Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

志の輔らくご 牡丹灯籠

 

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志の輔らくごのチケットはなかなか取れないという話ですね、

しか~し、くじ運のよろしい我旦那様

「恒例 牡丹灯籠  志の輔らくご in 下北沢 2016」のチケットもゲットできました。

こんなに運を使っていいのかわかりませんが、

落語をきいて「あっはっは」って、笑えれば開運に繋がるかもしれぬ。

でも演目がなあ。。。

 

下北沢 本多劇場はほんとに久し振りです。

どのくらい久し振りかというと、、、渡辺えりが渡辺えり子で、劇団300の解散前で、東銀之介さんも存命で、もたいまさこさんも劇団にいた頃で、「ゲゲゲのげ」だったと思う。

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ひぇぇぇ、31年前?

そんなバカな。

違う違う、そのあと新感線の芝居かなにかで来たような、、、、

どちらにしても縁遠いことに変わりなく、、

下北沢も小田急線が地下深くに 🎶 潜ってしまってさあ大変  でした。

 

バカなことを言っていないで本題に入ります

開場

劇場の入口で、いい感じの写真が撮れました。

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「本多劇場」と「志の輔らくごの旗」と「浴衣美人の後姿」

 

ホールには、角界からお花が届いていて、先日赤坂ACTシアターの

「大忠臣蔵・中村仲蔵」同様、華やかな雰囲気です。

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これ、一部です

 

さて演目の「牡丹灯籠」ですが、

ワタクシ、からんころんという怪談だというくらいの知識しか持ち合わせておらず、

師匠のことですから、前回同様わかりやすくレクチャーをして下さるものと思って参りました。

 

開演 

幕が上がると、上手に縁台。

縁台の上には7~8冊の全集のようなものがうずたかく積まれています。

そしてうちわと豚の蚊取り線香。

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香りまで客席に届きませんが、蚊取り線香がくゆっています。

下手から志の輔師匠が登場しますが、まだ落語はやらない態。

舞台中央 上から何やらボードが降りてきました。

 

おおっ、これは前回同様、この演目のレクチャーでしょうか。

志の輔さんは、縁台の全集から一冊を取り上げ話し始めました。

 

ようこそ、恒例のシェークスピアに、、、あ いや違いましたねぇ。

実はひょんなことから、円朝師匠の全集を手に入れまして、牡丹灯籠を読んだんですよ。

ところが読んでも読んでも、自分が知っている筋じゃないの、出て来るべき人が全然出てこない。

でね。わかったのは、牡丹灯籠って有名なあのお露と新三郎の話は全体のごく一部だったんです。

元々これは中国の話でして、だから幽霊には足があるんです。

カランコロンって下駄の音がするでしょう、この話。

日本の幽霊は、こーんな手 ( 陰の手 ) をして、足はないでしょう?

あれ、初めに絵を描いた人が「幽霊は足がない」って絵を描いたもんだから、

そのあと日本ではずーっと足がないの。

ところがこの話のお露さんも、灯籠を持って先に歩いてくるのは乳母のお米さんね、

その2人が歩くとカランコロンとなるわけですよ。

 

と、志の輔師匠は、上手に引っ込み、灯籠を持って現れる。

暗転の中、すーーーーっと下手に移動して「ぎゃゃゃゃー」

 

この灯篭、当時を再現して作っていただいたものなんですよ。

凄くお高いの。

今回の公演料のほとんどがこの灯篭代になるっていう程なんですから。

 

牡丹灯籠といえば、歌舞伎でも人気の演目ですよね。

あちらは、玉三郎さん、海老蔵さん、中車さんほか豪華キャストで行われるわけじゃないですか。

こちらは私ひとりなんだから。

 

 

そんなことを言って観客を笑わせながら、今度は下手から名前が一杯貼り付いている移動ボードをガラガラ引っ張ってきます。

上手のお客さんに見せたら

「心配しないで、今、向う正面にも見せますよ」

と言ってガラガラ下手に。。。。

そんなことのひとつひとつでお客を笑わせていきます。

 

さあ、ここからが志の輔さんの真骨頂発揮です。

ご本人はケーシー高嶺だと言っていますが、私は面白ゼミナールの鈴木さんに見えます。

「ためしてガッテン」でもお馴染みの解説のウマさで、圓朝さんが2時間の高座を15日間かけ、全編30時間にも及んだという大作の「牡丹灯籠」の筋がきを説明していきます。

師匠の説明と同時に、登場人物の名前が左のボードから中央のパネルにパンパンと貼りなおされていきます。

 

「こうやってね、圓朝師匠が30時間かけて噺したものを、

 休憩込み2時間半でしちゃおうっていうんですから。」

 

