BOSSの仕事先 ( 箱崎 ) から新川の取引先まで手紙を送る必要があるんですが、
折角だから歩いてポストインしようかと思います。
隅田川沿いの遊歩道をぶらぶら歩いてみます。
暑くもなく寒くもない良いお日和だもの。ちょー気持ちいいです。
それに、業務命令 (w ?) で続けているポケモンGOってやつをするのにもってこい。
突然立ち止まっても、誰にも迷惑かけないからねぇ、あっはは。
捕まるモンスターはコイキングばかりだけどねぇ、、あっはは。
昔はこんな風景だったりして (笑)
人は昔から、水のあるところに住みたい願望があるようで。
ウォーターフロントか、いいなぁ。
でも、、、高層ビルはエレベーター問題も大変そうだし、、、地盤も気になるかな。
ここは
今、どこかっていうと新川2丁目あたりです。
あの橋は中央大橋というらしい。
振り返ると、あっちの方向に永代橋。
隅田川沿いを歩くと、池波正太郎を読みたくなる。
「鬼平」とか「剣客商売」とか肩がこらない物語だし、この辺たくさん舞台になっているもの。
徳船稲荷神社
説明書きによると、
昔この辺に、越前松平家の下屋敷があって、そりゃ大きな敷地だったとか。
三方が堀になっていて、その敷地の中に小さな稲荷が祀られていたんですって。
ご神体は徳川家の遊船の舳 ( へさき ) を切って掘られたと伝えられているそうです。
明暦三年、世に言う振袖火事はこの地にも及んだがご神体はあわや類焼の寸前 難を免れ、大正11年まで恵比寿稲荷に安置されたんですって。
そのあと関東大震災でも無事だったので、昭和6年にこの場所からもう少し東側にあるさっきの中央大橋の北詰あたりに再建され、町の守護神として鎮座したけど、戦災で全焼してしまったそうです。
明暦の大火、関東大震災と2回の火事から免れたのに、戦争で焼失ですか、残念なことです。
そして、昭和29年にこの場所に移されたのだそうです。
越前松平家下屋敷に遊船か、古地図好きとしては堪らない。
あったあった、松平越前と大きくあります。
10時の方向に「御船手」とありますが、これが徳川さんの遊船のハーバーだったのかな?
1859 (安政6) 安政江戸図
↑ クリックすれば大きくなります。もし見づらければ、下がオリジナルの地図です。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/0903468.html
でも、案内板に書かれた越前下屋敷は時代的にはもっと古くて、
明暦の大火の頃といっているので上の地図より200年は前の話のようです。
それならこの地図はどうだ。
1657(明暦3) 新添江戸之圖
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/0904235.html
丁度明暦3年ですね。
越前少将と書かれた屋敷も、やはり三方が堀になっています。
その上には霊巌寺が。
霊巌寺といえば、現在は江東区白河にありますが、
元々はここ新川にあったのが明暦の大火 ( 振袖火事 ) で延焼して移転したそうです。
安政の地図と見比べると200年の間に、霊巌寺のあった場所まで越前徳川家の屋敷が拡張したのかも知れません。
時代を追うように古地図を見比べるのって面白い。
・・・面白いのは私だけ? (;'∀')
徳船稲荷の脇の橋は「南高橋」といいます。
橋を渡った反対側からの眺めです。
あらっ? 何だか素敵な建物。「籠平」と書いてある。
マンションに挟まれた一画に白い板塀の三階建て、ペパーミントのペイントと屋根の意匠がいいですね。
標しもとさんのサイトによると、老舗の籠屋さんなんだそうです。
隅田川の支流に沿って歩いてみました。
あちらの見えるは、先ほど渡った「南高橋」です。
今日は曇天ですが、その方が風景写真は綺麗なように思います。
なぁに、橋でもないところに「稲荷橋」という石標が。。。
興味深い、宿題宿題。
写真の奥にベージュの建物がありますでしょう?
スロープになっていて、屋上が公園になっているようです。
行ってみよう。
ポンプ場の屋上にある庭園。
川なんかもあって、ゲートボール場もあるけど、誰もいないのは人気ないのかしら?
・・・なことはないか。時間の問題でしょう。
この辺が時代劇でよく聞く八丁堀という所。
そろそろ帰らないといけないのでUターンしますが、今度じっくり再訪してみたいと思います。
見どころ満載みたいなんだもの。