マミーさんに教えていただいた「あきない世傳 金と銀」を読み終えました。
現在は4巻まで発行
あきない世傳は、大阪を舞台に呉服商を切り盛りする幸という女性の奮闘記。
下記は、本の紹介文です。⤵
物がさっぱり売れない享保期に、摂津の津門村に学者の子として生を受けた幸。
父から「商は詐なり」と教えられて育ったはずが、享保の大飢饉や家族との別離を経て、
齢九つで大坂天満にある呉服商「五鈴屋」に奉公へ出されることになる。 ..
髙田 郁さんの「みをつくし料理帖」に、すっかりはまってしまい、今回は第二弾を拝読。
「みをつくし」の主人公は大阪生まれだけど舞台は江戸。
慣れない江戸で料理人として奮闘する話でしたが、今回の舞台は大阪。
呉服屋を舞台に大阪商人として奮闘する話です。
以前みをつくしの話をした時に、マミーさんが
「みをつくし料理帖」はほとんどが江戸のお話しですから…私も「飯田橋ってどこ?」状態でしたよ。
東京の人はもっと楽しんで読めるのではないかと、うらやましかったです。
というコメントを下さいましたが、今回はその反対じゃ。
「幸の生まれ故郷の津門村ってどの辺? 今津・・・どこ?」状態でした。
文庫には、こんな地図が載ってましたが、全然ピンとこない。
西宮神社とか、武庫川を頼りに現在の地図を見て、
やっと「あの辺か」くらいの感覚です。
物語を読むのに、地理は必要ないかもしれないが、
9才の幸が、錦商の文次郎のあとを懸命に追うように歩いた道中がどの位の距離なのか、
それがわかって読むのと、そうでないのとでは違うように思いました。
生れてこのかた、武庫川から東を知らない身、何もかもが幸には新鮮で驚きだった。
母や妹、それに郷里との別れの辛さも、渡し船から見る大小の川の景色ゆ、徐々に移りゆく光景が忘れさせてくれる。ただ、そこまでの距離を歩き通した経験もないために、空腹も手伝って、段々と足を引きずるようになった。
草鞋の紐が食い込んで皮膚は破れ、血が滲んでいる。それを認めて、文次郎は手ぬぐいを裂いて傷口にあてがってくれた。
「ここまで来たら、もう一息や」
中津川の手前まで辿り着いて初めて、文次郎は土手の草の茂みに腰を下した。
うーん、知らないオジサンに連れられてどんなに心細い思いで歩いてきたことか。
幸の苦労は、これでもかこれでもかというほど続きます。
奉公先に着いた途端、一人を雇うはずなのに幸の外に3人の少女が、、、
口入れ屋のダブルブッキングで4人の内ひとりが選ばれることになります。
ここで幸は、番頭 治兵衛のテストに合格し「ものになりそうな子」と認められます。
呉服商「五鈴屋」に女衆として雇われた幸でしたが、向学心旺盛で商いや呉服の知識に興味をいだきます。
「一生、鍋の底を磨いて過ごす」女衆であるはずの幸は、その才を治兵衛に認められ、
少しずつ表の仕事を教えてもらえるようになります。
五鈴屋の四代目とその弟たちは問題児ばかり
五鈴屋は初代徳兵衛が古着屋から出発した店で、二代目当主と妻の富久が呉服商にしました。
二代目亡き後その息子が継ぐも、幼子3人残して早世。
富久がその3人の孫を育てながら店を切り盛りしてきました。
ところが孫たちは問題児ぞろい。
四代目を継いだ長男は、商いの才はなく店そっちのけで廓に入り浸り。
次男・惣次は商いの才能はあるが人徳がない。
三男・智蔵は優しいが商いは全くダメとくる。
長男と次男はことあるごとに衝突し、富久は苦労が絶えません。
家の中はごたごた続きで、店も傾きかける中、番頭 治兵衛は秘策を思いつきます。
ろくでなしの四代目の手綱を引くご寮さんに幸を
四代目の後添えとなったのは幸がまだ十四の時でした。
ところが夫は、女衆であった幸には目もくれず、廓通いのあげくぽっくり死んでしまいます。
今度は、次男の嫁になる
最初の内は、結構うまくいっていた惣次と幸でした。しかし惣次は幸の才能に嫉妬を抱くようになり、
すったもんだした挙句、問題を起こし、幸をおいて五鈴屋を出奔してしまいます。
今度は三男の嫁に
幸が五鈴屋に女衆として奉公にあがった当初から、三男の智蔵は優しく接してくれました。
