上田の二日目、
今日はもう何もすることがないので、食後のドライブを。
迷い込んだ山の岸壁に、、、おどろく
ゴソっと崩れ落ちたんだろうか、なんだか、怖い。
「怖い」と感じたのは、穴もだけどその下の人工物。
蔦で覆われているのは廃道らしい。
何だかとても気になり、調べてみました。
この洞穴は、
切りたった絶壁は、実は千曲川の反対岸にある山とつながっていたのが、崩れたのだとか。
これにまつわる民話と解説が上手に書かれた地元のサイトがありました。
上記のサイトによると、こんなお話 ⤵
岩鼻は切り立った「半過岩鼻」と、川を挟んで向かい側に「下塩尻岩鼻」があります。
※ 岩鼻は、岩の突端しか、突き出た岩のはしという意味。
もともとは一つの山だったものが千曲川によって浸食され、このように奇特な姿になったとされています。
ちなみに二つの岩鼻は岩質が異なるため、千曲川断層が存在するという説もあります。
岩鼻より東部は昔、巨大な湖であり、それが決壊して今の姿に変わったとされています。
東信地方ではこれらに基づく民話や地名が多く残っています。
そのうちらひとつに「唐猫とねずみ」伝説があります。
なるほど「唐猫とねずみ」のお話ね、
あとで紹介しようと思ったんですが、山の上の公園にこんな看板があり、そこにも書いてありました。
遠い昔、対岸の「塩尻岩鼻」と続いており、一面の湖だった。
その湖の西をねずみがはごかり田畑を荒らしたので、唐猫を集めて追わせた。
逃げ場を失ったねずみは岩山を食い破り、湖の水は千曲川となって流れ出し、一帯は陸地になったといわれている。
岩鼻という言葉も、初めて知りました。
そしてこの半過岩鼻が川向うの山とつながっていたのが崩れた後の奇岩だということもわかった。
だけど、この廃道は何なんだろう。。。。
ありました。
半過洞門とか半過隧道とか言われたものだったようです。
こちらのサイトさんにも詳しく説明がされていた。
二つのサイトさんの記事から話をまとめると、
隧道が出来たのは1956年。
沿道の上の岩鼻からの落石から通行人や車を守るために作られた。
県道77号線として上田市から長野市に抜ける主要道路だった。
廃道になったのは1996年、大きな崩落があったため。
その後、上田坂城バイパスの岩鼻トンネルが開通 ( 2007年3月 ) したので、県道77号線を通る人はほとんどない。
人工の建造物が朽ち果てているのは、自然の驚異とは別の意味でゾっとするものがあれります。
この道を通り、チラリと廃道のトンネルが見えた時には私も震えました。
ゾっとする所っていうのは、必ず心霊スポットにもなるらしい。
聞きたくない話でしたが、山頂の絶壁から身を投げる人もいたらしいから余計、
そんな話 ( スポット ) になるのでしょう。
因みに、さきほどリンクを貼らせていただいた「あくす乳業の作業記録」さんの頁には、
隧道の入り口の写真や、内部にある「古い祠」の写真もありました。
実はこの半過岩鼻を遠くから見た時、山の上に気になるものが見えました。
東屋のような展望台のような、、、何かがあるでしょう?
ナビで見たら、この場所に公園があるみたい。
ここまで来たんだから行ってみよう。
ルートは、日賀志さんに行く道の先だった。
もう一度来た道を戻ります。
どんどん登っていきます。
道に横溝が切ってあるのを見るだけで、傾斜角のあるきっつい坂道だとわかります。
道しるべがあった。左が目指す千曲公園。
着きました~
うおーーーっ凄い眺めだ。
公園の先端には千曲川。
右に上田市、左が長野市の方向と、180度以上のパノラマ。
こっちは上田市の方向
こっちが長野市の方向
千曲川、、、千に曲がるとよく言ったものだ。
こうやってみると本当にクネクネ蛇行している。
下から見えた建物がこれでした。
山頂の端にある東屋
東屋の脇にフェンスが切れていて、下?に降りられるみたいだ。
私ひとりだったら多分行っていただろうなあ。
MOURI は興味ないみたいだからやめたけど。。。
ほら、もう興味失ってる www
この写真を撮影したのは、2019年9月20日。
それから一ヶ月も満たない10月14日に、
台風19号でこの景色か変わってしまうなど知る由もなく、
「ああ、綺麗な川だ」と呑気に楽しんでいたのでした。