本気だ、どんどん進んでいきます。

そしてきっちり一時間。

 

「このシーン、よく覚えておいてくださいね」

と言い残し、15分の休憩をはさんで後半のお話は高座で、という運びになるようです。

 

二幕目

幕が上がるとえんじの高座。

志の輔さんが下手から登場します。スポットが真上から当たります。

志の輔さんのおじぎは、談志師匠ゆずりで綺麗ですねぇ。

感動していたら、すーーーっと噺に入っていきました。

 

いやぁ。

志の輔さんの噺はやっぱり凄い。

一時間半、集中力がとぎれる間もなく話通しです。

複雑な人間関係です。

「ええっ?ここに出て来たのがあいつだったのか」

「こんな所で再会するとは」と感嘆しっぱなし。

人と人との絡み合いは、パネルで説明をしてもらってなければ、

とても分からないように入り組んでいます。

 

その一人一人を丁寧に、悪党は悪党らしく、忠臣はひたすら感動的に、

悪霊はこの上なく怖ろしく演じ分けます。

かつてこんな壮大なドラマがあったでしょうか。

いみじくも志の輔さんが「歌舞伎の方は豪華キャスト、こっちは一人」と苦笑していましたが、一人で全部を担うわけですから なんぼか凄いと思います。

 

噺の途中、時折息がぬけるように雑談を交えるのですが、その中に大変印象的な話がありました。

前座時代の話です。

談志師匠の家で、修行をしている時、

ある政治家さんから歳暮で贈られる「塩引き鮭」が美味しかったという話でした。

志の輔さんの故郷の富山では「荒巻鮭」と言うんだそうですが、お隣新潟 ( 越後 ) 村上では「塩引き鮭」と言うんだそうです。

しかも村上の塩引き鮭はお殿様にも献上されたもの。

腹を全部開かず、腹びれのあたりを一ヵ所つないである切り方は、城下町村上の独特な作り方で、腹を切っていない ( 腹切りをきらい ) というしるしなんだそうです。

 

師匠が留守の時に「何でも好きなものを食べていろ」と言われるんですが、その「なんでも好きなもの」の中には冷蔵庫の塩引き鮭は入ってない。

賞味期限切れの缶詰めやソーメンはあってもね。

だが、あのウマい塩引き鮭が食いたい。

食いたい、食いたいと思うと、尻尾から二番目のを外しても三番目と尻尾のは寸法が合うから誤魔化せるか、なんて智恵がわく。

食っちゃいましたよ、ウマかったなぁ、塩引き鮭。

帰ってきた師匠が言うんです。

「夕飯は、なんにする? そうだな、しらすが20匹あったろ、それにしよう。20匹と。。。うん? この塩引き鮭、ちょっと縮まったか?」

師匠には何でもお見通しということのようです。

 

その塩引き鮭ですが、

木曜日に早い打ち上げを、線路の向うのイタリアンレストランでやったんだそうでして。

タバコを吸うスタッフが一人、外に出て、隣の何とか水産という居酒屋の前で一服してたんだそうです。

 

そのスタッフが飛んで帰ってきて言うんですよ。

「師匠、ありました、塩引き鮭。隣にぶら下がってます!!」

帰りに見てみました。

腹が全部切りひらかれた「荒巻鮭」が二つ、その隣に腹切りになってない「塩引き鮭」ぶら下がってました。

 

それでね。

恒例で「牡丹灯籠」をやっていますと、おもいがけない面会客がおいでになるんです。

一昨年だつたかな、酒井さんという方がいらっしゃいまして「この度は祖父のことをこんなにもお褒めいただきありがとうございました。」っておっしゃるんですよ。話をお聞きしたら「怪談牡丹灯籠」の速記者をされた酒井昇造さんのお孫さんだったんです。

初代圓朝さんが30時間もかけて高座で語った「牡丹灯籠」あの口述筆記を速記術の大家である酒井さんがしてくれなければ、今私達が読むことも、後代の噺家が高座にあげることも出来なかったんだという話をしましたね。

それを聞いて嬉しくなって挨拶に来られたと言うんですよ。

 

でね、去年の公演でしたっけ。

〇〇さんという方がお見えになったの。どなたかなぁと思ったら、談志師匠の所に毎年「塩引き鮭」を贈ってくださっていた政治家の〇〇さんのお子さんだっていうじゃないですか。

「落語をききに来て、おもいがけなく父が贈った塩引き鮭の話が出て、嬉しくなりました」っておっしゃるんですよ。今年は僕もいただいちゃいました。

 

で、今年はまだそういった関係者のお身内はおいでになっていませんが、どなたに会えるかなぁ。

 

本題の間の、こんなエピソードがまた面白くて、

そしてこういう話が、集中力のリフレッシュにもなるんだなと思いました。

 

