太田姫神社の元宮がここにあったなんて。。。。
「知らなんだ、あー、知らなんだ」でございます。
敬愛するブロガー、オヤコフンさんが、この地を紹介してらしたのを見て知りました。
オヤコフンさんのこと
オヤコフンさんは、多くの古墳を見て歩かれている方ですが、
都内近県を中心にした様々な興味深い名所も併せて紹介されています。
歴史・造形に詳しいオヤコフンさんの「旧〇〇邸見学」は素晴らしい。
期間限定で公開されたり、もうすぐ取り壊しになってしまうような
「今しか見られない」建物の情報も沢山ご存知なんです。
以前、どうしてそんなに色々存知なのかとお聞きしました。
「たずね歩いていると、そこで新しい ( チラシやリーフレットなど ) 催しなどの情報を知る機会もあるんです」といったお話でした。
なるほど
本を読んでいると、次に読みたくなる本が目につくようになる。
私はこれを、図書館や本屋の棚から本の方から「呼びかけてくれる」と感じてますが、
それと同じなのかも知れません。
試しに私がカルチャースクールをのぞいてみるとします。
「現地で学ぶ」系の講座が沢山あり迷ってしまいます。
経済的にも時間的にも、あれもこれもと受講することは出来ません。
そうなると大事なのは「選ぶ目」です。
あまたの情報から、今、この時、心ひかれるものをキチンと選び取る。
それがオヤコフンさんの千里眼の凄さなのだと思います。
それだけではない。
実際に現地を歩いて、ちょっとした横丁や路地、無名の建物、個人の家や廃屋、
そういったものを見つけるセンスの良さ。
しかも、表現する言葉も端的で簡潔です。
嗚呼ああ。
私のようにくどくど説明したり主張してしまうのとは全然違うのです。
ブログを読んだ人が、自分の目で楽しむ要素を十二分に残している、
そんなことまで計算して記事を構成していらっしゃるんでしょう。
だから、行ってみたくなる。
今日も、そんな気持ちで訪れたのが、一口大田姫稲荷だったのです。
御茶ノ水駅 (聖橋口) から万世橋方向に進み、御茶ノ水駅臨時出口の脇にご神体はありました。
手作りの木札。
どなたの筆によるものか。。。
一口と書いて「いもあらい」と読むんだそうですね。
由来は色々あるようで。。。
ここにも書かれているように、
結界あるいは鬼門の護り神として ( 江戸城から北東の位置にある ) ここに祀られたとのこと。
一口 ( いもあらい ) の語源は、イミ ( 忌 ) ・アライ ( 洗い ) から来ているという説があります。
また、イマ (今)・アラ (新)・ヰ (井) を語源とするという説もあるんだそうです。
新しく人工の水路 (井路) を設けたところの地名に「一口」とつけることも多いんだそうです。
江戸神田川も徳川家康が入府以後に新開削された人工の川だったワケだし、理由は通っている。
そこに架かる昌平橋も古くは「大芋洗橋」といったというのも、
イマ・アラ・ヰ説を裏付けることかも知れません。
冒頭「元宮はここだったか」と吐露したのは、
現在の太田姫神社を参拝した時には、移された元宮のことまで考えなかった。
2015年5月の記事にはこう書いてます。
「最初に建てられた場所は、江戸城本丸内だったんだけど、
その後道灌が江戸城鬼門へ移したそうで、、
それを徳川家康が江戸城入府後、神田駿河台裏側の大坂へ移されて。。。
今度は、総武線延伸工事の際に、ここに遷座することになった。」
確かにこんな話だった。
「神田駿河台裏側の大坂へ移されて」とある「大阪」がここだったのですね。
注意散漫 なんとしたことか
元宮の後ろにある表示にも、この坂が「大阪」という名であったと書いてある。
この坂を淡路坂といいます。この坂には、相生坂、大阪、一口坂などの別名もあります。坂上には太田姫稲荷、道をはさんで鈴木淡路守の屋敷があり、これが町名・坂名の由来といわれます。一口坂は、太田姫稲荷が一口稲荷と称したためです。
おっ、ニコライ堂がちらり ♬
前回は見逃しちゃったりしたから、今後は注意力をもってのぞみます。
ででっ。
ご神木を振返りましたら、こんな箱が。
風邪咳退治のお守りですって。
「ご自由にお持ちください」とありますが、貰っていいのかな、お賽銭はどこにいれるの?
辺りを見回しましたが賽銭箱のようなものは見つかりませんでした。
でもこの字、木看板の字と同じではないでしょうか。
退治が對の略字なのも面白い。
ちょっと風邪気味なので、ありがたく頂戴することにします。
ここからの眺めはいいですね。
対岸に、湯島聖堂が見えます。
手前は、総武線と中央線のホーム。
そういえば「穂高」の貼り紙にも、この木札に書かれたことと同じような記述がありました。
当該部分は⤵
甲武鐵道 ( 中央線の前身 ) は、時の権力者の明治天皇にお咎め覚悟で「産業振興、富国強兵のため曲げて陛下のお壕の中に鐵道を」の直訴状を持って開設したという。
鐵道はそれを徳として壕幅を減じない、即ち高層化しない、中で商業を営まない、又、外壕の環境を守ると約束した。
ところでアレは何?
どこどこって、あれよ、あれ。
目をこらしてよく見ましたが、最後までなんだかわかりませんでした。
注意深く観察すると色んなものが見えてくる。
・・・が、色んな疑問も増えてくる。
とほほ