Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

幸田文 対話

 

「幸田 文 対話」を読みました。

これは、岩波書店刊 1997年 ( 平成9年 ) 、幸田文さんの没後に編まれた本です。

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本に掲載された人は全部で26人。

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懐かしい顔ぶれが並びます。

中には、歴史的人物ではないかと感じる人もいる。

それが、この本を読むとぐっと身近に感じるのが不思議でした。

 

 

この本を読みたいと思ったのは、沢村貞子×幸田文 対談があったから。

常々、二人が似てると思っていたので、どんな話かが知りたかったんです。

 

どんなところが似てるのか

幸田文さんと沢村貞子さんが似てると思うのは、私だけでしょうか。

どんなとこが似てると思うかといえば、一番は、着物の好みが似ているところかな。

それから料理上手なところ。

 

おふたりは4つ違いで、明治の、ほぼほぼ男尊女卑の時代に生まれました。

職業婦人であるよりも先に、まず、女として家庭のことをしっかり仕込まれました。

※ 幸田文 1904年 ( 明治37年 ) 生まれ。沢村貞子 1908年 ( 明治41年 ) 生まれ。 

沢村さんは母から、幸田さんは父から、女としての家事全般を教わりました。

やがて二人は、家を離れて自立の道を見つけます。

そこに行きつくまでのおふたりの信条に、絶対 共通点があると思ったワケです。

 

「けじめをつける」で話はすすみます

話はこんなところから始まります。

幸田

「けじめには、大きくいえば、季節だの、風雨だの、天からいやおうなくさずけられて

 いるものと、自分がつけるけじめと二つあると思うのです。

 けじめっていうと、何か皆さん規律みたいに思っておっしゃるんじゃないかしら。

 けじめのない方がいいんでしょうか、ある方がいいんでしょうか」

 

こんな切り出しから、ふたりは

「けじめにしたがってやった方がきちんと、早くものが片付く」と合意します。

例えば、行事の話。

「お月見にしたって、おだんごを作り、きぬかつぎを茹でたりと、かなりの手廻しのよさでしないと、

 楽しむどころか苦しみになってしまい、けじめにふりまわされてしまう」

幸田さんは、十五、六の時分に、行事にふりまわされた経験があるらしい。

「するからにはやっぱりきちんと、人にほめられるようにしたいと、そのたびにあくせくして」

ところが、その節目、手順がよく分かってきて、のみこんだならば、もう楽しくできるようになったっておっしゃるんです。 

 

なるほど。

二人とも、親から仕込まれた手順から、自分自身で《手際の良さ》を身につけられたみたい。

 

幸田「手が早いって、変な言葉だけれど、さっさっさっと動けるというのは、それが出来るものの大変な嬉しさで、喜びで、都合の良さであり、人にとっては大迷惑なことですね。同じ速度を要求しますからね。だから人にそれを強いると平和がなくなります」

 

幸田さん、いきなり凄いことを言い出しました。

自分が手際よく出来ることが、周りに波風を立ててしまう

そんなことまで感じてたなんて、つくづく空気の読める人なんだなぁ。

 

この話を聞いて、思い出すことがありました。

私の師匠で渡辺さんという女性がいました。渡辺さんのことはこのブログでも何度か話しましたが、

彼女はバリバリのキャリアウーマンで、しかも料理も得意な人でした。

実家が老舗の割烹旅館であったこともあり、料理を徹底的に叩きこまれて育ったんですね。

師匠の料理は美味しいだけでなく、手際も良く手品のようでした。

 

ある時、祭の裏方のような場所で皆で調理をする現場に、師匠と私は参加しました。

20代から60代の女の人、7人~8人はいたでしょうか。

師匠はサッサと料理を作り始めました。

ところがその横で、年配のご婦人が鍋をひっくり返してしまいました。

師匠のはしっこさに驚き、ペースが乱れてしまったらしいのです。

幸い、惨事には至りませんでしたが、ご婦人は、皆に迷惑をかけたと意気消沈。

一部始終を見ていた私は、ご婦人の気持ちがよくわかりました。

私は、共同作業の難しさを知りました。

 

師匠に悪気はありません。

ひとつでも多く用事を片付け、皆を楽にしたいという気持ちだったでしょうから。

しかし。

そこにもうひとつ、周りの状況をもう少し見る目があったら、、、、

幸田さんの言う《同じ速度を要求してしまうと平和がなくなる》という事態が、

まさにそれだったのではないかと思いました。

 

 

自分ですると決める

沢村さんも、幸田さんも人を使う経験も豊富です。

人を使うということは、楽になるかと思えばそうでないこともある。

自分でやった方が、なんぼか早かったり、仕上がりが良かったりなんていうことも

おふたりはわかっている。

 

