太郎は寝床で小説を読んでいると、並んで寝ている祖母が、「明日坊さんのおいでなさるのは八時半ですぞ」と云った。

「わかってます」と云った信太郎だったが、ランプを消したのは一時を過ぎていた。

翌朝、信太郎は祖母の声で目を覚ました。
「六時過ぎましたぞ」
最初は、驚かすまいと耳のわきで静かに云っている。


「今、起きます」
「直ぐ起きます」
「大丈夫、直ぐ起きます。彼方へ行ってて下さい。直ぐ起きるから」 彼はまた眠りに沈んで行った。
「さあさあ。どうしたんだっさ」今度は、角のある声だ。
 

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『或る朝』は、祖父の法事の朝の、祖母と孫のドラマです。
“夜更かしをして起きられない孫”と祖母との心境風景が、とても丁寧に描かれています。
最初は優しく起こす祖母の声が、次第に荒くなっていくところも面白く、あわただしく用事をこなしながら、

起こしにくる様子がよく伝わってきます。

孫の方も、あまりうるさくされ腹をたててしまい、とっくに目は覚めているのに、起きるきっかけを失ってムッとするといった心境がおかしく、甘ったれ具合がチャーミングにさえ感じました。

「そうだった。起きれない自分が悪い。それは重々わかっていながら、
 起こし方が悪いから、気持ちよく目覚められないと、母親をなじったことがあったなぁ。」

自分の中学の頃を思い出しました。
物語でも、信太郎が起きるきっかけを失っている場面が、
「起きてやろうかと思う。然しもう少しと思う。
 もう少しこうしていて起こしに来なかったら、それに免じて起きてやろう、そう思っている。」

と、書かれています。

主人公は、信太郎という名前になっていて、弟は信三、妹は芳子になっているけれど、志賀直哉自身の話のようです。
年譜 ( 筑摩現代文学大系20 ) を見ると、祖父の直道が亡くなったのが、明治三十九年一月十三日で、小説の祖父の三回忌が、明治四十一年正月十三日とピッタリ符合するからです。
意外だったのは、小説の信太郎を、15~6の未成年のイメージで読んでいたけれど、実際の直哉は25歳だったこと。
志賀直哉は祖父母、殊に祖母留女(るめ)の深い愛情に育まれて成人した。つまり、目茶目茶じいさん・ばあさん児だったそうなので、祖母の前では、いつまでもこんな感じだったのかも知れません。