商いには全く興味も才能もなく、本を書く仕事がしたいと追い出されるように家を出た智蔵でしたが、長男・次男が五鈴屋の当主をしりぞいた為、渋々六代目当主になりました。
「私は幸の人形になる」と言って。
当時の大阪では「女名前禁止」といって、どんなに商才があっても女性が店の主になることが出来なかったのです。
そのため、智蔵は六代目当主となり、実質の商売は幸がやりたいようにした。
幸は、五代目のご寮だった時から色々なアイデアを考えて店の繁栄に力を尽くしました。
六代目のご寮さんになってからも、親しい呉服商のピンチの為に立ち上がる幸。
さて、どうなることやら。。
→→これがざっくりとした第四巻までのお話。
比べてはいけないけれど。。。
作品を比べるなんて、愚の骨頂ではありますが、
「みをつくし料理帖」にすっかり魅了された私は、「あきない世傳」で多少とまどうこともありました。
ひとつには、苦難・いじわる・抑圧など波乱が多いことです。
「みをつくし」の澪も、もちろん波乱多き人生を歩んでいますが、温かい人に囲まれていました。
つる屋の店の主人・種市や一緒に働く仲間 (ふき、ご寮さんの芳、りう ) 、長屋の伊佐三・おりょう夫婦、常連客の清右衛門や坂村堂、吉原の料理番 又次、小松さま、町医者の永田源斉など、温かく見守ってくれる人に囲まれている。
数え上げて改めてちょっとびっくりしました。
ライバル店「登龍楼」の主人采女宗馬を除いた、ほとんど全ての人が、みな澪の良き理解者で、温かい応援の中でのびのび精進できていく物語だったんですわ。
ところが。
「あきない世傳」の幸は、商売仲間には敵もあり、家の中では二人の夫に蔑まれ、世間の風も冷たい。
好き理解者の番頭・治右衛門もおいえさんの富久も、近くにいなくなってしまう。
大津の村の人など理解者もいるけれど、やはり苦難が多すぎるて辛くなります。
鬱憤が晴れないというか、もちろん抑圧の先には幸せが待っていると思うのですが、
読んでいる内に、古いドラマ「細うで繁盛記」を思い出してしまいました。
「加代、おめえに食わせる飯はねぇづら」
(⌒▽⌒)アハハ!
唐突ですね。
こんなドラマのセリフを何人の方が知っていらっしゃるだろうか。。。
「細うで繁盛記」 原作は花登 筐の「銭の花」ですけどこれは、「あきない世傳」の二倍も三倍もよってたかって皆にいじわるをされるドラマだったんです。
女の人が平等に扱われないところは、宮尾登美子の「櫂」も彷彿させるしなぁ。。。
重いのが嫌と否定しているワケではありませぬ
暗くて重い門をあけると外には大きな世界が広がってるとか、
抑圧されたからこそ、その後の自由や幸せが感じられるということもわかります。
人を大切に商いをした結果、大津の村の人達から信頼されたりするエピソードもありました。
それこそ近江商人の「三方よし」です。心が温まる展開です。
あきない世傳を通して、日頃感じていること
いま私が一番好きな脚本家は、岡田惠和さんです。
岡田さんは数多くのドラマを手掛けてきましたが、最近の作品は特にこう感じます。
「普通の人たちが、あたりまえの暮しをしている中に、素敵なドラマがある」と。
※ ちゅらさん、おひさま、ひよっこ、最後から二番目の恋
岡田さんの描く世界には、極悪な人が登場して辛い目にあわせるとか、
波乱万丈とか、試練とか、悲惨とかはあまりないんですね。
それなのに、起伏のあるストーリー展開が出来る、これは凄いことだと思うんです。
登場する普通の人、ひとりひとりがキチンと描かれていて、
何気ない日常の触れ合いの中にちょっとした思いのズレがあって、悲しかったり 切なかったり 愛しかったりする。
そんなドラマが好きだなあと思い始めた私にとって、
「細うで繁盛記」のような、これでもかという苦労をみせつけられるドラマや、
派手な演出や、辛酸をなめるようなドラマ展開が辛く感じるようになりました。
しかし反面、あきない世傳のような頑張る女の人のお話は面白い。
幸はどうやって切り抜けていくのかしら、
惣次はどうしているのかしら、
田舎の妹は元気でいるのかしら、
智蔵とはうまくやっていってほしいけれど、とドキドキしながら第5巻の刊行を楽しみにしています。