Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

四国旅 4 京都 東寺・京都御所

 

京都の朝ごはんは、ホテル1階のお食事処にて。

昨日、焼肉屋さんでお会いした姉妹には残念ながら会えませんでした。

早々に食事をすませ、旦那様の待つ病院に行ってしまわれたのでしょう。

うーん、ご挨拶できずに残念。

あと10分早かったらお会いできたかも。。。

 

京都プラザロイヤルの食堂会場は、すっきりとしたテーブル席。

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お皿は、丸皿と九つに分けられた角皿があります。

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私は丸皿によそってしまったが、角皿の方が美味しそうかもしれない。

はは、この辺がセンスの分かれ目か。。。

 

あっ、湯豆腐を取りそびれた。京都といえば湯豆腐でしたな。

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朝食を食べて向かったのは、ホテルから一番近いところにある東寺です。

 

東寺

旅に出る前の週、大河ドラマ「西郷どん」で丁度、鳥羽伏見の戦いをやっていました。

今から150年前 ( 1868年慶応4年 ) 、薩藩討伐を掲げて大阪から京都に攻め入ろうとした旧幕府軍が、長州・薩摩藩を中心とした新政府軍と衝突した戦いです。

旧幕府軍が優勢でしたが、薩摩藩の本陣が置かれたこの《東寺》に《錦の御旗》が立てられたことを機に、旧幕府軍はグズグズになっちゃったという話。

錦の御旗は、本来は天皇が朝廷軍 ( 官軍 ) の大将に与える旗印ですが、

この時の《錦の御旗》は、岩倉具視と薩摩との間で密造しちゃった贋物だったんですと。

凄い話だね。

西郷どんでは岩倉具視を鶴瓶さんが演じてます。

お公家さんといっても、金に汚い、一癖も二癖もあるうさん臭い人物像になってます。

《錦の御旗》だって、どうせ後から天皇さんに許しを貰うから結果オーライだってぇ感じで作っちまおうという話。

 

歴史って書物で知るよりも、大河ドラマや映画で見せてもらえると凄くわかりやすい。

東寺を訪れても「ああ、あの話がここで繰り広げられたんだ」と面白く感じられました。

 

因みに西郷隆盛は、東寺の五重塔に上がり、望遠鏡で戦局を眺めたんだそうです。

高さ55mの五重塔からの眺めは、幕末の頃は高い建物などないのだから遠くまでよく見えたことでしょう。

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大阪は、写真奥の方角だからあっちを向いて眺めていたんだろうかな。

 

この門は、大宮通りの北東に位置する駐車場口です。

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本来は左に向かい、五重塔のある角に沿って右に曲がったところにある南大門から入るのが正式です。

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門を入って左に見えるのが食堂 ( じきどう ) ⤵

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正面から入ると、金堂があり、その後ろに講堂、その後ろに食堂と縦に並んでいます。

私たちは駐車場入り口から入ったので、境内の後ろの方にある食堂から見ることになる。 

食堂は僧侶が生活の中に修行を見出す場所ですが、現在は納経所となっているそうです。

 

勿論、中は撮影不可。

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入って左側には、御朱印をいただけるスペースがあって、

右側にはグッズ ( って言っていいのかな ) の販売コーナーがある。

御朱印帳や手ぬぐいなどが購入できて、その後ろにこの日は、絵画が展示されていました。

 

食堂の中央には千手観音さんが安置されてます。

でもこれレプリカなんだそうです。

本物の千手観音さんは宝物館の方に移動されてるそうな。

 

食堂は1930年に火災で焼失、現在の建物はその後の再建されたもので、

千手観音像をはじめ重要な仏像も沢山あったんですが、現在食堂に残ってるのは表面が炭になってしまった四天王像2体のみ。

かなりダメージがあるものの、その存在感に圧倒させられました。

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食堂を出て五重塔の方に移動したんですが、そこから先は有料スペースとのこと。

まる「どうする?」

もう「俺、いいかな」

MOURI は寺社仏閣には食指が動かぬらしい。

五重塔は遠くから眺めたら、食堂の後ろにある御影堂を拝観して帰ることにしました。

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ところで。

東寺って、昔から四国八十八か所巡礼の出発のご挨拶に来る場所だと知りました。

今日、四国入りしようという私たち、ちょっとご縁を感じてしまいます。

 

