一昨日、「大丈夫です」のお話したら、
親愛なるブロガーの皆さんから、沢山コメントをいただきました。
同世代の方は、やはり同じように感じていらっしゃったのだとわかり、嬉しくなりました。
更には、小中校生の子どもたちと接する機会の多いマミーさんからは、
こんな貴重なコメントもいただきました。ちょっとご紹介させてもらいます。
なるほど、やはりそういうことだったのか。
ネットで過激な言葉を投げつける輩も多い中、一方では「気を悪くさせないように案ずるあまり、がんじがらめになっている」若者がいるのか。
「大丈夫です」が生れたキッカケが、やはりそんなところかとわかって安心した反面、
そのがんじがらめの結果に「惜しい!」と感じざるを得ません、おばさんは。
だったら、もう少しボキャブラリーを増やそうよ!
世の中にはまだまだ、素敵な言葉が沢山あります。
同じ意味の言葉でも、ニュアンスが少し違ったり、やわらいだ響きだったり、
その時その時の自分の気持ちにピッタリ合う言葉が、探せばきっとあるハズです。
昭和以前の作家は、ひとつの言葉にこだわって、何日も何日も考えたといわれます。
自分が構築した言葉の引出しを引掻きまわして「あれでもない」「これでもない」と、
探した結果、ピタリとくる唯一無二の言葉をはめ込んで、名作は作られたのだと思います。
言葉への探求心は、平成の作家にも、令和の作家にだってあるでしょう。
が。
個々の作家が持つ語彙の数は、残念ながら昔の文人に叶わないのではないでしょうか。
作家に限ったことではなく、日本人全体の語彙力が低下しました。←これ私も含めて
昔は老若男女、色々な職種、貧富の差あれ、もっと沢山の言葉が市中を飛び交っていたと思います。
ところが昨今、単純な言葉でコミュニケーションを取り、あとは《察して欲しい》という流れになった。
難しい言葉を使って「頭いいところをひけらかしたいの?」って思われたら厭だな、
なんてことも視野にいれてるのかも知れません。
でもねぇ。
これ以上 言葉を単純化していったら、本当に自分が伝えたいことが伝えられ切れなくなり、チープになるんじゃないでしょうか。
お友だちに「あの人、なに言ってんの?」と言われるのを怖れずに、
ひとりひとりが、言葉を探求する心を持って言葉を磨いていったら、
日本語文化も、日本人の心だってもっと豊かになるように思います。
「ある意味」「普通においしい」
若いタレントとタモリさんの、有名なエピソードがあります。
タレント「俺、タモリさんをある意味尊敬してます」
タモリさん「んじゃ、ある意味馬鹿にしてんだね www」
タレント「いやぁ、そういうんじゃなくて・・・・」
そうなります、絶対に。
この人、大先輩に大いなる誤解を与えたわけです。
一昨日のコメント欄では、「普通に美味しい」も、話題にのぼりました。
この《普通に》って何なんでしょうね。
こう言われて「嬉しい」と思う作り手はいるんだろうか。
料理をこさえた経験のある人なら「普通に美味しい」は、微妙でしょう。
って、そんな話で盛り上がりましたの。
自分は褒めてるつもりでも、相手に伝わらないのは辛いことです。
そんなことのないように、どう尊敬しているか、どう美味しいか、
自分の気持ちをキチンと言えるようになりましょうよ。
「普通に美味しい」だったら、腹立つし、
「まったり」だの「優しい味」って言われても、ちょっとゲンナリかも w
別に、味を分析をしてくれといっているワケではないんです。
自分が今どんな心境 ( 状態 ) だったのか、その時にこれを食べてどう感じたのか、
そんなことを加味して考え合わせイメージしたら、今の自分にぴったり合う《美味しい》が
表現できるかも知れません。
美味しいつながりでもうひとつ、よくテレビでタレントさんが言うコメント。
「ぜってーー、おいしいやつだ」
あれも、私 引いちゃうな (*´∇`*) うーん、ひとくくりにしないでよー w
「ふつうに」とか「絶対」とかで片付けないで、言葉を探しましょ
ひとりひとりが言葉を大切にしたら、もっと豊かなコミュニケーションが取れるようになる気がします。
Mailや、Twitterや、LINEは、スピードが命なのも よくわかります。
しかしながら、あまりに単純化していき、じっくり考えることなしに発信していくと、
トランプさんみたいになっちゃう気がします。
多少 時間はかかっても、その人らしい言葉で発信されたものの方が、相手は喜ぶんじゃないかなぁと。
ふつうに、や、ぜったい や、かわいいで片付けないで、言葉、探していきませんか?
本日の朝ごはん
ちょっと朝から頑張った。
久しぶりのおみおつけに、
ハンバーグの付け合わせの人参も作りました
一方、本日の夜ごはん
「何もしなくていいように〇〇で買ってきたよ」と言われて、並んだ品々。
作ったのは、酢の物だけでした。ゴメンよ。
今の若い人の「気の遣いぶり」には驚かされます。
メール、ライン、Twitterなどにも独自のルールがあって、それはそれは細かい!
誰かを傷つけないように、気を悪くさせないようにと案ずる余り、がんじがらめになっている感じがします。
「大丈夫」という言葉も、相手に対して威圧的にならないように精一杯の気遣いなんでしょうね。かえって手間を増やしてる気もしますが…。