『同じ釜の飯を食う』という言葉がある。
(おなじかまのめしをくう)とは、同じ共同体が同じものを食べることによって、同体としての帰属意識を持つこと、あるいはそれを強化する意味がある。また、日本古来の呪術的な意味もある。
日本古来の呪術的な意味もあるとは知らなかったが、同じものを一緒に食べることは、互いの距離を縮める有効な手段で、「みんな一緒に、がんばろう」という気分になるから不思議だ。
ところが最近、他人と鍋を囲めないという人が増えてきたらしい。
もっと気の毒なのは『会食恐怖症』。
鍋どころか、人と一緒に食事が出来ないのだそうだ。
「会社に勤めたが、営業で人と会食が出来ず辞めた」
「彼女を作りたくても、食事が出来ない。
映画に誘っても、その後食事をしなければ思うと予期不安にかられる」
かなり深刻な話だ。
原因は様々だが、日本人の食生活の変化にも関係があるらしい。
昔は家族揃って食卓につき、同じものを食べていたけれど、核家族化が進み生活習慣もバラバラになっていく中で、『孤食』『個食』の子供が誕生した。そんな中、特に潔癖だったり、偏食だったりすると、「人と食事をしようと思うと吐き気がして物が食べられない」といったことになるようだ。
好きなものを、好きなだけ、好きな時間に、ひとりで食べる。
私が子供だった頃には絶対に許されなかったことだが、今それを とやかく言う親は少ないようだ。
「あたしね、初デートの時、彼の前でソフトクリーム舐められなかったのよね~」
9月26日放送『ピッタンコ・カンカン』に出演していた女優の高畑敦子さんがそう言っていた。
京都ロケ街頭で買ったソフトクリームを舐めながらのコメントだった。
「今なら、ほら、こうしてベロ出せるじゃない? だけど、大好きな人と初めてのデートだったから、
恥ずかしくってベロが出せないのよ。ソフトクリーム買ったはいいけど溶けちゃったわ。(笑)」
わかる。わかる。
思春期っていうのは、そんなもんだった。
でも大抵、大人になると自然に解消していく。
《食べる》という行為が恥ずかしいものではなくなり、過剰な自意識も消えていく。
食いしん坊である ことも大切なことではないかと思った。