御影堂の前にいたら、中から年配の男性がお祈りしている声が聞こえてきました。

「これから四国八十八か所の巡礼に向かいます。

 どうか生まれてくる孫が男の子でありますように。元気に誕生し育ちますように。

 どうかどうかよろしくお願いいたします」

おじいちゃんが息子夫婦の懐妊に際して、男の子を授かりたいとお願いして巡礼するということか。

お経はよくわかりませんが、こういう風に普通の言葉でお祈りされれば私にも意味がわかる。

元気な男のお孫さんが誕生するといいですね。

 

日の出湯

東寺を出て、車を停めているコインパーキングに向かう道すがら、気になる路地がありました。

 

日の出湯という看板

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なんかとても気になってこの路地を通って行きたくなりましたの。

そうしたら、こんな建物に遭遇。

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見たことある。

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ここ、知ってる。

うーん、何だろう。

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わかりました。

もたいまさこさんや、小林聡美さんの一連のあのゆるーい感じのいい映画で、

小泉今日子さんも出てた「マザーウォーター」っちゅう映画に使われてた銭湯じゃない?

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そうよ間違いない。

ほらやっぱりそうでした。

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何気に迷い込んだ、、、というか吸い寄せられるように行きついた場所で、

こういう出会いがあるとゾクゾクします。

 

建物に呼ばれた感じ。

本に呼ばれるということもよくありますが、知らない土地でこういうことが起こると、

これは奇跡だと興奮します。

 

京都御所

こんなに良いお日柄だというのに、折角京都に来たのに半日もしない内に通り過ぎるなんて、

なんとも罰当たりのような勿体ない話。

午後には 移動を開始しないとと思うので、昨夜日立の妹さんに紹介された南禅寺も、東福寺も今回は諦めます。

なんといっても寺社仏閣に全く興味がないMOURI ですから。

 

「どうする? このまま出発する?」

流石のMOURI も気がひけたのか、京都御所だけ見ようという話になりました。

 

なんで京都御所なんや

よくわかりませんが、車でぶーんと行き、駐車場を確保。

平日の早い時間だから、駐車場探しもサクサク。

 

昔は御所は非公開だったそうですが、一般公開されるようになって無料ですって、驚きました。

でも警備が厳しいの。

入場するときにバックの中身を全部見せて、バッグの中の袋も開けてみせなければいけない。

こんなに警戒するのは、やはり天皇のお住まいだったからなのかな。

 

入ったところにパンフレットがありました。日本語、英語、中国語、韓国語などなど。

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清所門から入って、今見られるのは①から⑱までのコース。

もちろん外から眺めるだけですが、春と秋に内部も見られるのだそうです。

 

京都御所については、パンフレットや宮内庁のビデオを見て、

説明書き風にまとめてみました。

下のサイトは、宮内庁が作った「京都御所」のビデオです⤵

https://sankan.kunaicho.go.jp/media/meta/02-300k.wvx

とても分かりやすくまとめてあるので、これを見れば十分かも。

 

興味のない方、もう充分お分かりの方はこの切り取り線から、

次の切り取り線まで読み飛ばしてくださってもいいかもです。

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築地 ( ついじ ) と呼ばれる土塀に囲まれた京都御所は、およそ11万㎡。

京都御所は六つの御門を持ち、それぞれ格式と用途が決められています。

最も格式の高い正門が健礼門。現在は天皇陛下と外国の元首のみに開かれます。

朔平門は皇后がお使いになった正門です。

かつて公家などが出入りした宜秋門は、別名公家門ともいわれています。

 

京都御所は、儀式が行われた所と、お住まいになっていらした場所に分けられます。

紫宸殿を中心に南に重要な御殿を配するのは、天子が南に面して座し国をおさめた中国の故事によります。

 

 

 

