Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

『勇者たちへの伝言~いつか来た道』 増山実:著

 

今年の夏 ( 7月29日 ) 仕事で大阪に行った折、憧れの阪急電車に乗りました。

その思い出をブログに書いたところ、

山猫🐾 id:keystoneforest  さんから、メッセージを頂戴しました。⤵

f:id:garadanikki:20171017145712j:plain

 

いつのひかきたみち・・・

とても気になって読んでみました。

f:id:garadanikki:20171017055023j:plain

初めての作家さんです。

野球にまつわる本なのかな。

阪急といえば、、、そうか勇者はブレーブスだから阪急ブレーブスのお話かしら。

西宮北口というのは、阪急ブレーブスのホームグラウンド、西宮球場の最寄り駅だったんですね。

そういえば西宮球場って聞かないけれど、、、ええっ、もうとっくに無いんですって?

野球のことも、西宮のことも、球場のことも全く知らない無知蒙昧、

この本が興味深く読めるか不安になりながらページをめくりはじめます。

 

ベテラン放送作家の工藤正秋は、阪急神戸線の車内アナウンスに耳を奪われる。 

「次は・・・・いつの日か来た道」

謎めいた言葉に導かれるように、彼は電車を降りた。

小学生の頃、今は亡き父とともに西宮球場で初めてプロ野球観戦した日を思い出しつつ、街を歩く正秋。

いつしか、かつての西宮球場跡に建つショッピング・モールに足を踏み入れた彼の意識は、「いつの日か来た」過去へと飛んだ---

ハルキ文庫 より

 

昔読んだ小説「異人たちとの夏」を思い出しました。

「異人たちとの夏」は、妻子と別れた人気シナリオライターが体験した、既に亡くなった筈の彼の家族、そして妖しげな年若い恋人との奇妙なふれあいを描いたお話。

東京育ちの私にとって「異人たちとの夏」に出てくる浅草を初めてする下町の風景が懐かしく感じられ、親近感を持った作品でした。

 

 

・・・関西版、異人たちとの夏? ←いや、失礼

実は最初はそんな風に感じてしまったんです。

ところが、ページをめくるごとに昭和四十年代の西宮の風景がどんどん広がっていきます。

街の匂いと一緒に。

駅前の線路沿いの道は、野球場へと続く道で、観戦客相手の食堂や喫茶店がひしめいていた。

野球場の姿はまだどこにも見えない。大人の人いきれと食い物の匂いが正秋を包む。

今でもはっきりと覚えているのは、どこからか立ちのぼるカレーの匂いだ。

まだ外食など一般的でなかった時代で、カレーといえば家で母が作るカレーの味しか知らなかった。ところがそのとき鼻先をかすめたカレーの匂いは家のカレーとはまるで違い、正秋の幼い想像力を刺激した。