するとどうなっていくか。。。。

任せてよいこと、自分ですることの線引きが出来てくるようです。

 

家政婦さんには、夜の食事の用意は下ごしらえまで、と決めてお願いする。

要領のいい任せ方です。

家政婦さんの仕事にじれるより「ここまではやって貰っておこう」と決めて、あとは自分でする。

その方が何倍も手早く、精神衛生上もよろしくて、人付き合いも良い。

それを彼女たちはよく知っています。

 

 

共通点はもちろん、料理好きなこと

《よく研いだ包丁で、大根をタンタンタンと切る時がストレス解消になる》

と意気投合のおふたりは、時間や場所のけじめのつけ方も見事です。

 

沢村さんは、こう話します。

「家に入ると、ここから先はもう女優沢村貞子じゃなくて、大橋貞子(ていこ)だと思ってますでしょ。

 それなのに、外からは女優沢村貞子としての電話が来たり、人が来たりするわけ。

 すると私はあわてて門で押し戻しちゃうわけですよ。

 それは明日向こうで聞きますとか、明日お返事しますとか。

 なんとかごちゃまぜにされまい、とするんです。」

女優業は対人関係も大事です。

割り切ろうと思っても、それは相手のいる話。家事と仕事の区別をつけるのは至難の業だったでしょう。

 

この話を聞いて、今のコロナ禍を思いました。

今回のコロナで、日本人の生活形態が大きく変わりました。

ステイホーム。リモートワーク。

会社に行かずに、自宅で仕事をする人も増えました。

自宅での仕事は、気分のメリハリがつかなかったり、かえって効率が落ちたということもあるようです。

 

家を一歩出る・戻るというのは結界を行き来する行為です。

その結界や、通勤にかかる時間がメリハリになることもあると実感しました。

 

 

衣服のけじめについて

「けじめには、お金のけじめ、礼儀のけじめといろいろどっさりありますけれど、

 衣服なんかはどうですか」

幸田さんのこの問いに、沢村さんが応えます。

 「私、大体あまり高い物は着ないんです。

 大体高いものは、どうも ⵈⵈ 私はそんなものを着る身分じゃない、という抵抗があるんですよ。

 どういうんでしょうかね」

これにも幸田さんも大いに賛同。そしてここからの話が面白い。⤵

幸田

「それがあなたの福分なのね。

 私も、大島のどれだけ糸が通っているなんていって、けっこうな美術品みたいなもの、

 美しさがわからないわけじゃないし、それが国の一つの文化のバロメーターになっていることも

 分かってるんですが、それを着るということは私のすることではない、

 やっぱり福分がこれまでというの何だか知ってるんです。

 金がないからとか、器量がわるいからとか、格好が悪いから着ないというのではないんです。

 関係ないのね。自分の福分だけできめて。それで結構自分で楽しく、人からも

 似合うといわれて着ているでしょ。

 似合わないと言われたらこれは困る。人にも不愉快な感じを与えているのに相違ないから。」

福分という言葉、初めて知りました。素敵な言葉です。

 

人と同じでなくてよい。

自分で定めた何らかの程度があって、ここから上でもないし、下でもなく、、、

絶対に上なしのことはしない。

 

この、自分の物差しをいかに構築できるかが、大事なことみたいです。

沢村さんは、福分をまた違う言葉で言い換えます。

沢村

「なにかを無理しようとしますとね、

 私の母なんか、一升瓶に一升五合は入らないよって言いました」

 

幸田

「私の場合は、九尺梯子は九尺だけっていわれました」

 

その範囲内でなんとかしたい、持っている福分を知り、それをフルに使って生きていく。

背筋のシャンと伸びた、素敵な女性の、根っ子にある考え方はこれかも知れません。

 

未練のある時をパッと見切り時で切る

ちょっと難しい話ですが、未練や名残についての話も魅力的でした。

幸田

「こんなことを、ある人に教えてもらったことがあるんですよ。

 感情的なもののけじめに名残があって、未練というんでしょうか、

 けじめがつけにくいんですよね。

 いやな色といやな色、もともとつきの悪い色をね、ここで二つシュッと

 はぎ合わせようとするから出来ないんで、

 その時に、中に白を一つ、細い線で入れると、どっちにもつきがよくて

 見る人もなだらかで、うまいけじめがつくんだって」

 

沢村

「これはいいお話」

 

