Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

映画 『流れる』 ③ 勝代の生きずらさについて

 

映画『流れる』を観て、残念だと思うことがあります。

勝代役に高峰秀子さんが起用されたことです。

高峰秀子といえば、美貌を持って原節子と人気を二分した方でしょう?

そんな女優さんに勝代役をやらせるなんて。。。と

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原作の勝代という役は、器量の悪い娘で、母親の跡つぎ ( 芸妓 ) にもなれない。

かといって堅気の家にも嫁げず、置屋という商売があだとなり養子もとれずの、八方ふさがりの娘です。

美人だけれど要領の悪い母を見て育ち、悶々と生きている。

そんな環境だから屈折しているというか、性格もひん曲がったところがある。

強いことが言えない母親を不甲斐なく思うものだから、お抱えの芸妓たちにも高圧的な態度に出る。

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どんどんきつくなる。 

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なみ江という芸妓をいびり出してしまう、

結果的にはこれが、家の没落のキッカケにもなるのです。

 

そんなキャラクターを高峰秀子がやるとなると、どうなるか。。

キャラクターの変更です。

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「母親の跡をついで芸者として出たものの、客に媚びを売る商売が性に合わないから辞めた」

という簡単な設定で片づけられてしまいました。

でもここでもう少し原作の台詞を足してあげていれば、もう少しやりようがあったかも知れません。

美人女優でも、セリフの助けで醜女にもなれると思うのです。

原作の台詞はこんなでした。

「―私、自分の器量がわるいのも知っててよ。おまけにのっぽだわ。小柄なら目立ちもしないのに、因果と大柄なんだわ。いい器量なら背の高いのはひきたつのに、不器量だと背まで重荷に小づけになるものなんだわ。

          (中略)

それに私もたしかにきついわ。ヒステリーだって言って軽蔑されるのよ。私、ふんと思うわ。

そこへおかあちゃんがあの通りでしょ? 芸があって、綺麗で、妙にくなくなっと優しいところがあるでしょ。コケットだわ。

おかあちゃんは普段はひとに好かれてちやほやされるけど、なにか事があると置いてきぼりされる。

私は普段嫌われてても、なにかあったときおかあちゃんの為に闘っちゃう。だからいよいよきつくなる。

そんなこと言われるの自分だって嫌だわ。みんな運が逆目に出てるんだと思って諦めてるけど、

 

‥‥あんた知ってる? 私一度おひろめして出たんだけど、売れないもんだからさんざ陰口利かれてやめたの。だから、うちにいるんだってみんなの手前なんとなく肩身は狹いのよ。でも、ほかに何ができるってわけじゃなし、じいっと静かにつぐなんで暮らしてようと思えば、こんないろんなことが次々出て来るでしょ。そのたんびにおかあちゃんの役に立ってくれる人がないから、私黙っていられない、やっきになってなんかするでしょ、どうせきついことも言うわよ。

 

ひとにも依怙地だって言われるし、自分も依怙地になったと正直そう思うわ。それにおかあちゃんて人も、どうしてあとからあとから変てこな事件に会う人なのかしら。やっぱり運がよくないのね。

‥‥ねえ、しろとさんの娘なら、ここでどうするのかしら。」 ( p.122 )

悲しいですねぇ。まぁ不憫ですねぇ。 ( 淀川長治か ) 

こういうセリフを簡単にしてしまうと、道理が変わってきます。

人物像が描かれていないものだから、物語のつじつまも狂うし、高峰自身もどう演じていいかきっと悩んだことでしょう。

 ( 作品をみれば、宙に浮いてしまって大層やりにくそうな様子は伝わってきます ) 

 

例えば、佐伯 ( 仲谷昇 ) と大川端を歩くシーン。

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どう見ても美男美女がただ散歩をしているようにしか見えません。

 

でも本当は、勝代はお浜の甥-佐伯に淡い恋心を抱いてます。

「駅まで一緒に行く」と行って歩き出したものの、打ち明けられない女なんです。

 

母親のつた奴も、娘の気持ちに気づいているから、

「ご飯を食べに誘ってやって」みたいなことを佐伯に言います。

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不器量に生れた娘と、それを不憫に思う母親の哀しさがこの物語の中で大切なエッセンスだと思うのです。

原作ではこんな書かれ方をしています。

娘は勝代ひとりきりで、しかもそれかやはり褒めた目鼻立ちでなく、へんに権高で芸妓にもなれず、さりとて堅気へ縁づけるいゝ伝手もなし、まあ当分さきゆきに孫の抱ける見込みもない。 ( p.67 )

 

つたの家の女たちは、それぞれ男でしくじっています。

主人は旦那と切れ、染香は年下の男に逃げられ、米子は二枚目の板前に捨てられている。

なゝ子もかつての恋人の不甲斐なさに泣いています。

そんな中、男のことでしくじる以前の状態にあるのがこの勝代なのです。

 

『流れる』は、悲しい女たちの、運命に翻弄される者たちのドラマです。

 

 

以前も述べましたが、映画化にあたって原作と違う云々を言っているのではありません。

変更するならするで、その意味をキチンと成立させ、脚本に人物像がキチンと描かれていさえすれば問題はないのです。

でも単に、無理くりの、付け焼刃の、安直な変更ならば物語全体がぎくしゃくしたものになると私は思うのです。

 

高峰秀子さんも必死に役柄を摸索している様子。

それを証明する貴重な資料を見つけました。 ( 続きで紹介したいと思います ) 

せめてその助けになるような台詞をもう少し足してあげていたら、、、、

映画「流れる」の台詞を聞いて、そう思えてならないのが残念なことでした。

 

 

原作のこんなセリフあったら良いのになぁ

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「出てってよ!」

とうとう勝代がそう言った。勝代ひとりの一方的なまくし建てで、染香は黙ったきりだったから、これは自分で煽りながら結論づけたことになる。

指の腹で涙を拭いて

「じゃあ出ていってもいいんですね。行きましょう。あたし涙が出たけど、こりゃあんたのおみごとな啖呵で泣いたんじゃないんですよ。ひとを…恋しいとおもって泣いた涙ですよ。あんたなんか知ってるもんか!  それからもう一つ、これはあんたへ置土産、…あのね、下顎が出っ張ってるとせりふに凄みがつかないってこと。‥ご機嫌よう。」

 

役者を殺すも生かすも簡単。照明と台詞を省きゃいい。