( ※ 2012年10月20日12:30のお話です )
15の歳から鎌倉通いをしてきましたが、実は大仏さんは来たことがなく、
《行ったことのない記録》を更新しても良かったんですが、
来なかったのも《なんとなく》だったので、《なんとなく》来てみました。
うぉ~ こちらが大仏様か。
立派、立派!
横から見たお顔は慈悲深い。
お尻はこんな感じ
後頭部
ぐるっと回って左から、
あっ、背中に窓がある。
なになに(・・?
胎内拝観できるんだそうな。
胎内から、頭の部分が見えます。
螺髪のぼこぼこがあります。
これが、背中の窓か。
「ああ、面白かった」って、バチが当たるな、すみません _(_^_)_
この角度から見たお姿が一番優しくみえる。
外人さんが沢山来てました。
そうか今日は土曜日か。
何、その棒?
なるほどセルフ撮影用のツールなんですね。
境内でお弁当いただきました。
ごはん、ボケた ( ´艸`)
おまけ情報
境内にこんな由緒書きがありました。
なんか由緒書きというよりも工事の記録みたいだ ww
これ読むと、やはり大仏様で関東大震災で被害を受けたようです。
国宝鎌倉大佛因由
この大佛像は阿弥陀仏である。源頼朝の侍女であったといわれる稲田野局が発起し、僧浄光が勧進 ( 資金集め ) して造った。
零細な民間の金銭を集積して成ったもので、国家や王侯が資金を出して作ったものではない。
初めは木造で歴仁元年 ( 1238 ) に着工し6年間で完成したが、宝治元年 ( 1247 ) 大風で倒れたので、再び資金を集め、建長4年 ( 1252 ) に至って現在の青銅の像を鋳造し、大仏殿を造って安置した。
原型作者は不明であるが、鋳工として大野五郎右ヱ門や丹治久友の名が伝えられる。大仏殿は建武元年 ( 1334 ) と慶安2年 ( 1369 ) とに大風に倒れ、その都度復興したが、明応7年 ( 1498 )
の海潮に流失以来は復興せず、露像として知られるに至った。大正12年 ( 1923 ) の大震災には台座が崩れ、仏像は前に傾いたが倒れなかった。大正14年 ( 1925 ) 台座を補強し仏像を台座に固定せしめる耐震構造の修復がなされた。昭和35年36年 ( 1960・1961 ) の修理では、前景している頭部を支える頸部の力を、強化プラスチックで補強し、大正修理でなされた耐震構造を改め、大地震の際は、台座と仏体が離れる免震構造が施された。この強化プラスチックの利用と台座の免震構造は、日本の文化財としては最初のものである。
総高 ( 台座共 ) 13.35m
青銅佛身高 11.32m
面長 2.35m
眼長 1.00m
眉長 1.24m
口広 0.82m
耳長 1.90m
眉間白毫径 0.18m
〃 高 0.15m
螺髪 ( 頭髪 ) 高 0.18m
〃 径 0.24m
螺髪数 656ヶ
佛体重量 121トン