幸田

「その変な未練のあいだに空白をおくんですね。

 そうすると、すうっと流れて行くんですよ、私。

 その白をおけばいいんだよといわれた時、涙こぼれたゃったなあ。

 そういうのは知恵ですよね。だれもいろんないやなことがあって、

 どうしたらいいかと思って挙句の果てに出た知恵が、そういうことなんだと思う。

 どうしてもそわない色の中へ白を細く一本入れれば、それでけじめがつく、

 はあっと思いますねぇ。

 心の中のけじめのつけにくさ、人にはいわれない、いうのは恥ずかしい、

 人知れぬそういう何というか、シャッとした裁断の出来ない気持ちというの、ありますよね」

 

沢村

「ありますとも、もう、もて余しちゃうんです。

 人間の困り果てたときに出す知恵がそこにくるんですねえ、白をおくっていいですね

 

 

おふたりを別々にみてきて、似ているなぁと勝手に思ってきましたが、

対談で確信しました、やはりと二人は似ていると。

向田邦子さんもここに入るかも。

 

 

最後の話も実に、そこに尽きています。

幸田

「今日はとても楽しかった。あなたとお話してると、とても言葉が通じるの。

 それでさっきたら思っていたんだけど、私、ものなんか書かないで、

 あなたの付き人になりゃよかったわねぇ(笑)。

 私、あなたが教えてくれること、シャっと吸取紙でとるみたいに受けとったと思うしね。

 そして私のいうことも、あなたがシャッと分かってくれるだろうと思うし。

 あなたが家に帰って着物をすうーーっとぬいで、さぼして、衿をふいてさっとたたむ。

 私、手つきまで分かっちゃう(笑)。」

 

沢村

「それでなければ、私が先生の秘書になればよかった。

 「あの」といったら、「はい」と向こうの原稿用紙を持ってきて ⵈⵈ (笑)」

 

ほんとうに素敵な対談でした。

 

 

この本が刊行されたのは、今から23年も昔です。

登場された人物で、ご存命なのは、美輪明宏さんお1人だけ。

対談当時、美輪さんはまだ「丸山明宏」と言う芸名でシャンソン「メケ・メケ」を歌っていた直後です。

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元禄時代の小姓衣装を洋装に取り入れ、レース地のワイシャツ等を身に纏いユニセックスファッションは、好みはともあれ、本当に美しいものでした。

「シスターボーイ」と評され一世を風靡した、そんな時代でした。

 

 

最後に《印象的な話と言葉》をいくつか

嫁ぎ先の経済が傾き、自ら稼業の酒屋をしていた時の話。

「 ( 酒瓶は ) ちょっと置き方が悪かったりするとバーンと壊れちゃう。

 ずいぶん情けないと思いました。それでも奥さんなんですね。おかみさんになり切れない。

 どこへいっても置くさんて言われちゃう。それじゃ商売にならないんですよ。

 一生懸命おかみさんになろうと思って、ついになれなかった。

 

 その時分、泉鏡花さん、小村雪垈さん、ああいう方に買っていただいて ⵈⵈ 。

 里見弴さんが気の毒に思ってくだすって紹介してくださるんですけど、商売が下手で

 後が続かないんですよ。あたし、ほんとに御恩に思っています。

 その後、あたし、玄関で障子張ってたら、ヒュッて入って来られて、 

 「里見です」って、向う様から逆に仰られたんで、あたし、いつか一度はお礼を

 申し上げなけりゃと思っていた方だのに、その方が見えたら何も言えなかった。

 際立ってお礼にいったりするのはよくないって父が言いますから、いつか、いつかと

 思っていたんです。それが去年でしたか、またお目にかかる折があって

「あの節は有難うございました」って申し上げたけど、涙が出そうでした ⵈⵈ 。」

『幸田文 対話』高田保 p.15より

 

露伴さんの教えで素晴らしい話がありました。

「三橋と結婚してからしばらくして実家に行ったとき、つとめ人ですから晩のごはんがおもなものになるのですが、父が「お前版のごはんはどうしているか」ときくのです。一汁一菜か五菜かときかれたんです。「そんなこともないけれど、あるときはお汁のほかに三つか四つ」といったら「多いよ」といわれました。「だんだん古くなってゆけばいろいろ新しくしなければならない。はじめから能力の全部を出していって、ときがたってもっと望まれたときお前がつらくなっちゃうだろう。いまはそれだけ食べられるかもしれないけれど、少しへらすということはやりにくい。いまのうちにへらしておきなさい。後になると感情的にもいやなものがついてくるし、お姑さんの聞こえもあるだろうから、いまのうちにへらしなさい」といわれました。

『幸田文 対話』高橋義孝 p.39より

 