御車寄

別名公家門と呼ばれる宜秋門をくぐって、公家たちが参内した玄関。

公卿・殿上人など限られた者だけが使用しました。

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屋根は檜皮葺で優雅なカーブ。

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諸大夫の間

正式参内の時の控えの間。

身分によって三つの部屋に分かれ、諸大夫の間、殿上人の間、公卿の間と続きます。

格の高い順に公卿の間を「虎の間」、殿上人の間を「鶴の間」、諸大夫の間を「桜の間」と襖の絵にちなんで呼ばれている。

右に行くほど格が高く、身分に応じて部屋が決まっていた。

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部屋の格は畳縁の色の違いにも反映されている。

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虎の間・鶴の間を使用する者は御車寄から参入するが、桜の間を使用する者については、左の沓脱石から参入した。

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新御車寄

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紫宸殿

京都御所において最も格式の高い正殿。即位礼などの重要な儀式がここで行われた。

この建物は安政2 ( 1855) 年の造営であるが、伝統的な儀式が行われるように平安時代の建築様式で建てられている。

明治・大正・昭和の三代の天皇の即位礼はこの建物内で行われた。

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紫宸殿の前の白砂の庭を「南庭 ( だんてい )」といい、即位礼の時にこの庭には旗などが並び、殿上には皇族・諸大臣・外国使臣などが参列した。 

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紫宸殿から見て左側に「左近の桜」、右側に「右近の橘」が配されている。

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清涼殿

平安時代中期 (10世紀中頃 ) 以降、天皇の日常のお住まいとして定着した御殿であり、政事・神事などの重要な儀式もここで行われた。

天正18 ( 1590 ) 年に、御常御殿にお住まいが移られてからは、主に儀式の際に使用された。

この建物は安政2 ( 1855 ) 年の造営であるが、伝統的な儀式が行われるように平安時代中期の建築様式で建てられている。

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畳を敷いた部分が「昼御座 ( ひのおまし ) 」といい、天皇のご日常の御座である。

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小御所

鎌倉時代以降に建てられるようななった御殿で、江戸時代は将軍や大名などの武家との対面や儀式の場として使用された。

明治維新の際には、将軍に対する処置を定めた「小御所会議」が行われたことでも有名である。

上段・中段・下段の3室のまわりに広い板敷の廂が付き、様々な儀式に対応できる実用的な建物であった。昭和29 ( 1954 ) 年に消失し、昭和33 ( 1958 ) 年に復元された。

 

御学問所

慶長18 ( 1613 ) 年に清涼殿から独立した御殿で、御読書始や和歌の会などが行われた。慶応3 ( 1867 ) 年、ここで明治天皇が親王・諸臣を引見され「王政復古の大号令」を発せられた。

上段・中段・下段を含む6室からなる総畳敷きの建物である。

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御池庭

回遊式庭園。

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右手に「欅橋」が架かる。

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蹴鞠の庭

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蹴鞠とは、革製の鞠を地面に落とすことなく、蹴り続ける伝統的な球技です。

その歴史は古く、古代以来、主として公家社会で伝えられ、武士や庶民などにも広がりました。

蹴鞠は、勝敗を争うものではなく、いかに蹴りやすい鞠を相手に渡すかという精神のもと行われるものです。

この場所で行われた蹴鞠の催しを御学問所から天皇がご覧になったという記録があります。

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御内庭

御池庭の雄大さに比べて深山幽谷の趣を醸し出しています。

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御常御殿

室町時代から天皇のお住まいになった御常御殿。

畳を敷きつめた書院造りで、大小15の間があります。

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現在の御常御殿は孝明天皇、明治天皇がお使いになりました。

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その南には、上段・中段・下段の間があります。

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外から見て向こうにいくに従って、障子と戸板の高さが少しずつ低くなっています。

これは室内が、上段・中段・下段と段々になっているからみたいです。

こういうことも、春・秋の特別公開でなら内部が見られるからわかるんでしょう。

 

京都御所の見どころを詳しく書いたサイトがありました⤵

 

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見学を終え、外に出たらそろそろ時間がなくなってきました。

御所の隣にあった、新島襄旧邸も興味深々でしたが、時間があわず断念。

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新島襄旧宅

この建物も同志社に関連するものらしい。

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ああ、こんな駆け足じゃ、ほんとうに勿体ない。

 

鴨川も車でビューンだったし、

京大がどんなだか観たいというMOURI の為に京大の回りを走り回りましたが、

やっぱりこれは徒歩で時間をかけてまわるべき場所です。

 

いつかリベンジ。

キチンと調べて出直します。