 

帰りにイタリアンレストランの隣の塩引き鮭、見に行きました。

ありましたよ本日も。。

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今回の牡丹灯籠、筋書はこんな感じです。

長いです。

多分、ご存知ない方が読んでもわからないかも知れません。

なので備忘録として「続きを読む」に閉じ込みます。

 

 

〔後半、高座のあらすじ〕

根津の清水谷に親から田畑と長屋を相続し、そのあがりで暮らしている浪人がいました。

名前を萩原新三郎といいました。

ある日、飯島家に出入りをしていた山本志丈という幇間医者が、飯島平左衛門の一人娘・お露を連れて新三郎に元を訪れます。

絶世の美男・新三郎と、美女・お露はたちまち恋に落ちました。

帰り際「また来て下さらなければ私は死んでしまいます」といったお露の言葉が耳に残る新三郎でしたが、紹介者をさしおいて会いにいくのもはばかられると、会いたい気持ちはつのるものの、なかなか会いにはいけないで暮らします。

五か月が過ぎ、新三郎の元に志丈は「お露さんが死んだ」という知らせを持ってやってきます。

お露は新三郎に恋い焦がれ死に、乳母のお米もそのあとを追うように亡くなったというのです。

 

7月13日の深夜。

盆の仕度をしている新三郎が縁側で月を眺めていると、カランコロンと下駄の音をさせて外を通るものがいます。

「はて、こんな時間に」

見ると、ちりめん細工の牡丹のついた灯籠を下げたお米とお露だったのです。

驚いて話をすると、2人の仲を心配したお露の父親が志丈を使い、お露には新三郎が、新三郎にはお露が死んだと思わせるようしたことがわかりました。

お露とお米はいま谷中の三崎に暮らしているといい、その晩は新三郎の家に泊っていくことになりました。

お露はそれから毎晩通ってくるようになりました。

数日後、新三郎の長屋に住む白翁堂勇斎 ( はくおうどうゆうさい ) という人相見が、新三郎の家から女の声がするのを聞きました。

「一体誰だろう」不審に思い見ると、蚊帳の中で新三郎と語り合うお露と、そばに控えるお米が見えました。しかしふたりの姿は透き通り骸骨の幽霊だったのです。

明朝、勇斎は新三郎の家を訪れますが、新三郎に死相が現れているのを見ると、昨夜見た幽霊の話を伝え、嘘だと思うなら三崎を訪ねるがいいと助言します。

新三郎は三崎に行きました。しかし訪ねても探しても2人の住まいは見当たりません。

ふと通った寺にあった目新しい墓石にお露とお米の名を発見します。

新三郎は勇斎に顛末を話し、勇斎と懇意にしていた新幡隋院の良石 ( りょうせき ) 和尚に相談に行くことにしました。

良石和尚は死霊除けの海音如来 ( かいうんにょらい ) というお守りと雨宝陀羅尼経という経と、家に貼るお札を授けました。

 

夜になり、いつものようにお露とお米が新三郎を訪ねると、四方八方にお札が貼ってあるため入ることが出来ません。

お露は新三郎の心変わりにさめざめと泣きます。

 

伴蔵とお峰夫婦は新三郎の長屋で管理人のような仕事をして暮らしていました。

ある日、お峰が夜なべをしていると、伴蔵と女のこそこそ話す声が聞えます。

浮気かと問い詰めるお峰に、伴蔵はあれは新三郎のところに訪ねてきた幽霊だと話ます。

お札のために入ることが出来ない幽霊が、お札を剥がして欲しいと頼みに来たというのです。

お札をはがせば新三郎がとり殺される、剥がさなければ自分が幽霊に恨まれる。

話を聞いたお峰は、伴蔵に助言します。

「私たちは新三郎に死なれては明日の生活に困る者なのだから、もしお札を剥がして欲しければ、それ相応の報酬がなくては困る。百両の金と引き換えでなければ出来ないと言ったらいい」と。

どうせ幽霊に金のあてなどないはずで、そうなれば恨みっこなし。

もし持ってきたら剥がしてやればいい。

 

翌日、牡丹灯籠を提げたお米とお露が現れると、伴蔵はお峰の入れ智恵のまま、百両の提案をします。

するとお米は明晩百両持ってくると言い出します。

金は用だてる、だからお札と、新三郎が肌身離さず持っている海音如来のお守りを取り除いて欲しいと言いおき帰っていきました。

目のくらんだ伴蔵・お峰夫婦は、翌日新三郎の家を訪れ、嫌がる新三郎を無理やり行水させ、その間に海音如来を盗み出し、かわりに同じ様な重さの不動像とすりかえてしまいます。

 