きっと店の奥では頭にターバンを巻いた謎のインド人たちが、よくわからない不思議な道具をぐるぐる回しながら魔法のカレーを作っているのだ。

ああ食べたい。どんな味だろう。

道の上で正秋は陶然とし、小さな腹はぐうと鳴った。

気がつくと、一緒に歩いていたはずの父の姿が見えない。

球場へと続くはずの道のずっと先を、父はまっすぐに歩いていた。

夕闇にまぎれて消えそうな父の影を、正秋は追いかけた。

小学三年生の少年が、初めて父親に連れて行ってもらう野球場までの道のりの状況が、カレーという匂いを通して、びんびん伝わってきました。

正秋少年は、父親と二人きりでどこかに行くのは初めてだったようです。

球場へと続く線路沿いの道を、父は黙って歩いている。

メリアスのシャツから白い開襟シャツに着替えた父の背中は汗で濡れている。

家を出てから、父と子はほとんど何もしゃべらなかった。

それがいつもの父なのだけれど、正秋は少しばかり後悔していた。

・・・江藤のおっちゃんに連れてきてもろたらよかった。

わかるなぁ、その空気感。

親子連れなら《親が子を愛しみ、子も親を慕い着かず離れずに歩く》とイメージをいだきがちですが、

そうとは限らない。

母親抜きで初めて父と出かけた時のとまどう経験、実は私にもあります。

家では父にべったりで、大好きな父なのに、2人きりで出かけるとなると勝手が違う。

確か母が買い物か何かをしている間の時間つぶしだったと思います。

父と映画でも見ようということになったのですが、どう対してよいか戸惑った経験でした。

父は、小さい娘が興味を持ち立ち止まるような場所や事柄には頓着がなく、どんどん歩いていく。

私は、遠ざかる父の大きな背中を見て走っておいかける。

2人きりで出かけたことなどないから、お互い距離の縮め方がわからない。

映画館の前で父が立ち止まり、これにしようか、あの映画がいいかと筋書や時間を調べて決めかねているのを見て、映画なんかいいから早く家に帰りたいと思ったものでした。

結局は、そうなったんですけれど w

 

冒頭の部分を読んでいて、そんな自分の思い出を重ねながら、

困ったことに私が想像した街の匂いは、モツ焼きのタレ、焼きそばのソース、イカ焼きの醤油の焦げた匂いが交じり合ったものでした。

作者は「カレーの匂い」と書いているのにです。

車谷長吉の「赤目四十八滝心中未遂」のイメージでした。

主人公が暗い部屋で牛と豚のモツをさばく仕事をすることになるシーンがあったのですが、

ごちゃごちゃした街の、日の当たらず風も通らない、狭く汚いアパートに閉じ込められてひたすらモツをさばいて串に刺す、、、そんな光景が刺激的で、いつからか大阪の食べ物屋の裏通りの匂いというと、そのシーンが思い出されてしまいます。

 

初めての作家の本だと、世界観や文体に馴染むまで道草をしてしまう癖があります。

しかし作者の描く、西宮球場の内野席に入り込むのにはそう時間はかかりませんでした。

球場の階下には、そばやうどんの店、応援グッズを売る店、ビールや焼き鳥を売る店があって、ごったな食べ物の匂いとひといきれと湯気でムンムンしている。

しかし、階段を昇りつめた瞬間に広がる明るさと解放感に、胸は一気にときめきます。

まばゆいオレンジ色のライトに照らされたプレイヤーたちの雄姿と、興奮する観客たち。

野球場のあの雰囲気は独特なものがありますね。私の場合はそれ神宮球場、ヤクルトですが。。。

 

