鵠沼海岸に来ました。

先日読んだ『鵠沼・東屋旅館物語』の旅館跡地をどうしても見たくなって。
鵠沼の駅は一度、下車したことがあるんですが、その時より降りる人が沢山いる。
しかも浴衣姿の人が大勢います。
・・・何があるのかな。
謎が解けました
駅前のハンバーガー屋さんが、店先でハンバーガーを売っています。
それからパン屋さんでも、京樽でも、コンビニでも、ウィンナー、ポテト、のり巻にビール。
お外でつまめる系 の食べ物を、店頭販売しています。
今日は江の島で、花火大会があるんだそうな。
じゃあ後で、行くしかない。

ここは、芥川龍之介の小説『歯車』に登場する「或理髪店の主人」の店。

『歯車』の当時と変わらない昭和初期のたたずまいのまま、今も営業を続けている。
路地を入ると、
←こんな表札が…。すごい偶然。
さて。
この道を進めば『東屋旅館跡の碑』があるはずです。
東屋旅館は、「鵠沼海岸開拓の祖」といわれる伊藤将行が、明治25年に開業した旅館です。
旅館には明治・大正の文学界を彩る作家や文化人が数多く逗留しました。
例えば、武者小路実篤と志賀直哉は、この宿で白樺立ち上げの相談をしたそうですし、
里見弴は、この宿をモデルに小説『潮風』を書いています。
その他、芥川龍之介も久米正雄も常連客ですし、大杉栄はこの宿で、異文化交流(主義主張を超えた)をしたようです。
東屋の料理はうまいと言われ、目と鼻の先に住んでいた岸田劉生は、家族でよく食事に来たり、出前を取ったと日記に記しています。
武林無想庵は女流作家 中平文子と出会った(やがて二人は結婚)宿もここ。
女性蔑視で知られた斉藤緑雨は、この宿の女中タケと所帯を持ちました
(タケは内縁でしたが、緑雨の最後を看とりました)。
ここが東屋の正面玄関があった場所だそうです。
跡地の角には石碑がありました。


東屋旅館は関東大震災で壊滅的な被害を受け、代が変わった昭和初期に廃業しました。
広大な跡地は分譲され、その名残はほとんどなくなってしまいました。
これを惜しんで『神奈川文学振興会』と『鵠沼を語る会』によって、この石碑が建立されました。
正面玄関から海岸口のあった場所に行ってみる

矢印の方向に路地を回る

オシャレな看板を過ぎたら、、、

路地から出ました!
黒い車のある辺りは、池だった場所かも知れない。

路地から出たところに、古いかやぶき屋根のお宅がありました。

むむ、これはもしかして。。。

帰宅後「東屋旅館物語」に載っている地図や屋敷跡の図面などを見比べたんですが、
もしかしたら池のほとりに建てられていた『離れ』じゃないかしら。
『離れ』には芥川龍之介が間借りをしていた時期があるという話。

もしこれが 『離れ』だったら、感動ものなんだけど。
そうかも知れないし、違うかも知れないし。
住居跡を探索したり、

南国のお花❤
皆さんそろそろ海岸に向かいます。

筋肉モリモリの彫刻

風が強い

東屋旅館から見た江の島は、丁度この角度だと思います。

すっごい夕焼け


鎌倉・江の島にはよく来るけれど、なかなか見られないのが富士山。
今日は綺麗に見えました。夕方のシルエットは格別。

バニラスカイ


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