先日入手した「<流れる>おぼえがき」について、面白いことがわかりました。
装幀についてなんですけどね、二つの本を見比べてみてください。
右が小説「流れる」の装幀、左がその装幀を真似して作られた資料「<流れる>おぼえがき」です。
小説の装幀は、鹽(塩)谷 賛という方の手に寄るもので、幸田家に密接な繋がりのある人物でした。
鹽谷さんは、晩年の露伴の助手として「評釈芭蕉七部集」などの口述筆記に携わっていて、後年、幸田露伴研究家となられたそうです。
「あれっ」と思って、ちくま日本文学「幸田文」をひっぱり出してみました。
『段』という短編が、露伴さんが七分集評釈の仕事をしている時の話だったからです。
ありました、ありました。
「小橋さん」という名前の助手が登場しています。
八畳からは口授の声が断続して聞こえていた。低いから心をとめて聴いていれば何を云つてるのかもわかるが、気を放せばすぐもうわからなくなる。私は睡るともなく居睡った。
小橋さんが夜なかも何も忘れたような声で、「おめでとうございます」と云ったので気がつく。
―あら、おかしい。うちじゃあんなことを云ったためしはないのに、と思う。
小橋さんがこちらの部屋へ出て来た。この寒さに、上気していい気色だ。眼もくりんとしている。私にも改まって脱稿の喜びが述べられた。
鹽谷賛、本名-土橋利彦。この「小橋さん」こそ鹽谷さんのことではないでしょうか。
興味を持っていた事柄と事柄が、パズルのピースのようにプチッとはまる瞬間。
前に読んだ時には気づかなかったことなのに、何かのはずみで生きかえったような、、、そんな瞬間も、読書のひとつの愉しさなのかも知れません。