日暮里の道灌山の東の裾に、宗福寺という寺がある。
道灌山の崖下には石神井用水がながれてい、この川は南から東へまわり、根岸川となって、その末は浅草の山谷堀から大川へそそいでいる。
宗福寺の西側に、この川がながれていて、その川辺りを北へ向かって少し行くと、木立に囲まれた原がある。
むかし、此処に、
「新堀長者」
などとよばれた物持ちの屋敷があったそうだが、火事を起こして焼け野原と化した。
それはもう、四十年も前のことらしい。
原の中に、土蔵の残骸が一つ在った。
〔新堀長者〕の土蔵だったのであろう。
このあたりは下日暮里ともいい、新堀村ともいうので、この呼名がついたのだ。
いつもは 安政の「根岸谷中日暮里豊島邊圖」 なんかで楽しむんだけど、今日はグーグルアース。
これ、便利ですなぁ。
該当する場所、例えば今回は西日暮里あたりを中心に据えておいて、
Tokyo Terrainの tokyo 1858をクリックすると、、、
あらまあ不思議。
安政4年の地図に代わります。
拡大して比べてみる。
あったあった、道灌山と、宗福寺。
それを現在の航空写真にすると、、、
ふーん。道灌山は、この辺りなのか。
ちなみに宗福寺は、関東大震災を機に、世田谷区北烏山5-10-1に移転したそうで、
お隣の正覚寺しかありません。
古地図と現在の地図で場所がちょっとズレているのはご愛嬌。
お寺の敷地が小さくなったのか、少し移動したのか、、、、
実際に正覚寺さんに伺ってお聞きしてみないとわからない。
でも。
日暮里崖線の、現在山手線の線路がある場所は、石神井用水だったんですかね。
ほう。
日本酒片手に、剣客商売を読みながら、こんな地図を見ているのが、私の夜の過ごし方。