先日、ブラタモリで那須を特集していました。
『ブラタモリ』は、私のどストライクな番組です。
地図あり、地形あり、歴史ありですから。
もうひとつ凄いのは、非公開の場所にも「特別な許可を得て」と入れて貰えてまして、
毎回「いいなぁ」と思いながら指をくわえてます。
テレビってしかも国営放送ですから、、、って 悔しいよーー
して。
今回の「悔しいよー」は千本松牧場のあの非公開の洋館に入れてもらってること。
普段は、所有者 ( 管理者 ) しか入れない場所です。
一般の人は、この柵から見るしかない。
洋館は、あるお偉いさんの別荘として作られました。
そしてお偉いさんが所有する千本松牧場は、お馬さんがポクポク歩いてる
この道の右も左も全部牧場の敷地なんです。
この広さは、那須の牧場の中でも一番ではないでしょうか。
室内にはこんな立派な調度品が、今でもピカピカに磨かれています。
館の主人は、ここを皇太子・嘉仁親王を招くなどの社交の場とした。
洋館のご主人はコチラ⤵
松方正義さんは、内閣総理大臣を2回経験している人です。
松方さんが活躍したのは「西郷どん」の頃です。
彼は島津久光の側近でした。
明治政府で力を持つ人の多くは、勤皇志士として活動した人でした。
でも松方さんは勤皇志士としての活躍歴がなく、維新後の功労で元老・公爵にまで立身した人です。
大久保利通さんや明治天皇には、財政に関する能力をかわれていたようです。
松方さんのやったことというと
・日本銀行を作った ( 参議兼大蔵卿をしていた時 )
・日本に4月制度を導入した ( 大蔵卿をしていた時 )
なにげに凄い人ではないですか、松方正義さんって。
因みに。
「日本の年度の始まりはなぜ4月なの?」という謎は、「チコちゃんに叱られる!」でもやっていました。
話を那須の農場にもどします。
ブラタモリでは「なぜ巨大農場の中に明治政府の大物の別荘が多いのか」を、ひもといていました。
下の表を見ても、あらあの人もこの人もと農場経営&別荘を持っていたことがわかります。
何故、明治政府のお偉方がこぞって農場経営をしたがったかというと、
ヨーロッパ貴族に憧れてだったそうです。
ふー。
どいつもこいつも ( ´艸`)
じゃ、何故《那須》だったか。
どいつもこいつもが農場をつくれるほどの広大な土地が手付かずで残っていたのが那須だった。
那須は扇状地で、ちょっと掘ると石や岩がゴロゴロ出てくる農業には難しい土地だったんです。
石がゴロゴロということは、水はけが良すぎるということ。
明治の華族たちはどうやって水を確保したか、、、国の財力を利用したのです。
明治18年に国家プロジェクトによって完成したのが「那須疎水」。
扇状地に水を引くために、70㎞に及ぶ疎水をたった2年で作り上げた。
しかも水路のルートは華族農場を優先して経由。
那須の発展は「華族農場ありき」で作られたものだったんですってさ (ノ´∀`*)
松方さんの別荘も、昔は柵はなく放牧された羊が沢山いた⤵
現在は柵も出来、建物内は非公開ですけれど、
大切に管理保管されているのがわかります。
那須の千本松農場、松方正義別邸。
いつもでもあって欲しいという建物です。
参考資料