新三郎が死ねば、自分たちが疑われると案じた夫婦は、海音如来を一旦畑にに埋め、ほとぼりが冷めたころに回収することにします。

夜になり、お露とお米が百両を持ってやってきました。

伴蔵は新三郎の家の裏窓に梯子をかけ、貼ってあるお札を剥がしました。

幽霊は嬉しそうに裏窓が入っていきました。

 

翌朝、伴蔵とお峰が新三郎の様子を見に行きました。

中をのぞいた伴蔵は叫び声をあげました、そしてお峰に白翁堂勇斎を呼んでこいと命じました。

勇斎と伴蔵が見た屋敷の様子は凄惨なものでした。

新三郎は、もがき苦しんだ様子で、骨ばかりとなった無残な遺体になっていました。

「お守りがあったはずなのに」

勇斎は身につけているはずの海音如来をあらためましたが、お守りは偽物とすり替わっていました。

伴蔵は悪事が露見するのを恐れ、新三郎の家へくる幽霊をみたものは三日待たずに死ぬという噂を広め、故郷である栗橋へ引っ越すことにしました。

 

伴蔵とお峰は、幽霊からもらった百両を元手に栗橋で荒物屋を始めました。

商売は繁昌し、やがて使用人を何人もかかえる大店になりました。

裕福になった伴蔵は料理屋に入り浸るようになり、そこの女のねんごろになります。

嫉妬に燃えたお峰が旧悪を漏らしかねないとみた伴蔵は、お峰を殺害してしまいます。

お峰の霊は、店の奉公人に次々と取りつき、うわごとを言わせるようになりました。

奉公人が次々と寝付いてしまう。

病気診にやってきた旧知の医者・山本志丈でした。

志丈もまた江戸でヘマをやらかし流れてきていたのです。

奉公人のうわごとを聞いて驚く志丈に、伴蔵はやむなく事情を打ちあけます。

「なんとまあ、悪党なこと」

志丈は、伴蔵・お峰夫婦の悪事を知って呆れて笑いました。

 

そんな中、伴蔵と念頃になった女、実はこの女はお国といい、お露の父親の妾だった女です。

お国は平左衛門の妾だった頃から隣家の御家人・宮野辺源次郎と密通していたのでした。

しかも、源次郎とお国は平左衛門の殺害を企てていたのです。

殺害計画は見事成功。しかし源次郎も返り打ちに合い深手を負いました。

お国が茶屋奉公をしていたのも源次郎が働けない体だったからです。

だが、いつ飯島家からの追っ手が来るかわからない。

2人は、伴蔵からむしり取った金を貯め、旅の資金作りをしていたのでした。

お国の里の越後に逃げるとなると、金はもう少し欲しい。

源次郎は自分の女房を寝取ったと因縁をつけ、伴蔵から更に金をせびろうと考えました。

ところが伴蔵の悪党ぶりは一枚上手。

源次郎は伴蔵に反逆に合い刃がたちません。

伴蔵夫婦、お国夫婦と二つの悪事を知る志丈は、伴蔵のふてぶてしさを面白がります。

しかし伴蔵はそんな志丈までも口封じに殺害してしまいますが、偶然通りかかった孝助によって、伴蔵はお縄となりました。

 

孝助は、飯島平左衛門に恩義を受け、敵討ちに翻弄していた男でした。

お国の里越後にあたりを付けて探し回っていましたがなかなか見つからず、一旦江戸にもどることにしました。

江戸で人相見の勇斎に占ってもらおうと思ったからです。

孝助の人相を見た勇斎は、近々お国が見つかることを告げました。

そしてもうひとつ、今しがた孝助が実母とすれ違ったことを知らせます。

亡くなった父と離縁し、小さい時に別れた母・りえと再会を果たした孝助。

母は越後の樋の口屋の元に嫁いでいたのでした。

樋の口屋の主人は既に亡くなっていたのですが、驚いたことに樋の口屋の娘は、孝助が探し回っていたお国だったのです。

事情を聞いたおりえは婚家・樋の口屋にお国が来るのを待ち受けます。

家の表には孝助が待ちぶせます。

しかしおりえは、お国と源次郎を裏口から逃がし自害してしまいます。

「孝助にはすまない。しかし恩ある旦那様のたった一人の娘・お国を、自分の前で殺させるわけにいいかない」

事情を呑み込んだ孝助は、母の死を悲しみながらもお国たちを追い詰め、源次郎・お国を成敗しました。

孝助は、主君-飯島平左衛門の仇を討ち、ようやく江戸の妻子の元に帰ることになりました。

 

幽霊との愛憎ストーリーと、忠僕孝助による仇討ちのストーリーに、金に目がくらんだ夫婦の悪事が絡む、人間関係が複雑に絡み合った壮大な物語でした。