先日アップした『ビブリア古書堂の事件手帖 映画を観て』で、
初めての方からもたくさんブックマークコメントをいただきました。
その中に「長谷の切り通しとは大仏切り通しのことだよね。」というコメントがありました。
そうだったの?
大仏の切通しのことを映画では「長谷の切通し」と言っているのか?
突然、松任谷由実さんの「海を見ていた午後」のドルフィンを思い出しました。
この歌に ♬山手のドルフィンは~静かなレストラン♬ という詩が出てきます。
しかし正式にはドルフィンがあるのは根岸で、山手ではないんです。
また ♬晴れた日には遠く~三浦岬も見える♬ とありますが、
ドルフィンからは三浦岬は見えないんです。角度的に見えるとしたら房総半島。
でもユーミンですから。
根岸のドルフィンは~でなく、晴れた日には遠く房総半島が見える じゃない。
多分それだったら、この曲は人気なかったかも。
こういう風に作り手が『盛る』『脚色』することはあるでしょうし、悪いことではないと思います。
ただし映画「ビブリア古書堂の事件手帖」の中に、
象徴的な地として使われる切通しはどうして「長谷」なのか、私は気になり違和感を禁じ得ません。
頂いたコメントのように大仏の切通しを、わざと長谷の切通しという。
もしかしたら私が知らないだけで鎌倉の七口の他に「長谷の切通し」が存在するのかも知れません。
または、大仏切通しを、地元の人は便宜上《長谷》と呼んでいるのかも知れないとも思いました。
しかし。
やはりこんな景色は私の知る限り「大仏の切通し」にはないんです。
2012年に訪れた時の写真です。
大仏の切通しは、切り立った岩が、映画のそれとは違います。
そして真ん中に大きな岩が残っているのが、朝比奈、化粧坂、釈迦堂、亀ヶ谷、極楽、
巨福呂坂、名越のそれとは違う特色です。
反対側から見てもこういう感じです。
映画では地面が平です。⤵
両方の岩が切り立っています。
ここで田中嘉雄 ( 東出昌大 ) は、絹子 ( 夏帆 ) と逢瀬をかわす。
過去の印象的な舞台として何回も使われるのですが、、、、
違うでしょう? 大仏の切通しと岩の切り立ち方が、、、
どちらかというと、釈迦堂の切通しに似ています。
鎌倉の七口の中で、一番切り立っていて、一番かっこいいと思うのが釈迦堂の切通しです。
残念ながら今は立ち入り禁止になっていますが、中学生の頃訪れた時の感動は忘れません。
その時の写真はないし、今は入れないので、
サイトで写真をお借りしました。⤵
凄いでしょう? 他の切り通しと迫力が違う。
今は、通行禁止でこの先まで行けません。
私ははじめ、映画の為に「特別な許可を得て」この釈迦堂切通しをロケ地にしたのかと思いました。
そんなことをしてくれたとしら、鎌倉市の観光事務局も凄いし、映画製作カズモも凄いと思いました。
しかし、やっぱり違った。
映画のパンフレットの中に、このような記述がありました。
ロケ地と主題歌
北鎌倉駅や江ノ島電鉄など、物語の舞台・鎌倉の実景もふんだんに登場する本作。
その中で三島監督が鎌倉らしくて尚且つ文学的ということで本作のキーポイントとしたのが、山の稜線を切り開いて作られた切通し。
鎌倉の多く存在する切通しが、人と人がつながる象徴的な場所として効果的に用いられている。
絹子と嘉雄が待ち合わせをする場所も切通しだし、ビブリア古書堂も北鎌倉駅方面から切通しを抜けた先の一角にある設定だ。
その切通しのシーンや絹子と嘉雄の密会は下田で撮影している。
~中略~
また、ごうら食堂と五浦家は味わいのある建物と風景を求めて常陸太田でロケをするなど、さまざまな要素を合わせて、原作の世界観、映画の空気感が作り上げられている。
やっぱりあの切通しは、鎌倉じゃなかった。
パンフレットにもハッキリ書かれているのだから間違いないでしょうが、
製作スタッフの考え方の違いが、これで明らかになりました。
「鎌倉を舞台に、それが原作の世界観を作り上げるために大切」だと思うなら、
何故その大事なシーンを、鎌倉ではなく下田で撮るのだろうか。
この映画の製作陣は、それが不思議でもなんとも思っていないのです。
ついでにこれはなんなんじゃい。
鎌倉には川端に柳はないのだよ⤵
五浦大輔が、栞子を連れて行った秘密の場所⤵
映画の中で、大輔は「鎌倉で一番好きな秘密の場所」と言っています。
でもいったいここはどこなんでしょうか。。。。