しかしこの父にはある事情がありました。

能登半島の片田舎から大阪に出て洗濯屋を始めた父は、北陸の男らしく家族に対しても寡黙だった。

正秋は父と深く話した記憶が殆どない。

寡黙な父だからそうなのかと思いましたが、違いました。

父は、この西宮で過ごした大切なひと夏の思い出に浸っていたんです。

正秋がそれを知ったのは、父と西宮球場に行った四十二年前にタイムスリップしたからです。

「父ちゃん」

「なんや」

「ぼく、いくつに見える」

「あほなこと訊くな」

「八歳か?」

「ああ。小学校の三年坊主や。自分の年齢忘れるやつがあるか」

「父ちゃんはいくつ」

「三十五や。それがどうした」

三十五。父は昭和八年生れ。

今はやはり昭和四十四年・・・・。

あの夏の西宮球場の観客席に、正秋は八歳の子供に戻って父と座っているのだった。

 今、自分は、死んだはずの父といる。

そうだ。これは夢なのだ。正秋はそう了解した。

ならば、まだ醒めるな。醒めないでくれ。

三十五歳の父の傍らに、もっといたかった。

野球観戦の後、父子は「ひびき食堂」でかき氷を食べます。

父が席を立ったと入れ替わりに店員がかき氷を運んできてこう言います。

「もうこんなに大きな子供がいてはるんやね。今日はお母さんは?」

「お母さんって?」

思わず訊き返した。

「あんたのお母さん。安子さんていうたかな」

母の名前は安子ではなかった。

父は、この店に来たことがある。しかも、母ではない女性と。

八歳の姿をした正秋は、父に自分はもう五十歳で、未来からタイムスリップして来たことを告げます。

最初は疑っていた父も、正秋にこれから起きる様々な出来事を言われ理解し始めます。

「今言うたんは、全部、ほんとのことや。そやから父ちゃんも、ほんとのこと、教えてくれへんか」

父が正秋の話をどこまで信用したかは判らない。

あるいは父は、目の前の息子の正体を、父なりの理解の仕方で見抜いたのかもしれない。

とにかく父は、たったひとりの「息子」に語っておくべきだと考えたのだろう。

「これは、きっと夢、やな。夢なら、目が醒めたら全部消えるんやな」

父は自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。

「夢の中のおまえになら、話してもええか」

「父ちゃん、もう一回言うとく。八歳やと思って遠慮することない。ぼくは五十歳や。父ちゃんが生きた年と同じだけ生きてきた大人や。そのつもりで話してくれ」

父はうなずき、話はじめた。

それは、はじめて聞く、父の秘密だった。

 

ここからが父の回想です。

自分が生れた能登半島の話。祖母の話。両親を説き伏せ大阪に出てきた話。頼りにした文通相手のこと。ミナミでヤクザに金を巻き上げられた話。そして最初に修行した店は西宮の洗濯屋だった話。

西宮では安子という女性と出会い、お互いに惹かれ合ったこと。

在日朝鮮人の二世の安子は、正秋からのプロポーズを断り、北朝鮮に母親と帰っていきます。

 

物語は父の話から、安子の北朝鮮での話に移っていくのですが、その内容が凄まじい。

増山実さんは、この作品を書くにあたり、多くの本を読まれたようです。

巻末の参考資料を見ると、その殆どが「北朝鮮」の帰国運動に関するものです。

北朝鮮のことは昨今でも日本を震撼させます。

でも、昭和三十五年頃から、日本と北朝鮮の間で大規模な「帰国事業」があったことは私は知りませんでした。

多くの在日朝鮮人が北朝鮮に帰って行きました。祖国で辛い暮しになるのも知らされずに。

 

安子と母親が北朝鮮に渡ったのも、その事業の一環。

北朝鮮の港に着いた途端、彼らは「在日朝鮮人を体よく朝鮮に帰したい日本、自国の政治体制の優位を宣伝する手段として利用したい北朝鮮、そんなに国の思惑が絡んだ国家ぐるみの壮大な詐欺」に巻き込まれた被害者であることに気づきます。

夢のような暮しが出来ると言われて帰国した北朝鮮は酷いものでした。

物語中盤には、安子の辛酸をなめる暮しぶりが描かれていますが、日本には全く伝わってこない話だった。

「安子さんは、北朝鮮で・・・」

「もう言うな」

父が遮った。

「言わんで、ええんや」

長い沈黙が流れる。

父はうつむいている。

正秋は何も言えない。

口を開いたのは父だった。

「今日、おまえと歩いた、駅から球場へと続く道。父ちゃんは、あの道を正気でよう歩けんかった。あの道の風景のひとつひとつに染み付いた、いろんな思いが一気に押し寄せてきて、胸がつぶれそうやった。そやからちょっとでも早う球場へ逃げこもうと急ぎ足で歩いた。けど、安子とたった一度だけ一緒に野球を観た外野席を、遠くの内野席から眺めてるうちに、不思議と少しずつ心が落ち着いてきた」

やはりそういうことだったのか。

子供心に異様に感じた父の後ろ姿にはこんな辛い思いがあった。

 

この作品の登場人物は時空を越えて、色々なところで繋がっていきます。

読んでいる内は、とても自然な流れで楽しめるのに、

読み終えて説明してごらんと言われたら、あまりの複雑さに混乱する。

そんな不思議なストーリー展開でした。

 

タイトルにもあるように、阪急ブレーブスの選手や実際の名試合も沢山出てきます。

野球に詳しくない私にとっては、いまひとつ理解できずに残念でしたが、

それ以外の部分、例えば、登場人物の気持ちの流れを追うだけでも味わい深く、世界観 ( 北朝鮮の生活も含めて ) も十分に読みごたえがあるので感動しました。

 

これ以上、内容を書くとネタばれにもなるし、、、

いえ、書けと言われても複雑過ぎて書けませんが、

読んでいて絡み合った糸をほぐしていくような作業はとても快感な一冊でした。

 

増山実さんは、私と同じ年だそうです。

育った地域は違うけれど、やはり同じジェネレーションを感じます。

また他の作品も是非読んでみたいと思います。

 

