小石川から本郷台にかけてのある一角に古い公孫樹の木と共に、古い東京が残っている区画がある。
六階建ての病院の脇を抜け、寺の墓地を曲がると左右に街並みに、魚屋、八百屋、ブリキ屋があるかと思うと大きな門構えの家があったり、格子戸のついた仕舞屋があったりする。通りの左右、家数にして三十軒足らずが、戦災を免れたまま今日に及んでいる。その中央通りに、煙突が一本、昼前から煙りを吐き続けている。毎日三時過ぎから、客を入れ始める銭湯である。
上記は、本文をかいつまんだもので、場所を特定しようとして私が抜き出したものです。
こういう出だし読むと、必ずどの辺か実際の地図を見て調べたくなるのは、私の悪い癖ですの。
湯島あたりと見当つけました。
本郷で6階建ての病院となればやはり東大医学部かな。物語の最後にも東大の構内の話が出てきますし。
脇にある墓地つきの寺となれば「湯島あたりかな」と思うのですが、古地図で銭湯を探すも見つからず。
そうはうまくはいきませんわね。
場所のことはともあれ
「いてふの町」の本題から大きく外れてスタートしてしまいました。
この物語には、大きな筋はありません。
公孫樹の木がある東京下町にある「松の湯」という銭湯に集まる老人たちの様子を描写した作品です。
主人公はとりあえずA老人。
そのA老人が「松の湯」で知り合ったB老人とのやり取りが主軸となるのですが、
銭湯に集まるお年寄たちの描写が、ある意味この作品のテーマなのではないかと思います。
ちょっとその部分を抜き出してみました。
天気の良い日には、二時半頃になると必ず二人三人、チョコレートの名の書いた、ペンキ塗りのベンチに腰かけている。
どのお婆さんも、湯道具を容れたプラスチックの洗面器を持ち、孫を連れているのが多かった。
またその湯道具を、順々に膝にのせ変えて、
「さあ、おかけなさいませ」
と、ベンチの端へ席を作ることもある。
~中略~
この近所には、他にも銭湯があるが、こういう老人達は好んで松の湯へ通ってくる。ここの薬湯が効くと云うけれども、ほんとうは旧式な設備に来易さを感じているのである。
それに顔馴染みが増えてくると、三十分も前からやってくることに、みんな張り合いをおぼえるようにもなる。
「ゆうべ、あたしの家の隣で、あぶなく火事を出すとこでね」
とか、
「世田谷の孫があんた、交通事故にあってさ」とかいう話題のある日は、なおのことであった。
入浴してからも、あれこれ世間話は尽きないものとみえて、この人達は一時間経たないと、ふたたび暖簾を出て来ない。中には、他人の孫達の世話を助けながら、二時間近くかかって上がってくるお婆さんもある。
みんなそれぞれ、余り早く家に帰ってはならぬことを知っているのだ。
あまり早く家に帰ってはならぬ、というのはお嫁さんや娘さんへの遠慮ということなんです。
何だか寂しい話。
それでも銭湯で気に合う人たちと話が出来れば幸せなことでしょう。
問題は、なかなか人と仲良くできない老人です。
A老人も、お婆さん連中からちょっと煙たがれている人物。
「そうだね、あのおとっつぁんは、いずれ市役所か、なんとか省辺りの小役人上がりといった処だろうよ」
かげで、そんな風に言われるくらい、A老人は多少相手を見下したような言葉遣いをするものだから、下町育ちの気に入らなかったのです。
そんなA老人が唯一、話相手として気に入っているのがB老人。
B老人は、一口に云えば世事に淡白な性質らしく、A老人の話のよい聞き手である代わり、自分の意見や主張を口にしない人でした。
そんな人だからA老人の話し相手が務まるわけです。
A老人は、毎朝新聞を精読していて、その新聞記事の話題をふり「君はどう思うかね」とやる。
だがB老人は「そうだねぇ、人はさまざまだから」と静かに答える。
たいがい終わり頃には、A老人がB老人をやり込める。
そんなシーンを読んでいて、父を思いだしてしまいました。
私の父は大正生まれで、大家族の長男として生れ、早くに一家の大黒柱になりました。
リウマチで40代で引退した父親の代わりに家計を支え、一本立ちして稼げるようになると
2人の弟を大学まで行かせ、未婚に終わった姉と妹と両親たちの面倒を見ながら、
母と結婚し私たちを育てた男です。
一体何人の生活が父の肩にかかっていたかを思うと、本当に偉かったと思います。
今考えれば40か50だった父、辛いことも沢山あったと思います。
早くに重荷を負った反面、長男として家長として一目おかれた立場にあった父には、
自分の意見をごり押しするような一面もありました。
特に政治の話などで意見が合わないものなら「それでも貴様はニッポンジンか」みたいなセリフになる。
そんな父やA老人は、昭和の典型的な男性に見えてしまいます。
人とのコミュニケーションを取るのが苦手で、本人は話をしているつもりでも、
それは議論ではなく説教だったりする、そんな男性が当時は沢山いらしたと思うんです。
なので何だか面白くて、A老人とB老人の会話を読んで、ふふふと懐かしくなりました。
思わぬ展開 物語の最後
A老人が、東大生をつかまえてジョサイヤ・コンドル博士のことを 講釈し「覚えておき給え」とやる。
これには笑ってしまいました。
でも笑うところではないのかも知れぬ。
もしかしたらA老人は「いずれ市役所か、なんとか省辺りの小役人上がりといった処」ではなく「東大に関係する大人物」なのかもという暗示なのか知ら。
何度も何度も来慣れた場所と書いてあったもの、どこかに。
ちょっと意味深な結末だけれど、ほんのりして、ちょっと寂しくて、昭和を感じさせてくれるお話でした。