奥田英朗『罪の轍』を読んでしばらくの間、昭和のことが頭から離れずにいます。
今日は、集団就職でやってきたおにいさんや、おねえさんのことを思い出しました。
古い写真が出てきました。
本と同じ、1964年 ( 昭和39年 ) くらいのもの。
中央が母。泣きそうな弟を抱っこしているのがお手伝い長のハナさん。
右の人もお手伝いさんで、確か名前はキヨタさん。
キヨタさんが辞めたあとに、集団就職で二人のおねえさんがやって来ました。
左端がミヨちゃん。右端がマメちゃん。
ミヨちゃんの後ろの美人さんはハナさんの娘さん。赤ちゃんは私の弟です。
キヨタさんの後釜は一人で良かったらしいけど、
「寂しいから二人でなきゃ嫌」ということで、やってきたミヨちゃん マメちゃん。
中学を卒業してすぐだから、二人ともまだ16歳だったんだなぁ。
マメちゃんは、叱られると丸いお顔がもっと丸くぷーーーっと膨れたのを覚えてます。
仕事が終わると、二人して明星とか平凡をキャっキャと読んでました。
当時のスター雑誌には、歌手や映画スターの住所が掲載されてたんです。
休みの日には、スターの家を訪ねるのが彼女らの楽しみだったらしく、
私は三田明さんの家に連れていかれました。要するにダシです。
子供が一緒なら相手も油断して、何とかなるんじゃないかという作戦だったんだと思います。
橋幸夫さんの家にも行きました。
ミヨちゃんマメちゃんは三田明のファンだったけど、私は渋くて橋幸夫びいきだったのね。
橋幸夫さんの家をピンポンして、出て来たお母さん(・・? ) に
「はしゆきさん、いますか?」ともじもじしながら言ったのをうっすら覚えてます。
「はしゆきさん、お仕事でいないのよ」
「そーですか、はい、さよなら」
という会話が遠く遠く思い出されます。
私が住む家の斜向かいに、大地主の長男が経営する立派な風呂屋がありまして、
地主さんは、そこに隣接させてアーケードの商店街を作りました。
左手前からお菓子屋、雑貨屋、八百屋。
右側は、地主の次男が営む薬屋、魚屋、乾物屋と続きます。
少し離れた一角に、蕎麦屋、酒屋もありました。
その商店主たちは、集団就職の子を雇うことになったようです。
八百屋、魚屋、乾物屋、酒屋に同郷の男の子たちが奉公に来ました。
おにいちゃんたちも16~7、まだ子供子供した顔だったのが、
4~5年もすれば立派な大人で、ぷかぷか煙草を吸っていました。
子供の私には、それが悪いことのように変な感じに見えたものです。
お店の環境もさまざまなので一概にどうとは言えないけれど、
向き不向き、辛抱のたりる子もたりない子もいるようで、
おにいさんたちは一人減り 二人減りしていって、最後に残ったのは八百屋のおにいちゃんだけでした。
我が家のマメちゃんも、ミヨちゃんを残して 国に帰って行きました。
今ごろみんなどうしているんだろうなぁ。
本日の朝ごはん
鶏とたっぷりきのこのお蕎麦
夜ごはん
牛肉とアスパラの炒め煮には、たもぎ茸も入れました。
きのこが入ると風味が変わってまた美味し。
今日の創作
パセリのお浸しにカリカリじゃこを足しまして、
輪切り唐辛子をくわえて、ちょっと甘辛酸っぱく煮付けてみました。
唐辛子と砂糖と酢の組み合わせ、私は中身を知って口に入れたけど、
知らずに食べたとなりのしとは、うほっほとむせてましたん。ははは。