最後に、好きなシーンをひとつ。

父と安子が (日野) 神社で語り合う会話です。

f:id:garadanikki:20171017175840j:plain

うちが生れた国は、うちのオモニとアボジが生れた国は、そんな国なんか。

なんで、うち、今、日本にいてるんやろ。うちのふるさとは、どこなんやろ。

この国にずっと住んだら、日本が私のふるさとになるんかな。

どれだけ住んだら、日本が私のふるさとになるんやろ。

チョーセンと蔑まれんようになるんやろ。

 

そんな日は、永遠に来えへんような気がした。そう思うと、また悲しい気持ちがうちを押しつぶそうとした。どこかに、逃げだしたかった。

そんなとき、いつもうち、この神社に来るねん。

ほら、風が吹くと、ざーっと音がするやろ? なんや、オモニのおなかの中にいるような…。

あの風、聴いてると、不思議と気持ちが落ち着くねん。

 

 

父ちゃんは、耳を澄ました。確かにざーっと音がする。

それはクスノキの葉と葉が擦れ合う音やった。

地面に落ちてる葉っぱを拾ってみた。緑を指でなでてみる。普通の木の葉よりもずっと硬い。この硬い葉の擦れ合う音が、街の雑音を打ち消して、まるでかあちゃんのおなかの中にいるときのような音に聞こえたんや。木々はもう何百年も前の昔から、ずっとここでこの葉擦れの音を鳴らしていたんやろう。今までどれぐらいの人間が、安子みたいにこの音に耳を澄ましたやろうか。

父ちゃんは安子の横顔を見た。~略~ 彼女の顔の左の目元に、ほくろがあるのに気づいた。

まるで、ほんまに落ちた涙がそのまま固まったような、不思議な形をしてた。

 

 

 

 

 

追記 )))

「豆腐屋」と「風呂屋」の話

物語には手筋とは関係はないですが、印象に残った話をひとつ。

父が語る能登の人間と職業についての話で、一回目は正秋に、二回目が安子にするのですが、その内容がちょっと違うのです。

興味深かったので、ちょっと備忘録。

 

正秋に語る「豆腐屋」「風呂屋」の話⤵

どこでもええ。関西の「豆腐屋」か「風呂屋」に行って、出身はどこですかって訊いてみい。七割から八割がた、「石川県です」と答えるわ。

ふたつとも、水を使う仕事や。それにはちゃんとワケがある。当時は冬というと、今より比べもんにならんぐらいに寒うてな。冬場に冷たい水を触るのは、辛いもんや。都会もんはそんな仕事は辛うて勤まらん。ところが能登の人間は我慢強い、粘り強い、働きもんや。そりゃそうや。北海道の泥地に水田を作ろうとするぐらいや。都会の人間がいやがる水を使う仕事でも、そんなもん屁でもない。

 

理由はもうひとつある。

豆腐屋というのは、元手があんまり要らん商売や。それで、豆腐屋で成功した者が、貯めた金で、今度は「風呂屋」をする。

「豆腐屋から風呂屋」これが我々能登の人間の、都会での出世コースや。

能登の人間は、外に出て働くもん同士、同郷意識がものすごう強い。取引する銀行は、必ず故郷の北国銀行や。地道に働いて成功した者は、ふるさとから働き手を呼び寄せた。呼ばれたものもそこで修行を積んで、暖簾分けの形で、新しい場所で同じ商売を始める。そうやって自分らの生きる道を、この都会の中で拓いてきた。それが、故郷を離れて生きるしかなかった我々能登の人間が生き延びる知恵や。

 安子に語る「風呂屋」の話⤵

能登の人間は、むかしむかし源氏に滅ぼされた平家の落人の末裔なんや。それで、壇ノ浦の合戦で自分たちを裏切ったある一族のことを、いつか仇を討ってやる、と今も血眼になって探しとる。問題は、その一族の末裔をどうやって見つけるか。ひとつだけ手掛かりがあった。彼らは全員、背中に鳥の形をした独特な痣があるんや。で、能登の仁賢は、風呂屋になった。その痣を持つ男を、番台から見つけるためにな。