 露伴先生の教え

幸田「まわりの職人さんたちとは親しかったですね。近所に面白い人がいて、魚釣りのことをイオツリというけど、それはちがう、魚は陽気で釣れる、陽気で釣るんだから陽釣りだって父に講釈してました。父は、ああそうか、そうかって聴いているの。そういうつきあいでね、楽しかったですね。あたしもそういう人たちと一緒にまじわらないと、「なにをしてやがるんだ」って叱られる。それが何十年もたって、わたしが図らずものを書いて、どこかに取材にいくときに、たいへんタシになりました。

関口「すぐ近寄って、スッと一緒につきあえるわけですね。」

幸田「その言葉がね、そっちの言葉と同じになれることを、しあわせだと思いました」

『幸田文 対話』関口隆克 p.251より

 

 

 

 

※ この本に写真は一切なく、名前だけではわからない人も沢山いました。

  とじ込み ( 続きを読む  ) には、備忘録として写真と生年月日、対談した時の年齢などを列記しました。

 

 

本日の朝ごはん

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毎度の釜玉うどんに、古くなった納豆に韓国唐辛子を混ぜたものをトッピング。

こういうのもアリかな。

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本日の夜ごはん

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買い出しのお蔭のメニューたち

酢の物も、イカが入って豪華❤

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「今日は、買って帰って、ホッでいいんじゃない?」と言われて、手抜きばかりです。

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このお豆腐も美味しかった。

醤油をかけたら、模様が浮き出て美しい。

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とじ込みは『幸田文 対話』に登場した方々の写真、生年月日、没年月日、対談当時の年齢を列記したものです。

※写真のない方もいます。

高田保 劇作家、随筆家。

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誕生:1895年(明治28年)3月28日

死没:1952年(昭和27年)2月20日 56歳没

対談日:1949年 ( 昭和24年 ) 11月06日『週刊朝日』

当時の年齢:幸田45歳 高田54歳

 

 

小堀杏 随筆家、森鴎外の次女。

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誕生:1909年(明治42年)05月27日

死没:1998年(平成10年)04月02日 88歳没

対談日:1950年 ( 昭和25年 ) 02月15日『毎日グラフ』

当時の年齢:幸田46歳 小堀41歳

 

 

高橋義孝 ドイツ文学者、評論家、随筆家、翻訳家。

トーマスマンを翻訳した人。

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誕生:1913年(大正02年)03月27日

死没:1995年(平成07年)07月21日 82歳没

対談日:1953年 ( 昭和28年 ) 01月01日『婦人画報』

当時の年齢:幸田49歳 高橋40歳

 

木村伊兵衛 写真家。

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誕生:1901年(明治34年)12月12日

死没:1974年(昭和49年)05月31日 72歳没

対談日:1954年 ( 昭和29年 ) 11月01日『日本カメラ』

当時の年齢:幸田50歳 木村53歳

 

 

志賀直哉 小説家

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誕生:1883年(明治16年)02月20日

死没:1971年(昭和46年)10月21日 88歳没

対談日:1956年 ( 昭和31年 ) 03月01日『心』

当時の年齢:幸田52歳 志賀73歳

 

 

伊藤保平 西宮酒造会長。参議院議員。

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誕生:1882年(明治15年)

死没:1965年(昭和40年)83歳没

対談日:1956年 ( 昭和31年 ) 09月01日『酒』

当時の年齢:幸田52歳 伊藤74歳

 

 

江戸川乱歩 小説家・推理作家

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誕生:1894年(明治27年)10月21日

死没:1965年(昭和40年)07月28日 70歳没

対談日:1957年 ( 昭和32年 ) 08月01日『宝石』

当時の年齢:幸田53歳 江戸川63歳

 

 

木村義雄 将棋棋士。十四世名人

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誕生:1905年(明治38年)02月21日

死没:1986年(昭和61年)01月01日 81歳没

対談日:1958年 ( 昭和33年 ) 06月16日『内外タイムス』

当時の年齢:幸田54歳 木村53歳

 

 

山縣勝見 実業家、政治家

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誕生:1902年(明治35年)02月18日

死没:1976年(昭和51年)10月29日  74歳没

対談日:1958年 ( 昭和33年 ) 07月21日『中外海事新報』

当時の年齢:幸田54歳 山縣56歳

 

 

中山伊知郎 経済学者

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誕生:1898年(明治31年)09月20日

死没:1980年(昭和55年)04月09日 81歳没

対談日:1959年 ( 昭和34年 ) 12月27日『読売新聞』

当時の年齢:幸田55歳 中山61歳

 

 

