普段「食べられないもの ( 好き嫌い ) はない」と豪語してしまっていますが、
美味しさがわからないものはいくつかあります。
その代表格が『ほや』です。
酸っぱいところがあったり、苦味があったりするし、何よりあの独特の匂いが苦手。
刺身としての食感は好きだけれど、苦いところがあるからロシアンルーレットしている気分になる。
しかし、そんな『ほや』の概念が覆った思い出があります。
20年前の東北旅行でのことでした。
青森の駅前にある新鮮市場に美味しそうな魚が沢山並んでいて
「小皿と箸と醤油を持って歩きたいね」と言って歩きまわりました。
旅の途中につき魚を買うわけにもいかず「どこかで食べられないか」と店を探すことにしました。
ところが午後3時で、どこも準備中。
あちこち探し回り、まだ準備中の一軒の居酒屋に入れて貰いました。
「5時からだけどいいですよ。準備の途中だから、たいしたものはないけれど」
無理なお願いしたのだから「いいですよ」と言って貰えただけでありがたい。
その店は、古いアーケードの二階にありました。
座敷は箸袋の段ボールが積んであるような、客席というより従業員の控室のような雰囲気のテーブルで、
ガラス窓の隙間から風が吹き込んでいます。
熱燗がちょうどいい。
「逃げるなら、北だよな」MOURI が何気に言いました。
私たちのことは誰も知らない町。
北風の吹き込む寂れた座敷でぬる燗をさしつさされつ飲む男女。
訳アリ感半端ない設定じゃないですか。
駆け落ちするなら、南の島より北の地でしょうというMOURI の一言に大笑いしてしまいました。
酒の肴はとりたての魚、これ以上ないごちそうです。
その中にあったのが、ほや でした。
「ウマい。臭くないぞ、このほやは」
臭い ほや しか知らない私はなかなか箸がつけられない。
「揚げ立てのほやは無臭なんですよ。時間がたつと磯の匂いがきつくなる。
無臭で食べられるのはせいぜい3~4時間ってところかな」
ご店主の話に驚きました。
じゃ、無臭のほやは今しか食べられないってことよね。
夜の営業にはもう普通の磯臭いほやになってしまうということよね。
あとにも先にも、あんなに無味無臭の新鮮なほやは食べたことがありません。
本当に美味しかった。

本当のほやの味を知ったといっても、そんなに食べるものでもなし。
「こんなものが目についた」と、MOURI が塩茹でに調理済みパックのほやを買ってきました。
美味しいんですって。
「ウマいウマい」と食べています。
うーんこれはどうかな、ロシアンルーレットを思い出しながら箸を伸ばしてみます。
「うん。。。。いいかなこれは w」
不味くはないが、美味さはわからない。
だったらウマいと思う人が平らげた方が幸せというものです。