山本健吉 文藝評論家

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誕生:1907年(明治40年)04月26日

死没:1988年(昭和63年)05月07日 80歳没

対談日:1963年 ( 昭和38年 ) 01月19日『日本現代文学全集』

当時の年齢:幸田59歳 山本56歳

 

 

安藤鶴夫 小説家。落語、文楽、歌舞伎、新劇の評論家。

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誕生:1908年(明治41年)11月16日

死没:1969年(昭和44年)09月09日 60歳没

対談日:1967年 ( 昭和42年 ) 01月28日『国立劇場邦楽鑑賞会プログラム』

当時の年齢:幸田63歳 安藤59歳

 

瀬沼茂樹 文芸評論家

 

誕生:1904年(明治37年)10月06日

死没:1988年(昭和63年)08月14日 83歳没

対談日:1970年 ( 昭和45年 ) 01月05日『日本の文学』

当時の年齢:幸田66歳 瀬沼66歳

 

 

徳川無声 弁士、漫談家、作家、俳優

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誕生:1894年(明治27年)04月13日

死没:1971年(昭和46年)08月01日 77歳没

対談日:1957年 ( 昭和32年 ) 01月27日『週刊朝日』

当時の年齢:幸田53歳 徳川63歳

 

 

美輪明宏 俳優、演出家

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誕生:1935年(昭和10年)05月15日

現在:85歳

対談日:1958年 ( 昭和33年 ) 01月01日『中央公論』

当時の年齢:幸田54歳 三輪 ( 丸山 ) 23歳

 

辻 嘉一 「辻留」初代料理人

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誕生:1907年(明治44年)01月02日

死没:1988年(昭和63年)11月17日 81歳没

対談日:1960年 ( 昭和35年 ) 02月01日『婦人画報社』

当時の年齢:幸田56歳 辻53歳

 

 

田村魚菜 料理研究家

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誕生:1914年(大正03年)11月23日

死没:1991年(平成03年)03月25日 76歳没

対談日:1962年 ( 昭和37年 ) 08月01日『料理の手帖』

当時の年齢:幸田58歳 田村48歳

 

 

関口隆克 文部省職員、国立教育研究所所長。幼馴染。

 

誕生:1904年(明治37年)

死没:1987年(昭和62年) 83歳没

対談日:1969年 ( 昭和44年 ) 06月『ひろば』

当時の年齢:幸田65歳 関口65歳

 

 

 草柳大蔵 ジャーナリスト、ノンフィクション作家

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誕生:1924年(大正13年)07月18日

死没:2002年(平成14年)07月22日 77歳没

対談日:1972年 ( 昭和47年 ) 05月01日『週刊文春』

当時の年齢:幸田68歳 草柳48歳

 

 

沢村貞子 女優、エッセイスト

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誕生:1908年(明治41年)11月11日

死没:1996年(平成08年)08月16日 87歳没

対談日:1975年 ( 昭和50年 ) 01月01日『明日の友』

当時の年齢:幸田71歳 沢村67歳

 

 

今泉篤男 美術評論家

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誕生:1902年(明治35年)07月07日

死没:1984年(昭和59年)01月19日 81歳没

対談日:1975年 ( 昭和50年 ) 01月01日『うえの』

当時の年齢:幸田71歳 今泉73歳

 

 

土門 拳 写真家

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誕生:1909年(明治42年)10月25日

死没:1990年(平成02年)09月15日 80歳没

対談日:1975年 ( 昭和50年 ) 07月『もり』

当時の年齢:幸田71歳 土門66歳

 

 

西岡常一 法隆寺専属の宮大工

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誕生:1908年(明治41年)09月04日

死没:1995年(平成07年)04月11日 86歳没

対談日:1977年 ( 昭和52年 ) 01月01日『世界』

当時の年齢:幸田73歳 西岡69歳

 

 

辻 邦生 小説家、フランス文学者

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誕生:1925年(大正14年)09月24日

死没:1999年(平成11年)07月29日 73歳没

対談日:1981年 ( 昭和56年 ) 09月01日『婦人之友』

当時の年齢:幸田77歳 辻56歳

 

 

矢口 純 エッセイスト

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誕生:1921年(大正10年)04月18日

死没:2005年(平成17年)04月30日 84歳没

対談日:1984年 ( 昭和59年 ) 05月01日『新潮45+』

当時の年齢:幸田80歳 矢口63歳

 

 

山中寅文 元東京大学農学部技官

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誕生:1927年(年)

死没:2003年(年)01月06日 76歳没

対談日:1987年 ( 昭和62年 ) 06月01日『婦人之友』

当時の年齢:幸田83歳 山中60歳